シンジが少しも口に出さないのでアスカは忘れたと思っているが、それは大きな誤解だということをアスカ本人はちっとも気がついていないらしい。
 シンジは曖昧になりつつある幼年期の記憶の中でも、アスカという、半ば半身と思えるほど時間を共に過ごしてきた存在は何にも換えがたいものだ。特に出会ったあの瞬間のことを忘れることなど不可能であろう。
 シンジが思い出せるのは、とても寂しかったからあそこにいた、というところからだ。彼自身、何が原因だったのか今では知るすべもなく、予測しかできない。おそらくは両親がしばらくの間不在だったことが原因だったような気がしていた。ゲンドウは出張、ユイは研究所から帰れるのが夜になることが多かったという話をシンジは聞いていた。だがそれを覚えているかといえばそういうわけでもなく、シンジにしてみれば「いわれればそんな気もするな」という程度である。しばらくするとユイはシンジがいて欲しいと思うとき、必ず側にいてくれるようになったからだ。
 とにかく親に見捨てられたような気がしていて、とてもさびしく感じていたのは間違いがないだろう。
 最初、あの場所にいたのはシンジだけではなかったのだ。アスカはそのことを知らない。もしかしたら出会った日に話しているかもしれないが、記憶に残っていないのだから、それは彼らにしてみればどうでもよいことに変わりがないのであろう。
 だがシンジはどうでもいい事だと割り切るには辛い立場だった。寂しさを紛らわせるために遊びに行った公園で見たものは、同年代の子供たちが母親の手に引かれながら帰宅していく姿だった。ブランコや鉄棒、ジャングルジム、滑り台など一通りの遊具を使って遊んでみたが、如何せん一人ではすぐに飽きてしまう。声をあげて走り回る仲間がいなければ、それらは鉄でできた冷たい金属の棒の寄せ集めに過ぎないのだ。
 シンジは虚しさを感じながら、結局は砂場で砂いじりを始めた。喧騒のやんだ公園は寂しさ以外何も存在を許さずに、シンジの居るべき場所を与えようとしていないようでもある。砂にひんやりとした感触はあったものの、彼に不快感を与えはしなかった。ただ強烈に虚しさと悲しさをを増大させる効果だけを与えて、指の隙間からこぼれ落ちていく。
 シンジは自覚もないままに、涙が目じりにたまっていた。見ている世界が、日が傾きかけ引っ越してきたばかりの新しい家が黒いオブジェに変わっていく瞬間を、小さな瞳でずっと見ていることしかできない。
 帰るべき家には誰もいないのだ。暖かい夕食が並ぶ食卓も、騒がしい子供番組を映し出すテレビも、甘えることができる母親も、いつも怒っているように見えるのに不思議な温かみがある父親も、すべては幻で、想像で、夢でしかない。今あるのは、一人でいるシンジのちっぽけな存在だけだった。
 それを忘れ、消し去るために砂のピラミッドを作ることに集中するしかなかった。砂をかき集めれば集めるほどに砂を掘る量は増えていく。次第に自然と乾いた砂の下からより冷たく湿った砂が現れ、彼の手を泥で肌色以外の色に汚していった。
 アスカが初めて見かけたシンジはそんな心理状態だった。だがシンジは自分以外に公園へ足を踏み入れる人間がいるなんて考えてもいなかった。みんな彼を置いて、親の大きな手に引かれて明るい部屋へ帰っていくと思っていた。だからもちろん彼女に気がつくことはない。
 ただ黙々と作業を続けていくシンジの姿がやがてアスカの目に留まる。
 まもなくして砂山はほぼ形ができあがり、小さな手でペタペタと細かな凹凸を修正していく。それはただの時間つぶしでしかないことをシンジ自信がよく解っていた。まだ言葉や理論で理解しているのではなく、ただ漠然と感じていたに過ぎないのに、未成熟の心でもやけに大きな影としてそれは重たくのしかかってきた。
 日が暮れても誰もいないマンション。テレビは電源が入っていないとただの物言わぬ箱でしかなく、テーブルの上にはまだ背丈が届くわけもない。労力を費やして体に合わぬ大きなサイズの椅子に座ってみたところで、太陽の様な微笑みと暖かさを与えてくれる母親がいるわけでも、まして温かい食事が並んでいるわけでもない。生ぬるい空気だけがシンジを圧迫するかのように空間を埋めているだけだ。
