1998夏 信州

 今年(98年)夏、8/8から12まで信州をツーリングしてきた。
 [ 8日 (土) ]

 朝6時にGSX-R400(これでツーリングするとは!)の同僚のGと共に広島を出発、山陽〜中国〜中央道をひた走り、15時半に飯田ICから飯田市内に到着、今日の宿泊地を管理している地元のスポーツ用品店で受付を済ませてから一気に大平峠方面へと駆け上がる。すっごいタイトなウネウネ道で、ところどころに砂が浮いているため全然気を抜けない。19kmの道のりだがたっぷり40分かかってやっと峠の手前にある宿場跡に到着した。

 今日から2泊はこの大平(おおだいら)宿である。ここは飯田から中仙道に抜ける大平峠にある宿場跡で、廃虚となっていたのを地元の有志「大平宿を残す会」が整備、冷たくて透明そのものの小川に沿った道幅2メートル足らずのメインストリートの両側には当時(といっても江戸期から昭和までさまざま)のままの家屋が並び、これらをそのまま格安で貸している。

 実はここは会社のそばにある、いつもお世話になっている安くてオイシイ焼肉屋「勘太郎」のおかみの故郷で、彼女の依頼を受け、このたび我々が調査隊としてはるばる広島からやってきたのだ。そして、やってきてみてこの土地があの面倒見が良くキップもイイおかみを育てたという事が良くわかる、本当に良いところであった。ちなみに1998年8月現在で1泊1人2000円+募金300円。電気と水はあるがガスは無い。炊事も風呂もマキである。着いて最初にやるのは部屋と風呂の掃除。そしてマキ小屋へマキを取りにいく。ここは標高1000m位なので真夏なのにとても涼しい。我々に与えられた(ちなみに選択権は無い。宿泊人数によって適当な大きさの家屋を割り当てられる)のは大蔵屋という明治中期の建物だが、柱は永年の囲炉裏の煙で真っ黒、まことに良い雰囲気である。(→大平宿風景)(→勘太郎:ここにも大平宿レポートがあります)

 ここで広島から車で昨夜先発したOと浜松からぷじょー306でやってきたS一家と落ち合い、特にS一家とはしばらくぶりの再会を喜びあった。Sはもと会社の同僚で今は浜松のY社でスクーターの企画開発を担当している(といえば・・そう、あそこですヨ)。
 都会人?の我々にはマキを使った風呂釜の使い方は「???」であったが、お隣りさんに伺ったところ、こちらは3回目の常連さんとの事。親切に風呂の焚き方を教えて頂いた。(おまけに翌朝には焼肉とレタスとご飯まで!お世話になりました。)そこで昔実家でやった事があるというOが挑戦、カマドのある裏口を煙でいっぱいにさせながらも見事イイ湯加減になり、長旅の汗をすっかり洗い流したのであった。

 その夜は信州ならぬ甲州名物「ほうとう」鍋を囲んで夜更けまで飲んだ。ちなみに「ほうとう」は甲州の郷土料理で、ダンゴをうどん状にしたものと地元の野菜などを味噌で煮込んだ手軽ながら素朴で味わい深い料理である。ほとんどの場合カボチャを入れるので煮汁が黄色くなるのが特徴である。山梨近辺のスーパーには必ず売っているので、横浜転勤中はキャンプツーリングの定番料理であった。味噌は1回使い切りタイプで5パック100円位の練り状インスタント味噌汁がおすすめ。ダシも入っているし少なめに入れておいて足りなければ後から足せばよい。余れば翌朝の味噌汁になる。写真の量なら5パック100円のもの1袋で充分である。野菜にはカボチャのほかにニンジン,ジャガイモ,ゴボウ、肉は豚バラを使った。実は今回残念ながら肝心の「ほうとう」が無かったため、煮込み用の固めのウドンを使った。この場合はウドンが煮崩れないよう、野菜が充分煮えてから入れるのがコツ。私以外は初体験だったらしいが、真夏でも寒い大平宿の晩メシにはピッタリで大好評だった。ちなみに黒いのは味噌汁パックに入っていたワカメ(笑)。

 [ 9日 (日) ]

 次の日はバイクを大平宿に残し、車2台で中仙道の馬籠,妻籠(つまご)宿を観光した。ここはしっかり人が住んでいる人気の一大観光地だが、昔の風情をよく残しており、心なごむ日本の風景が展開する。私以外は初めてで、カメラ小僧と化したGやOは嬉々として撮りまくっていた。
 写真では山頂が雲に隠れてしまっているが、晴れた日には正面に恵那山がデーンとそびえる見晴らしのまことに良いところで、真夏でも心地良い風が通っているため、ちょっと日陰に入ればエアコンは不要の涼しさである。ここで信州名物「おやき」(これは私の大好物!)とそば(これはちょっとだったけど)を食べて一行は妻籠へと向かった。

