山岳信仰
山岳信仰とは山を崇め奉る信仰である。

基本的に山や、山にある大木、巨大な岩を信仰母体とすることが多い。出雲にも山岳信仰は昔からあった。神名火山がそれにあたる。神名火山とは「出雲風土記」に載る霊山で、宍道湖の四隅に四つある。東南の意宇郡神名樋野は茶臼山(松江市)。古代の遺跡が密集する地にそびえている。野は低木だけの山の呼称である。次に東北の秋鹿郡神名火山は朝日山(鹿島町)。東北麓の志谷奥遺跡からは銅剣、銅鐸が出土した。3つめに北西の楯縫郡神名樋山は大船山(平田市)。「出雲風土記」によると、山上に石神群があったと記されている。南西の出雲郡神名火山は仏教山(斐川町)。東南麓には荒神谷遺跡がある。以上の4つが宍道湖を見下ろしているのも捉えようによっては奇景である。
仏教山(神名火山)
この山岳信仰は上述の風葬からきたものではないかと私は考える。神名火山は高貴な人物の風葬の場であったのではなかろうか。ここに出雲の思想の一端を垣間見ることができる。つまり、風葬によって死者は骨だけとなるが、その肉体は朽ちて土に帰る。では死者はどこへ行くのかというと、天国や極楽に行ったりはせずこの出雲の大地に留まるのである。古代人が地上で永遠不変に思ったのは岩や石である。死者はその岩や石に憑いて永遠に大地に留まる、といった思想がこの山岳信仰及び風葬にあるのでないか。つまり自然と人間の思想上の共存がある程度、理想的な形で行われていたのではと考えられるのである。これが「記・紀」で大和から「出雲は死の国である」と恐れられたりした理由であったのではなかろうか。またこの思想が自然の全てに神を見出すことを可能にし、八百万の神を創り出すまでに至ったと考えられる。

出雲は勾玉作りも有名である。この勾玉は水晶、碧玉、めのう、滑石から作られる。これらの勾玉も死者が石に宿るというところから、首長の権威の印として作られるようになったのではなかろうか。
(メノウ)
いにしえの島根ガイドブック.1/島根県古代文化センター
さて出雲信仰は当時存在した呪術信仰やシャーマニズムに近いものと見てもよいのであろうか。結論から言えばそうではない。出雲王国の基礎は航海・造船技術の発展が条件であった。だとすると呪術信仰やシャーマニズムでは到底発展を望めない。多少はその時代の習俗を反映し、呪術やシャーマニズムは存在したかもしれないが、他の地域に比べてかなり影響が薄く、早くから独特の信仰形態をもつに至ったのではなかろうか。航海・造船技術を発展させるためには現実を直視し、物事をよく観察することを必要とする。海は大陸で生活する以上に現実主義を必要とするのである。でなければおぼれて死んでしまう。それゆえその技術をもつものは賞賛と羨望の的であったであろうし、現実を冷静に見つめる思想が出雲信仰の母体となっていたに違いない。

その出雲がこの神名火山を漠然と信仰していたとは思えない。
「出雲風土記」の楯縫郡の神名樋山(大船山)のところを見ていただきたい。

「天御梶日女命、多宮村にきまして、多伎都比古命を産み給ひき。その時、諭し詔りたまひしく、「汝が命の御祖の向位に生まれむと欲するに、ここぞ良き」とのりたまいき。」

御祖は大国主命であるとすると、ちょうど南には荒神谷遺跡がある。大国主命は又の名を八千矛神ともいい、荒神谷遺跡の多数の銅剣がその名前に由来するのではという説もある。ここに大国主の一族がいたのではないかという説もあり、ちょうど「風土記」の記述に一致する。

前述したが弥生時代は荒神谷遺跡の近くまで宍道湖が入ってきていた。その宍道湖は当時の航海集団にとって格好の練習場であったはずである。船着き場が荒神谷にあったとすれば、神名樋山は航海演習のための方角を知るための山としてあったのではないだろうか。神名火山(仏教山)と当て字が違うのも気になる。こちらは航海技術の1つであるのろしの意味を持っていたのでなかろうか。おそらくこの山々は2つで1つだったのではなかろうか。であるから朝日山(神名火山)と茶臼山(神名樋野)もセットで扱われていたのではと思う。このように出雲信仰は技術信仰のような、呪術信仰やシャーマニズムにはあまり見られない現実主義を備えていたのではと考えられるのである。

余談ではあるが、茶臼山や朝日山のある地域は弥生時代後期からオウ国の勢力圏であった。この時代は東のオウ国と西のイツモ国が存在していた。この歴史的検知にたって、弥生時代に島根東部でさえまとめきれないのに出雲王国が成立したはずないと主張する人がいる。古墳時代になると西と東も統一されるので、その時期のことを大国主命の国づくりとして総括して「記・紀」等に記載されたのではというのである。

私は出雲王国は存在したという立場をとるため
、その見方には同意しかねる。そこに歴史の断絶があるように思えてならないからである。その歴史の断絶を解く鍵が次に取り上げる青銅器文化にあるのである。

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