風葬・水葬


風葬と聞いて皆さんはどのようなイメージを持つであろうか。ほとんどの人が馴染みのない言葉であると思う。これは名前の通り、葬儀方法の一つである。風葬とは追葬の一種であり、死体が腐って骨だけになってからその骨を丁寧に洗って埋葬する方法である。日本では沖縄、奄美大島などのごく一部で行われていた。近隣諸国に目を向けると、朝鮮半島南部、ミクロネシア諸島の一部で行われていた。
これらの共通点は、この葬儀方法が残っているところは海に関係する場所であるということである。それには理由がある。現代でも漁業で生計を立てているものは遠洋航海の場合、長い間国に帰ってこれない。そのようなとき肉親や最愛の人、友人、親族などがなくなった場合、当然死に目に会えないこともある。ましてすぐ葬儀を行えば永遠に会うことはできなくなる。そのようなことから追葬が始まったと私は考える。海人の知恵が葬儀を遅くさせるという愛情表現を思い付かせたのである。骨を洗うから汚いとか原始的だ、というのは事の本質を見えない人がいうことである。この追葬儀式も立派な葬儀方法の一つなのである。

水葬についてはもしかすると知っている人もあるかもしれない。インドの母なる河、ガンジス河では子どもなどが病死してしまった場合、火葬にせずに布でまいてガンジス河に流す。これを水葬という。これはガンジス河が再生をもたらすといわれているためで、ここに輪廻転生の思想を垣間見ることができる。

さてこの2つの葬儀様式が出雲に存在したということに関しては
多くの資料が残っているわけではない。ただ、出雲神族の末裔といわれる富家の伝承では、古代の出雲はこの2つの葬儀を用いていたという。以下にその記述を記す。

「出雲人は高貴な人が他界すると、藤と竹で編んだ籠に死体を収め、高い山の常緑樹(主として桧、杉)に吊るした。いわゆる“風葬”である。3年間が過ぎるとこれを降ろして洗骨し、山に埋めた。そして子供や妊産婦は石棺の中に入れ、再生を願って、宍道湖に沈めた。」(「謎の出雲帝国」吉田大洋著.徳間書店出版

出雲王国が海からのきさしならない恩恵を受けていたということを考えれば、あながち間違ってはいないであろう。そしてこれは古墳時代よりも前の、弥生か、または縄文時代からの葬儀方法ということになる。また、富家の伝承では「死人の肉体は穢れである」として近づかなかったという。これは穢れと清めを重視する神道を思わせる。

「古事記」の記述にあるイザナギ・イザナミの神話の中に、イザナミが死んで黄泉の国である出雲へ行くというくだりがある。イザナギが諦めきれず、出雲まで訪れイザナミを訪ねる。覗くなといったイザナミの言い付けを聞かず、イザナギが妻の姿を覗くと腐乱した死体があったという。これは風葬の途中死体を覗いてしまったと解釈すれば説明のつく話である。「古事記」制作時にはその風習は奇異なものに映ったことであろう。そしてこの風習は次の山岳信仰にも繋がっている。

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