 それに耐えることができなかった。そんな所にいるくらいなら、そんな重苦しい空間に沈んでいるくらいなら、日が暮れても外にいた方がいくらかましだった。
 しかしそれでも寂しさは解消されず、つまらなさは募っていくばかり。
 太陽はどんどん傾いていき、いつの間にか街路樹の遙か上から街灯がシンジと公園全体を申し訳程度に照らし始めている。その明かりは弱々しく、薄汚れたライトには羽虫が多くたかり、吹けば今にも消えてしまいそうな頼りなさだった。それでもシンジは家に帰ることを拒否し続けて、正面の砂山と向かい合っている。
 だが、砂山は非情にも完成してしまった。どこからどう見てもケチのつけようの無いほど完璧な正三角錐がシンジの前に作りあげられている。それもそうだろう。現実から目を背けるために没頭したのだ。彼の持てる集中力のすべてを注ぎ込んだのだから当然の産物なのだ。
 シンジはそれを最初、自分の手が生み出したものだとは信じられなかった。むしろ信じたくなかった、という方が適切かもしれない。それほどまでに哀しい造形美だった。
 その完璧さがシンジの凶暴性を引き出した。なんでこんなに寂しいんだとうと考えることもできないくらい、彼は幼かった。この状況下では、そのやりきれなさを目の前の整然とした作品にぶつけるしか方法がなかったのだろう。
 彼はやおら立ち上がるとしばらくそれを眺めていた。その時たまっていた涙が一筋頬を伝う。それがきっかけになったのか、シンジは右足を思いっきり力を込めてピラミッドに振り下ろした。折角作ったのにもったいない、などとは考えなかった。頭を空っぽにし、理不尽と怒りを全て柔らかな砂の固まりにぶつけていった。無抵抗な形あるものに力を加えていく。そうしながらも流れ出る涙を拭わずにはいられないほど、目から雫があふれ出ては流れていき、シンジは必至に目元をこすって押さえつけなければならなかった。
 履いていた靴は手と一緒で泥にまみれていく。靴の中に砂が入ってきて気持ち悪くても止めようとは思わなかった。湿ろうと、汚れようと、構わずシンジは踏みつぶし続けた。
 しばらくして見る影もないほど無惨に潰された跡ができあがる。そのほかには何も残ってはいない。温かさの欠片すら見つけることができず、シンジは言いしれぬ哀しみがより大きくなったのを感じないわけにはいかない。だが他に何をするのかと聞かれても、彼に許された選択肢は一つしか残っていないのだと知っていた。
 もう一度やり直す。
 ただそれだけが今のシンジに与えられていた自由。
「なに、してるの?」
 かがみ込み、両手で砂をかき集めたところで突然前から声をかけられた。驚きのあまり腰を抜かしてしまいそうになるが、ふらつきながらも何とか耐える。
 見上げた先に見知らぬ少女が立っていた。シンジは思わず目を見開いて彼女の顔を見なくてはならなかった。そうしなければ、一度涙でぼやけてしまった視界を取り戻せなかったからだ。ぽかんと見とれていたのは、見知らぬ人間に声をかけられて呆然としているのではなかった。彼女の容貌が今まで見たこともないものだったからこそ、シンジは見上げた体勢のまま固まってしまったのである。
 夕暮れの風が紅茶色の彼女の髪を揺らしながら吹き抜けていく。太陽を背にしたシンジからは彼女の姿がよく見えた。サルのぬいぐるみを胸に抱きかかえながら、大きく明るい深海色の瞳が彼をじっと見つめていた。目線が交差し、気恥ずかしさを感じたシンジはとっさに顔をそらした。
「どうして泣いているの?」
 泣いてしまった理由を説明できなかった。それが何なのかをシンジ自身が漠然としか感じれていないからだろう。彼らの立場が逆だったら、幼い頃から聡明で通っていたアスカはそれを説明できたかもしれない。だが、シンジは口に出して説明すれば重圧に負けそうで、説明するにはボキャブラリーと日本語の操作が未発達過ぎた。
 シンジは彼女の目を見れないまま、少し鼓動が早くなった胸の奥の心臓を持て余していた。それはどこから来たのか解らなかったが、彼が感じていた感情は今までに経験したことがない、と断言できるものであった。わずか4歳の彼が感じていた不可思議な感情は、恋愛感情などであるはずもなく、それはまごうことなき懐古の念だったのである。