 妻籠宿は山に囲まれた宿場町で、馬籠の「陽」に対し「陰」の雰囲気であるが、それだけに馬籠以上に昔の雰囲気が感じられるところだ。Gは「数時間で通りすぎるなんて勿体ない!」と言って三脚付きのカメラ(そう普段彼はGSX-Rに三脚をくくり付けて走り回っているのだ)を抱えて歩き回っては写真を撮りまくっていた。ここで浜松からのS一家とは別れ(達者でな〜)、残る3人は食料と酒を買い込んで大平宿へと戻り、高菜のパスタと囲炉裏の炭火焼き地元和牛(だったっけ?)のステーキという豪華料理で今夜も盛り上がったのであった。

 [ 10日 (月) ]

 3日目は2人がこれまた行ったことが無いという黒部ダムを見るため、バイクで中央〜長野道を北上し、豊科ICからR147を避けて県道をさらに北上、大町市から高原道路を快走して14時過ぎに扇沢に到着、ここからは関西電力のトロリーバスに乗ってトンネルを15分位、黒部ダムに到着、私は修学旅行(この時は反対側の立山ルートだった)以来であったが何度来ても雄大な景色で、ダムもさることながら、黒部湖のかなたに見える赤牛岳がまたイイ。ここでも2人はカメラ小僧と化した。その後、実家のある高円寺に帰るというGとはここで別れて(気をつけてな〜)Oと2人で大町市街から数キロ北にある木崎湖へ。ツーリングマップを見ると湖畔にキャンプ場のマークがあり、そばには温泉も!行って見ると海ノ口キャンプ場は親切なおやじさんがやっている静かなキャンプ場で、テントを張ってから一路温泉へ!木崎湖温泉は温泉プールも併設された公衆浴場で露天風呂もサウナもある快適な温泉だった。食堂もあったのでその夜のメシはここで済ませ、キャンプ場に帰ってからはカマドでスルメをあぶって酒を飲んで人生を語ったのであったのであった。

 [ 11日 (火) ]

 翌朝山口の実家へ帰るというOとも別れ(会社で会おうな〜)、ここで完全にソロツーリングとなり、1人また来た道を戻り始めた。実はコインランドリーを探していたのだが、結局松本市内まで走ってやっと発見、洗濯しながらツーリングマップで今日の目的地を考える。私はロングツーリングでも着替えは3日分しか用意せず、途中でGパンも含めて洗濯するようにしている。このペースに慣れればどんなロングツーリングでも荷物は増えないし清潔でいられるからである。

 洗濯が終わる頃、今日の最終目的地と途中立ち寄るところを決定、R19で再び中仙道を目ざす。まずは思い出の奈良井宿に到着(詳しくは→管理人のVmax参照)。記念写真を撮影して30分ほど宿場町の雰囲気を楽しんで再び中仙道を南下、木曽福島からR361を北上、山間ののどかな道を抜けると突然、爽やかな高原風景が広がる。開田高原である。ツーリングマップの「戸隠と並ぶ2大ソバ所」に釣られてやってきたのだが、来て良かった。ソバ打ち体験もできるソバ道場のできたて手討ちソバ(写真)や格安のソバがきも絶品ながら、目の前にそびえる御岳山の素晴らしい眺め!キャンプ場もあるので絶好のオススメポイントなのであるが、一息ついて慌ただしく出発、次の目的地である高山に向かった。
 実は我が親父から「高山に寄ったら・・・」と頼まれていた買い物があったのだが、17時頃到着して実家へ電話したところ、なんと買い物は高山ではなく、同じ岐阜県ながら関市のハサミである事が判明、あぜんとしながらも「せっかく高山に寄ったのなら赤かぶ漬けを買ってこい」とのお達しにより目の前のみやげ物屋でこれをGet、そのまま道の反対側にある食堂へ。ここは前回も立ち寄ったところで、飛騨牛の丼が安く食べられる。この分だと今日の宿泊地である蛭ヶ野(ひるがの)高原に着くのは夜になりそうなのでここで早めの夕食とする。肉はちょっとカタくて少なめだがたっぶりのゴハンで腹一杯になり、さあ蛭ヶ野高原にGO!

 R156沿いにある蛭ヶ野高原に着いたのは19時頃、ラッキーな事にまだ日は沈んでいなかったので早々に蛭ヶ野高原キャンプ場にチェックイン、テントを張った。ここは数年前乗鞍へ行く途中に立ち寄ったところでその時の好印象が再訪につながった。ここも開田高原同様、山間に突然現れる爽快な高原地帯なのだが、のどかな日本の田舎的風景である開田高原に対し、ちょっと清里っぽい欧風というよりメルヘンチックな風景は広がる。蛭ヶ野高原キャンプ場は1泊1000ながら広々敷地に豪華巨大なトイレ&洗面所,ゆったりシャワールームにコインランドリー!と設備は文句無し(コインランドリーもシャワーも行列だけど)。キャンプサイトの土質も良好で適度な固さでペグも楽に打ててしっかり固定される。また、メインストリートには割と品揃えの良いスーパーに地酒や地ビールが売っている!コンビニまである。そしてBikeで1分のところにあるホテルには岩風呂も。管理人オススメの便利なキャンプ場なのである。

