呉天明(ウー・ティエンミン)監督<第四世代>


標識のない河の流れ(没有航標的河流)
3人のいかだ流しの労働者が自分の過去を振り返る。文革という大激動の中であえて歴史に抗うことなく流れに身をまかせていく男たち。
(1983年西安映画製作所/監督:呉天明/1991.2映像文化L,教育TV「アジア映画劇場」)
古井戸(老井)
水が出ないために何百年も昔から井戸を掘り続けている山西省太行山中の老井(古井戸)村の物語。水を飲むためには10キロも離れた所まで汲みに行かなければならないこの村には,なかなか嫁の来てもなく,昔掘った井戸の使用権をめぐって,隣の村との抗争も起きたりする。引退を前にした村の支部書記は,県の水利局で講習を受けた旺泉(ワンチュアン)に何としても井戸を掘り当てるよう命じる。村の数少ない高卒の旺才(ワンツァイ)と巧英(チャオイン)が旺泉を手伝うことになり,まず地質調査からスタートした・・・
井戸掘り作業の進捗状況よりも,旺泉(張芸謀)を取り巻く複雑な人間模様の方が面白い。旺泉は巧英と恋人同士だったが,貧しい家で弟の嫁取り費用を工面するために,巧英との仲を引き裂かれ,子持ちの若後家・喜鳳のところに無理やり婿入りさせられる。
巧英は大学入試に失敗して村に戻ったインテリで,服装や考え方も垢抜け,村には不似合いな都会的な女性だ。一方,喜鳳は夫のために尽くす昔かたぎの女性で,井戸掘りの資金集めの集会でも,「たとえ今すぐに水が出なくても孫子の代まで井戸を掘り続け,ずっとこの村に住み続けよう」と皆に呼びかける。井戸掘りを使命とする旺泉にこの対照的な二人の女性が絡む三角関係がこの物語のもう一つの柱になっている。
映画のハイライトは,井戸掘り中の落盤事故で旺泉と巧英が生き埋めになるところだ。死を覚悟した巧英は,井戸を掘り当てたら旺泉と一緒に村を出ようと思っていたと告白し,二人は井戸の底で結ばれる。必死の救出作業により助け出された二人は病院に運ばれ,その後,退院して村に戻った巧英は,一足先に退院していた旺泉と事故の起こった井戸の現場で再会する。しかし,旺泉は自分を見つめる巧英の視線を避け,下を向いて座り込んだまま顔を上げない。巧英は,彼が井戸を掘り続けるために村に残る決心をしたと悟り,嫁入り道具を井戸掘り費用のために寄付して村を去る・・・
農村の貧しさと売買婚といえば,真っ先に陳凱歌の『黄色い大地』を思いつく。この映画は婿入りなので,『黄色・・』とは逆のパターンだが,違いはそれだけではなく,『黄色・・』がどちらかというと人を圧倒する大自然と政治的なテーマが主となり,人間の扱いがあまり重要視されていないのに対し,この映画は人間が主役となっている。
主役の三人以外にも,厳格な旺泉の祖父,性的に鬱屈したまま短い生涯を終わる旺才や婿入りした後も巧英とコソコソする旺泉が気に入らない喜鳳の母など,いろんな人間関係が絡み合うとっても人間くさいドラマである。支部書記の他に県や省のお役人も登場するが,体制批判や教訓めいたテーマを語る映画でもない。時代設定も現在にほど近く,安心して楽しめる(?)映画である。
旺泉が婿入りした直後に山の中で大きな石(?)を背負って運んでいる時に,水汲みから帰る途中たまたま通りかかった巧英に水を一杯飲ませてもらうシーンがある。水を飲もうとする旺泉の頭の上で,巧英は被っていた頭巾をはたいて器の中にわざと草や砂を落とすが,旺泉は無言でゴミを吹き分けながら水を飲む。中国旅行に行って,お茶っ葉を吹き分けながらお茶を飲む時に必ず想い出すシーンだ。でも,これは意地悪でしたんじゃないってことが後でわかるんですよね。
(1987年西安映画製作所/監督:呉天明/撮影:張芸謀+陳万才/出演:張芸謀,梁玉瑾,呂麗萍/映像文化L,教育TV「アジア映画劇場」,2002.3.21renewal)
變臉〜この櫂に手をそえて(變臉)
「變臉」とは四川省が生んだ伝統劇「川劇」で顔に施した多彩な色や形の隈取りを観客の見ている前で瞬時に変える技のこと。
この特技で各地を放浪している老旅芸人の望みは男の後継者で,ある時売りに出されていた男の子を買ってかわいがっていたらそれが実は女の子であることがわかり,がっかりする。最初は捨てようとしたが,芸を仕込み一緒に旅をして回るうち,老人が無実の罪でとらわれ死刑にされようとしたときこの女の子の命がけの訴えで助けられるというストーリー。
NHKテレビの「大地の子」で陸一心の育ての父親役を演じた朱旭の味のある演技もいいが,それ以上に,彼を慕う女の子がとってもかわいい。
(1996年北京電影学院青年映画製作所/監督:呉天明/出演:朱旭/2000.2.6 教育TV)