中国東北地方・鉄道とバスで旅する2000キロ(その3)
〜東北三省の主要都市を訪ねる(瀋陽・大連)〜
(2001年8月)
6日め(8月27日) 瀋陽〜大連
朝8時,北陵公園へ向かう。
ここは清の太宗(2代皇帝)ホンタイジが眠る陵墓だ。
正式名称は昭陵だが,街の北にあるので北陵と呼ばれている。
入口から15分くらい歩いた所にやっと建築群が現れ,門をくぐると,参道の両脇に対に並んだ動物の石像が出迎えてくれる。
陵墓自体はコンクリートで固められていて,興ざめなのだが,
公園全体の雰囲気は割かしいいな。
ここでうれしい事件発生。昨日,列車の中で親しくお話ししたご夫妻に偶然再会した。
さっそく記念写真に収まる。
帰りは時間短縮のため,専用のバスで出口まで戻った。
次に瀋陽故宮へ行く。
清の太祖(初代皇帝)ヌルハチが,まだ後金(こうきん)の時代に,北京の故宮を模して建てた宮殿で,北京に移るまでの19年間は,ここが清の首都だった。
このため,清朝の歴代皇帝は遷都後も北京から行幸して来たそうな。
ここで最初に,建物の意味を教えてもらう。「殿」はオフィス,「宮」は寝室,「斎」は書斎,「閣」は倉庫だと思えばいいそうです。(もっといろいろ説明してたけど・・)
皇帝が用務を処理した「崇政殿」,当時都で最も高い建物だった「鳳凰楼」,皇后が暮らしていた「清寧宮」(6代・7代皇帝の直筆の書が掛けてある)などを見て回る。
目玉は,皇帝主催の式典に使われた八角二層の「大政殿」で,この形はここにしかないそうです。清朝は軍事や行政を8つの旗で分けていたので,そうした組織の象徴でしょう。
昼食は「老辺餃子」にギョーザを食べに行く。
たくさんの種類のギョーザが出てきて,とても食べきれない。
最後に鍋ごと水ギョーザが出てきて,店員さんが一人一人の器にすくってくれる。ギョーザがいくつ入っているかでその人の運が決まるという。
ちなみにぼくは2つだったので,喜びが2倍になるとか・・・
午後は博物館へ行く予定をカットして,大連へ直行し,そこで買物タイムを作ることにしました。
今まで,お決まりの工芸品などの土産物屋ばかりに連れて行かれて,皆いいかげんうんざりしてたから・・・。
こういうところ,うちの団は日程が自由に変えれるから好きなんです。
14時にバスは高速道路に乗った。
途中,大連まで残り200qの所にあるパーキングでトイレ休憩。あと半分くらいの距離だ。
ここまで順調に走っていたが,この辺りから急に工事中の箇所が増え,時間どおりに進まなくなった。
この道路は1989年に完成した中国最初の高速道路で,路面の痛みがひどく,補修が必要なのだ。
走行中に運転手の体がときどき宙に浮いている(怖いな〜)。
道路端で桃を売っているが,高速で車を止めて買う人がいるんだろうか?
18時50分,かなり時間がかかったけど,ようやく大連の九州假日飯店に着いた。
途中で大きな夕陽が見れたのが,印象に残っている。
遅くなったので,買物は次の日に延ばして海鮮料理の夕食を食べに行くことにした。
食事後,ホテルのすぐ前の勝利広場の夜店へ行く。
その後,近くの本屋で30分くらい,あれでもないこれでもないと本を物色してからホテルに戻る。
7日め(8月28日) 大連
8時にホテルを出発。今日の午前中は日露戦争の激戦地・旅順へ行く。
我々の乗る車は大連市役所から借りたVIP専用バスで,フロントガラスにその貼り紙がしてある。
ナンバープレートの「遼B」は大連のこと。ちなみに「遼A」は瀋陽。
旅順はまだ一部が未開放で,市内地区に入るには特別の許可が要る。
このバスに乗ると複雑な手続きは要らないし,驚いたことに高速道路の料金所もフリーパスだ。
クラクションを鳴らしただけで通れちゃうんだもの♪。
でも,いくらこのバスでも見学できる施設は北路の周辺に限られる。
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高速を1時間くらい走って水師営会見所に着いた。
旅順開城(降伏)の談判終了後,乃木大将とステッセル,日露双方の指揮官が会見を行った所だ。
水師営は村の名で,清朝の頃,海軍(水師)が置かれたことからこの名が付いた。
残念ながら今の建物は,昔の写真を基に観光用に復元したものだ。
