神在月信仰


神在月の神迎え神事
出雲は神々の国といわれる。どうしてそのように言われるようになったかは判然としない。ただ一つ根拠がある。八百万神が集う国、出雲にある神在月である。神在月とは10月を指している。暦の上では10月は神無月と呼ばれる。出雲だけが神在月なのである。それは出雲に神が集うために、他の国では神がいなくなるという言い伝えからきている。だからその月を出雲以外では神無月と呼ぶのである。

この神在月に神々は何をしに出雲に来るのかといえば、いろいろな諸説が地域にある。多くは縁結びの相談のためということになっている。他には酒作りや、交易をしにくる神もある。私は何故出雲に集わねばならなかったのか、ということに関して前から興味があった。考えられるのはただ一つ、出雲王国の影響力が絶大的なものであったからである。ではその背景はなんなのか、何が諸国を出雲に惹き付けたのか。これが上述した出雲の青銅器文化と関連しているのである。

出雲の航海・造船技術はどうやら他の地域と比べてもかなり優れていたようである。逆に言えば航海・造船技術に長けていなければ、いくら豊富な資源とその製錬技術、文明をもたらす国と近いという地理的利点等があったとしても、地上の交通はけもの道ばかりという当時の交通事情から考えれば、それは宝の持ち腐れに過ぎない。航海・造船技術の基盤の上にこそ、出雲王国は成立するのである。

その航海・造船技術は精巧を極め、ついにはきわどいながら文明にまで達していたのではないか。それが青銅器の祭りである。よってこれは農耕信仰ではなく(後にその要素が入ったかもしれないが)、航海の祭りに関係したものであったろうと考える。

本来、青銅器(銅剣、銅鐸、銅矛)は武器の要素と共に、海上航海の道具として用いられたのではないかということは上述した。おそらくその航海技術は幾度もの習練を必要とするものであったろう。当時の神戸水海と入り海がその習練場として大いに利用されたに違いない。

航海技術は一朝一夕に身につけられるものではない。常に技術は向上していかなければならないし、技術の伝達も確実に行わなければならない。そのための航海技術の最も優れていた国の一つであったろう出雲がその航海技術を祭りにまで引き上げて、年に一回、ちょうど冬支度に入り長距離航海ができなくなる10月あたりに全国の航海人達を集めて航海・造船技術の伝達は勿論、物産の交換、各地の情報交換を行ったのではなかろうか。そしてそのときの習わしが今日まで残り、神在月伝承として広まったと私は考える。

このことは出雲が大和から「黄泉の国」と呼ばれていたことからも匂いを嗅ぐことができる。青銅器の祭りを現在の宍道湖近辺で行うとき、太陽の光を浴びて多数の青銅器がきらめく姿が海面に映る場面は黄金色の泉に見えたことであろう。そして出雲の死に対する考え方、死んでも出雲の大地にとどまるという思想が、死の国出雲というイメージを与えたのであろう。
この青銅器文化は古墳時代に入ると共に跡形もなく消えてしまう。その理由は 出雲の世界 にて考察するが、確かに言えることはそれによって出雲に集まる儀式は完全に途絶えた。そしてその跡には神在月信仰だけが残ることとなる。ただ青銅器の祭りが関係することを匂わせる行事は残った。それは竜神信仰である。
(山陰特有の民俗−竜神さんのす
べて−上田常一著 園山書店)より
出雲では神在月の頃に稲佐の浜にあがってくる海蛇を神の使いとして信仰する。これが竜神信仰である。

この海蛇はセグロウミヘビといい、背が黒色をしていることから名づけられたものである。ここで注目して欲しいのは、セグロウミヘビの脇腹の色である。金色をしているのである。このことは青銅器のイメージに合わせてこの海蛇が選ばれたのではないかと考えられる。

御諸の山の神は蛇の化身であったと言われている。御諸の山の神といえば青銅器の航海技術を伝えた人物と解釈することもでき、これもセグロウミヘビを祭る竜神信仰、そして青銅器祭祀を暗示しているような気がするのである。

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