 その後風呂から帰ってきてランタンの明かりで久々の1人酒を楽しんで心地良い眠りについたのだが、夜更けから雨がポツポツ、40%の降水確率をハネのけここまで雨無しできたのだがついに!しかもだんだん雨は激しくなり、朝まで大雨であった。後で知ったのだがこの日の雨は記録的な豪雨で、同じ岐阜県内の川沿いのキャンプ場では道路が崩れて数日間キャンパーが閉じ込められる事故が発生していたのだ。オー恐。
 幸い蛭ヶ野高原キャンプ場の土はとても水はけが良かったため浸水は免れたが、晴れる気配は無く、ゆっくりとテントを畳み始めた。キャンプ場の入り口付近の広場にはステージ用の屋根付きのステージがあるのでそこに全てを移動して撤収作業を行なった。

 雨が小降りになった9時頃、クライ気持ちで蛭ヶ野高原を出発、R156を南下していくとあの長良川と並び始める。このまま下りて関市に入った。あの「関の孫六」などで有名な(えっ知らないって?)日本刀に代表される刃物の町である。ここで親父の注文のハサミを買おうと思うのだがハテどこにあるのか?キョロキョロしながら電車通り走っていると関市文化会館(だったか)に観光地図があり、そこに載っている「刃物会館(この御時世にすっごい名前だ)」に行ってみたらこれが大当たり、外観は地方の町役場みたいな建物のひっそりした1階奥に関の刃物の直売センターがあった。役場風のドアを開けるとヒンヤリした空間に刃物がズラリ、ナイフ,包丁はもちろんノコギリ,ナタ,カッター,そして日本刀!まで置いてある。もちろんハサミもあったので、リクエストに応えて折り畳み式の小さくて結構クォリティの高いハサミを、自分のお土産にはパン切りナイフをそれぞれ購入した。ホントはズラリ並んだナイフがすごく気になったのだが素人の私には何が良くて掘り出し物なのかさっぱり判らなかったので次回勉強して出直すことにした。だって同じようなナイフが2千円から2万円まであるんだもの。

 ところで関市に入った頃にはすっかり標高も下がり、当然気温は上昇、暑い暑い。本当はもう少しツーリングを続けたかったのだが、暑いのが苦手な私はこのへんで広島に帰る事を決定、そのままR156と長良川に沿って名神岐阜羽島ICを目ざして走ることにした。

 岐阜市内へ入り、にわか雨を避けたファミレスで日替わりランチを食べて、混み始めた国道を離れて長良川沿いの土手道に入ったのだがこれが大正解!この道は岐阜羽島を過ぎてえんえん東海大橋まで続く道路で道幅も割と広く心地良い風にあたりながら爽快な走りを楽しめる。今回のツーリングの最後を飾るに相応しい道であった。

 岐阜羽島ICから名神に乗り、さあ一気に広島へ!と走り始めたのだが、しばらくすると前方は真っ暗。道路も湿り初めてまた雨が・・・あわてて飛び込んだのが多賀SA。どうも雨を追いかけているようなので、しばらく時間を潰す事にする。
 と、そこに現れたのがこの「宗谷岬」の旗をなびかせたVmax(写真)、このツーリングでも何台か見かけたのだが、こんどはどんなヤツか?と思っていると現れましたヨ!真っ白なイガグリ頭で首にはバンダナ、黒の革スーツもビシっと決まった60代位のおやじが!!!「これはどこ仕様?・・・逆車にもオールブラックがあったんだねえ」気さくに声をかけてきてくれたので話してみると、北海道を走ったあと新潟に上陸、そこから走ってくる間中雨に降られ通しだったとか。行き先は聞かなかったがナンバーからして神戸らしい。「タンクが小さいので大変ダヨ」と言いながら注目なのは私のクラウザー。「高いんだろう?」というので「新品なら14万位」と答えると「うへ〜」でも中古で安く手に入ったんですよっとフォローするととてもウラヤマしそうだった。もう1台SRの若者を従えて先発していったがその後何度か並んで走る事になった。なかなか度胸のイイ(特に渋滞時!)走りでしたヨ!おやじさん。

 その後中国道,そして山陽道に入った最初のSAではBig Bike4人組に山陽道のロードマップを見せてもらったところ、彼等はこれから広島の平和公園に行くとの事。風体に似合わないカワイらしい事を言う。「安く泊まれるところはないか?」と聞くので「カプセルなら安いよ。なんなら平和公園で寝てもイイし」とアドバイスしてあげた。4人で相談していたが、どうも平和公園は遠慮するらしい(笑)。翌日広島は大雨だったのだが、彼等はちゃんとカプセルにたどり着けたのだろうか?

 そして最後のひとっ走り、23時半頃に無事広島の我が家に辿り着いたのであった。(終わり)


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