 14歳の彼が初めてレイに対して感じた感情そのままに、幼い頃のシンジもアスカに対して同じように感じ取っていた。しかしシンジは説明できなかったその感情を徐々に失っていき、2015年まで封印してしまうことになる。レイと出会ったことで封印は説かれたのかもしれないが、彼がアスカに初めてあったときに感じた懐古を再び思い出すのは不可能なのかもしれない。
 それほど子供たちの10年とは長く、過ぎた時は成長の代価として失われていくべきものであった。










 レイはその瞬間、死の危険を本気で感じていた。野生の直感ともいうべき感覚がレイの中で蠢動しなければ、今こうしてアスカと向き合っていることはかなわなかっただろう。それもこれも全てシンジの幸せそうな寝顔が、彼女の身代わりになってアスカの怪鳥蹴りを真正面から受け止めてくれたおかげだった。
 おかげでシンジは泡を吹いてうつぶせに突っ伏してしまっているが、レイの白い肌には傷一つ付いていなかった。
「信じられないことするわね」
 アスカは怒りと呆れをちょうど半分ずつ混ぜたような声をレイにぶつける。
「シンちゃんの愛の深さよ」
 しれっと言い放ったレイだったが、アスカの顔からは怒りよりも呆れの方が色濃くなっていった。だがそれもそうだろう。アスカが奇声とも怒号とも分からぬような声を上げながら部屋に飛び込んできたとき、レイはシンジにおはようのキスをしようとして、互いの唇があと二センチで触れるところまで近づいていた。
 だが次の瞬間には体を引き起こし、寝ぼけていたシンジをとっさに盾代わりに使ったのである。そして止めることのできないアスカの長くしなやかな足から繰り出された鋭い蹴りは、幸せそうにまどろんでいた碇シンジ少年の頬に『これ以上ない』というほどジャストミートした。アスカとしては最初から当てるつもりなど毛頭なかったのだが、レイが盾にしたシンジの顔が見事なほどちょうど良いところにセットされてしまうという偶然が、この不幸かつ悲劇的展開を引き起こしてしまったのであった。
「どうすんのよコレ」
 アスカが声をあらげ、足下のシンジを指さしながら言う。しかしレイとしては、なけなしの勇気をはたいて実行に移そうとしていた聖なる儀式を邪魔されて、アスカと同じほどに不機嫌をあらわにしている。
「自分がやったんだから自分でなんとかすれば?」
 口調が限りなく冷たいレイ。
 二人はしばらく睨み合っていたが、何処まで本気で怒っているのかは傍目からでは判断しにくかった。それにこの二人のどんな些細ないざこざでも、仲裁に入る役割は常にシンジが担っているのだが、とばっちりを食らって昇天してしまっている現在では、火のついた水と油、冷却水のないエンジン状態であった。どこまでもシャフトの回転は上がっていくばかりで、最終的には爆発かオーバーヒートが待っているだけだろう。
 だが幸いなことに碇家には誰も頭の上がらない人間が存在している。
「そこまでにしておくことだ」
 レイとアスカは突然横からかけられた声にハッとなって、二人は声の主を仰ぎ見た。朝一番から不機嫌なのか地顔なのかよく分からない、仏頂面のゲンドウが三人を見下ろしていた。
「とにかくそこのマヌケを早く起こした方が得策だと思うが、二人の意見は私の意見と異なっている点でもあるのかな?」
 ゲンドウは目で時計を見るように促した。ペンギン型のデジタル時計は、とっくに8時をまわってしまっている。
 これには二人とも仰天するしかなく、慌てて協力しながらシンジを引きずり起こし始めた。
「シンちゃん、夢見ている場合じゃないよ」
「こら、起きなさいよ、ねぼすけ!」
 互いに相手がシンジにかけた言葉を「そうではないだろう」と心の中で突っ込みを入れつつも、少女達は哀れに白目をむく少年の体を3分18秒間ゆらし続けることになる。あまりにも目を覚ます気配のないシンジに、いい加減、堪忍袋の緒が切れそうになった二人が各々ハードカバーの辞書とドライヤーを振りかざし、彼の本能が身の危険を感じるまでそれは止むことがなかった。










