1.豊富な資源とその製錬技術

古代において国を成立させる要因はいったい何であったのか?
国の成立は「そこにいれば飢えずに生きていける」ということが前提にある。言い換えれば「食わせていけること」が国を成す要因の一つと言える。日本人の食生活を考えれば、それは自ずと「米」に行き着く。

「稲作は弥生時代に始まった」と言われていたが、既に縄文時代中期から(稲作栽培はともかくとして)稲の存在は知られていたというのが近年定説に成りつつある。ともかくも、以来、日本人は米を主食として生きてきた。その点だけをとって見れば、古代出雲に王国が成立したと証明することは難しい。なぜなら稲作栽培に適した場所が他の地域(例えば大和、九州など)と比べてあまりにも狭いからである。それにかっては出雲平野の大半が海(入海)である。「米」から見ていくだけでは到底出雲王国の存在は証明しがたい。

そこで弥生以前、つまり縄文時代において何が国を作る要因であったかについて視点を移してみる。その時代、狩猟と漁猟そして採集が主な食料調達法であった。集団で獲物を獲ることもこの頃には精妙を極めていたことであろう。縄文時代には既に投網が使われていた。またどんぐりや木の実の採集もただ闇雲に自然の恩恵に任せて取集めるだけではなく、この当時から少なからず栽培が行われていたことがわかっている。
一時は縄文時代というのは未開で野蛮な時代であったと言われてきたが、最近の相次ぐ考古学的発見によって予想をはるかに超えて豊かな文化を持っていたということも分かってきた。国の原形のようなものも既にあったともいわれている。縄文時代も何ら文化において弥生時代に見劣りするものではなかったのである。ただ稲作の普及のために急速に時代が移り変わっていったというのは確かである。

いったい何がその時代の狭間で起こったのであろうか?弥生人が日本に入ってくると共に縄文人はいなくなってしまったような感じを受けるのはどうしてであろうか?その答えは早急に導き出せない。ただ新しい時代を迎える文明の導入がこの時代の境に見られるのは注意しておきたい。まずその一つに道具の変化がある。金属器(青銅器、鉄器)の製錬加工技術をもたらした人々が新しい時代の幕を開けた。日本は鉱山資源の豊かな国で気候条件とあいまって金属器の導入が早まったともいえる。


出雲は背後に鉄、銅の豊富な中国山脈を抱えている。
それは渡来人達にとって魅力ある地域であり、どうやらそのことをわかって渡来する人たちもかなりいたようである。つまり当時から海上交易が盛んであり、十分な情報を持って渡来人達がやって来たということである。その交易の中には当然「米」も含まれていたであろう。そしてここに出雲王国の存在を証明する鍵があるように思われる。

以上のことをふまえながら、ここでは鉱山資源とその製錬技術について触れてみたい。

黒曜石 青銅器 たたら製鉄


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