たたら製鉄


けら(鉄の原形)
和鋼博物館前にて撮影
(和鋼博物館)
たたら製鉄のことを分かりやすく展示。
受け付けの人は親切で応対もよい
国の成り立ちに「米」が関係しているとすれば、その普及にもっとも影響力を及ぼしたのは「鉄器の普及」である。

この「鉄器の普及」によって飛躍的に農業生産高が伸び、多くの人口を養えるようになった。鉄器は弥生時代からすでに見られた。しかしそれはまだまだ貴重品であった。「鉄の普及」は古墳時代からだといわれている。

日本は古来、砂鉄を使って製鉄を行ってきた。これをたたら製鉄という。この方法は西洋式の製鉄法が伝わる明治時代まで続いた。
本来、この製鉄法は朝鮮から伝わったものである。ところがいつの頃からか日本の「鉄器の普及」は朝鮮のそれを上回ることになる。これは日本人が優秀だからというものではない。ひとえに地の利である。

たたら製鉄は砂鉄と共にもう一つ重要な条件を必要とする。

木炭である。

つまり樹木を必要とした。そのため一度に大量の樹木を伐採しなければならない。朝鮮などはそのために国土の大半が禿山になったといわれている。ここに日本の地の利がある。日本は湿潤で常に十分な雨量を保つことのできる気候である。そのためいわば日本国土は水分を含んだスポンジのようなものであり、樹木の再生が容易であった。このおかげで日本は禿山になることを免れた。

出雲はその利を十分生かせた。南にそびえる中国山脈は良質、多量の砂鉄採集場であった。

「古事記」、「日本書紀」にあるスサノオノミコトの八俣の大蛇退治の話は当時の製鉄集団が関係しているといわれている。スサノオが製鉄集団を支配下に置いたということを表しているという。もしそうであったならば、スサノオに「国の形成」の意識が既に存在していたことになる。そしてそれほどの潜在力が出雲に存在したことの証拠にもなるのである。

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