 学校に着くなりケンスケが目ざとくシンジの顔色を問いただしにかかってきた。トウジに至っては笑いをこらえるのに必死で、まともにシンジの顔を直視できずにいたほどだった。
「なあシンジ。いつもにも増してすごいぞ、そのアザ」
 ケンスケが指差しながらまじまじと見つめている。
「だろうね。まだ痛いくらいだし」
 そう言いながら頬をなでて、そのとたんに痛んだのか、顔をしかめて手を引っ込める。シンジの左頬にはアスカの足の大きさがまるまると言っていいほどくっきり跡が残っており、さらには起こされるときにどつかれたせいで加わった細かな引っ掻き傷があちこちに残っていた。
 引っ込めた腕で首元を触っているのは、気を失っているときに首を前後に強烈な力で揺らされたからである。そのときの後遺症がむち打ちの症状を呈し、シンジとしては知らぬ間に踏んだり蹴ったりの目にあったとしかいいようがない。
 が、そのようにケンスケやトウジにボヤくと、彼らは目を細めたりため息をつきながら互いに顔を見合わせた。シンジにとっては疎外されているようでおもしろくなく、表情を不満色に染めた。
「なんだよ、その顔。僕が悪いとでもいう気? 一方的に被害を被ったのは僕自身なんだからね」
「まあ、それはそうだろうけどな」
 説明する気にもなれない、とでもいうようなケンスケの態度にシンジはさらに機嫌を悪くした。それもそのはずで、彼には被害者意識はあっても加害者意識など生まれてくる状況には置かれようもないのである。それは夢見心地の朝に、突然の被害を被った事実からも証明されるだろう。今朝の8時過ぎのドタバタ劇だけを見せながらアンケートをとれば、10人が10人、シンジを被害者だと認めてくれるに違いない。
 だがケンスケたちはその辺りを指摘しているわけではないのだと伝わっていないらしく、彼らにしてみれば少々もどかしい。だがそれを本人が気付かないようであれば、誰かが教えてやらねばならない。
「とりあえずだな、もう一度状況を考察すると、だ。シンジは今日に限って言えば被害者ということになる」
「いつもだよ」
「まあまあ、最後まで聞けよ。それで惣流と綾波の両人はなぜシンジの部屋で乱闘を起こすような事態になっていたのかな?」
「うっ……」
 シンジは冷静なケンスケの声に思わず後ずさる。それもそのはずで、理由が『シンジを起こすための主導権争い』という、周りからみれば全く持って下らないの一言ですんでしまうことだったし、ほぼ毎朝シンジがアスカに起こされていることを知っている男子はケンスケとトウジくらいなものだろう。そこにさらにレイが加わり、あまつさえ「おはようのキス」が未遂でも行われようとしていたのだと、その他一般の男子に知り渡りでもしたら、シンジが明日の朝日を拝めるという確約は誰にもできないであろう。
 先ほど、シンジはレイに、
「なんで僕の部屋で二人が僕に凶器を振りかぶっていたわけ?」
 などと尋ねたところ、レイはいささか照れながら、
「いやー、いろいろとあったんだけどね。簡単に言えば私がシンちゃんを起こしてあげようとしたところに強敵の妨害があったわけでして。なはは」
 などと笑ってごまかした。
「でもさ、諦めたわけじゃないからね。チャンスがあれば私がシンちゃんを毎朝でも起こしてあげる」
「それは無理じゃない? あんたも結構寝坊するタイプじゃないの」
 数歩先をゆくアスカが振り返りながら、冷ややかな声をレイに向ける。
「だからチャンスがあるとき、だってば。私の起こし方はアスカほど乱暴じゃないもんね」
「アスカほど、ってことはそこそこ力に訴える、ってことなんじゃ……」
 このシンジの発言は二人の少女の不評を買った。アスカはシンジが起床してから終始不機嫌であったが、今のでさらに怒りのボルテージが上昇したのを肌で感じ取るシンジだった。こうなっては謝るために声をかけるのもためらわれる状況であることには違いがない。
 シンジにしてみればなぜ不機嫌なのか、ということになるだろう。だがアスカにしてみれば毎朝のささやかなシンジと二人の時間をレイに邪魔されているようでおもしろくなかったのである。しかしそれに対して細かく文句を言える立場にはないことはよくわかっていた。なぜなら、同じ屋根の下に生活しているのはレイだからである。
