青銅器


荒神谷遺跡
(銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本)
加茂岩倉遺跡(39個)
国を作る要因は何も目にみえるものだけではない。目にみえないもの、例えば習慣、儀式、儀礼といった精神世界を現すものも古代では重要であった。一度失われてしまった精神世界は再現が難しいのはもちろん、感覚として捉えがたい世界である。現代人が異端に思うようなことでも古代人は日常生活に密着したものであった。

弥生時代は青銅器文化の時代ともいわれている。青銅器ははじめ、鳴り物または武器として使用されていたとされるが、後に祭祀、儀礼の道具となった。ただどういう訳か、後にこの青銅器はぷっつりと使用されなくなる。これはほぼ同時期に鉄器が普及しはじめた事と何か関係があるのか、何か政治的なことと関係があるのか、まだはっきりと解明されていない。


さて出雲の青銅器である。

荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡の発見によって、出雲は一躍日本一の青銅器数を誇る地域となった。このことは少なくとも当時出雲でしっかりとした
祭祀、さらに想像するなら信仰圏があったという証明にもなる。そしてこれほどの青銅器を保有するためには相当の国力を持っていなければならない。これらの発見で神話の国と呼ばれてい出雲に王国が存在していたのではという論議を呼び、さらに実はあまりよく知られていない弥生時代を解明する鍵を握っているのではと注目を浴びるようになった。

しかしこの青銅器にはまだまだ知られていないことが多い。出雲の青銅器がどこで造られたかも疑問の一つである。一般的に大和で造られて出雲に運びこまれたというのが定説となっている。しかしどうであろう?出雲は有数の銅山をかかえている。これを使用しない手はない。私は出雲が製鉄集団と共に製銅集団も抱えていたのではと想像する(ただ未だ青銅器製造工場のようなものがないため、今のところはっきりと断定はできないのが残念なところである)。

古代人はどのような目的でこの青銅器を使用したのか、何故彼らは青銅器を使用しなくなったのか。
これを解明することが出雲王国の存在を証明する鍵であることは間違いない。

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