再建に金がたくさんかかったと町長がウソを言って高い入場料(40元)を取っているとガイドが説明する。
会見所の中には日露戦争当時の写真が展示してあり,日本語の上手な老人が説明をしてくれる。
庭には,乃木大将がステッセルから送られた白馬をつないだというナツメの木も植えてある。
この後,有名な203高地に行く。
ここで実際どのような戦いが行われたのか知らなかったぼくに,司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むようハシさんが勧めてくれた。
203高地を陥としたのは乃木第三軍司令ではなく,その窮状を見かねて駆けつけた児玉満州軍総参謀長の功績に寄るところが大きい。
海軍は旅順港内に停泊しているロシア艦隊を外洋に追い出すため,
203高地を奪ってそこから砲撃してほしいと陸軍に要請したが,
乃木はあくまでもロシア軍の堅固な旅順要塞を全滅させることに固執し,正面からの無謀な突撃を繰り返していた。
乃木から一時指揮権を借りた児玉は,大砲を効果的に使い,ほどなく203高地を陥とした。
標高203m(元々206mあった山頂が激しい砲撃で3m削られたという説もある)の頂上までの坂道を歩いて登ると,
山頂からは,はるか眼下に旅順港が見渡せる。
この山を攻め取った後,28センチ砲で港に停泊するロシアの軍艦を次々に撃沈し,一気に戦局を変えた重要な戦いだった。
旅順の攻防戦でロシア軍の死傷者1万8千人に対し,日本軍の死傷者は6万。
山頂には亡くなった兵士を弔い,この戦いで使った弾丸を集めて乃木大将が作らせたという高さ10.3mの慰霊碑が建ってあり,碑面には,「二○三」をもじり乃木大将が詩の中で詠んだ「爾霊山(にれいさん)」(中国語でも「二零三(アルリンサン)」と発音が近い)の名が書かれてある。
このあと,撮影禁止となっている市内地区をバスに乗ったまま見学し,市役所が経営するレストランに行き,海鮮料理の昼食をとる。
その後は,大連に戻り,自然博物館,世界一広い星海広場,満州国時代に日本から大陸への玄関口だった大連港を見学した。
皆が疲れていることを見透かしたガイドが,最後の観光予定地の老虎灘公園を端折ろうとしたので,団長が怒り,
しぶしぶ連れて行く。虎の大きな像があり,全部で何匹いるか数えるよう宿題を出され,
みんなバスを降りて数えに行く。(正解は?)
市内観光はこれで終わり。ホテルへ帰って,夕食までの2時間は自由行動だ。
シンちゃんは,まず,ホテルの隣のデパートで四姑娘の買物(服とか)に付き合って,その後,商店街へ行く。
ここでようやく,今回の旅行の主目的の1つだったVCDを買うことができました♪
今年買ったのは,『ただいま(過年回家)』と『こころの湯(洗澡)』。
おっと,油断していたら,この四姑娘は瀋陽であれほどバッグを買ったのに,ここでもまだ買おうとしているぞ。どーなっとるんだ,君らは!
夕食は高台にあるテレビ塔のレストランで海鮮特別料理ということだったが,伊勢エビが出たのが特別なだけで,あとは昼食と変わらないじゃないか!
食事後,ホテルに帰る途中で若者7人衆はバスから降ろしてもらい,夜の街を見学することにした。
まず,大連賓館(旧大連大和ホテル)でトイレをお借りする。ルネッサンス様式の落ち着いた雰囲気のホテルだ。
その後,道路を渡って,大きなロータリーの中にある中山広場へ行く。
夜遅いのに,たくさんの人がダンスを踊ったり,巨大スクリーンでスポーツ中継を見たりして時間を過ごしている。
しばらく雰囲気を味わってから,歩いてホテルに戻ることにした。
でも,地図を持ってなかったのに,よく間違えずに帰れたなあ。
ホテルの近くまで戻ったところで,昨日も行った勝利広場の夜店へ又寄り,
コーヒーを飲んだり,人形(マトリョーシカ)を買ったり,「四連環」という4つの鉄の輪をつないだりはずしたりする手品(中国魔術)をする兄ちゃんとお話したりして中国最後の夜を楽しんだ。
8日め(8月29日) 大連〜福岡
今日は帰国の日。9時にホテルを出て,ロシア人街で下車して,またお買物。
いったい,何個マトリョーシカを買えば気が済むんだろう?
中国で最後の買い物を済ませて,大連空港へ向かう。
その後は,何も事件は起こらず,定刻に日本への帰国の途に着いた。