 触らぬ神にたたりなしと判断したシンジは、隣で仏頂面していたレイにとりあえず謝った。なぜ自分が謝らねばならないのかよくわからなかったが、そうすることで曲がったつむじがまっすぐに戻ってもらえればそれでよかったからだ。
「レイ、ごめん」
「ま、いいけどね。キスするチャンスなんて、考えればこれから腐るほどあるわけだし」
 レイのさりげない爆弾発言はシンジの頭の中で数回転し、しばらくしてようやく定着した。その数秒の間は固まってしまう少年は思春期真っ直中である。
「……え、キス?」
「そぉ。私の愛の接吻でシンちゃんの朝をすばらしいものにしようと思ってね……」
 そういいながらレイはシンジに顔を近づけた。
「今でもしようと思えばできるんだからね…」
「なにやってんのよ、天下の往来で!」
 アスカが慌ててレイを押さえようとするが、彼女はするりとシンジと体の位置を入れ替えて背後に回った。そしてシンジの肩越しに顔を出し、アスカに向かって舌を出した。
「ほらね、こうやって妨害が入るわけ。それで今朝もドタバタしちゃったんだ」
 レイはシンジの耳元でささやいたが、それが脳に吸収されたかどうかは別問題である。シンジの前には怒りで顔を赤くしたアスカがいたし、先ほどのレイのキス発言で少し頭が白くなりかけていたからだ。
「って、シンちゃん聞いてる?」
 というレイの言葉と、
「なに鼻の下のばしてんのよ、スケベ!」
 というアスカの声がキレイに重なった。そして繰り出されたアスカの鉄拳がのぼせ気味だったシンジの目元にクリーンヒットしてしまい、本気で当てるつもりが無いので、シンジが少々鈍くてもかわしてくれると予測していたアスカが一番慌ててしまうことになった。
「ちょ、ちょっと。シンジ、生きてる?」
 自分でやっておいてそれはないだろう。レイとシンジは期せずして心の中で同じようにつっこんだ。
「だ、大丈夫だけど、もうちょっとグーの時は加減してよ」
「ふ、ふん。自業自得よ」
 それだけ言い残すと、転けたままのシンジと、かがみ込んでシンジの顔をのぞき込んでいるレイを置き去りにし、自分だけで先に歩き去ってしまった。
「ホントに大丈夫?」
「あ、うん」
 レイの方に顔を向けたシンジは、一瞬で顔を背けてしまった。もっと傷をよく見たいレイからすればよけいな行動である。
「ほら、こっち向いて」
 そういうと渋々ながらもシンジはレイの方にもう一度顔を向けた。レイは両手でシンジの顔をつかんで細かいところまでよく観察していた。
「あーあ、アザになりかけてる。もう顔半分に跡がついちゃってるのにねぇー」くすくすと彼女は笑いながら言った。「学校行ったらすぐに保健室に行こう」
「うん」
 そう答えるシンジの声には元気がない。心なしか顔が紅潮しているようだった。
「どうしたの?」
 そういったレイはシンジの目線を追ってその理由を察した。シンジの目がチラチラとレイのスカートの下に注がれていたからである。
 見てはいけないと思いつつも、そこは14歳の少年である。理性よりも本能と好奇心が強い。圧倒的に強い。他の少年達に比べれば自制があるとはいえ、シンジもやはり男の子であった。
 レイはいきなり立ち上がり、彼女の細腕に支えられていたシンジの頭は、急に重力に引っ張られてコンクリートとしたたかに衝突した。ゴツンと景気のいい音をたてたシンジの頭の上に陰が覆う。先ほどのアスカと同種の感情エネルギーをシンジは感じ取っていたが、頭の痛みで目の前がくらくらするような状態では逃げることもかわすことも不可能であった。
 この後、シンジの顔にもう一つ紅葉型の跡が付け加えられることになり、しばらく路上で突っ伏しているシンジを、通行中の幼稚園児たちが珍獣でもみるような目で見ながらバカにしていたのは説明するまでもないことであろう。
 シンジは、こうして見事に1時間目に遅刻して学校に到着することになってしまったのである。




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