出雲の世界


出雲王国の存在は 古代出雲の特徴 で述べてきた通りである。まだまだ発掘や文献、分析などによってあらゆる角度から研究されなければ、出雲王国の存在を証明したことにはならない。しかしその存在が何によって証明されていくのかという大まかの筋は提示してきたつもりである。

出雲王国成立は 豊富な資源とその製錬技術地理的な利点と航海技術 に支えられていた。そして出雲王国の文化・文明は 出雲信仰 にて頂点を極めた。どこの国においても文化・文明の頂点にはその時点で衰退の兆しが見えるものである。出雲王国も例外ではなかった。その後、出雲も大和の支配下に置かれることになる。出雲人から見れば出雲の衰退と共に日本が出来上がっていくわけである。しかしこのことについては別段感傷があるわけではない。

出雲は明らかに時代的な優越性を持っていたが、次の時代には衰退の一途をたどる必然性を抱えていた。定住性を高めることのできる稲作栽培の始まりがそれである。

出雲は航海技術を発展させ、それを伝播するのに最適な内海を抱えていた。海こそが古代のような交通の不便な時代においては最高のハイウェイだったのである。しかし縄文後期から弥生にかけて稲作栽培が始まると、定住型の生活が定着するようになる。そうすると移動手段よりは実際の土地が重要になってくる。それ以前、圧倒的な優位を保っていた出雲の内海はここにきて最大の弱点となった。つまり国土の狭さである。

国の成立する要因は様々であるが、最も基本的なことはそこで人を食わせていけるということである。古代人は稲作栽培に最適な広大な土地を求めて移動した。その第一の終着点が大和であったと考えてもいい。出雲が侵略されたとか、政権を交代したとかはここでほとんど問題にならない。出雲の栄華と盛衰は歴史の必然であったからである。

それでは出雲王国は後世に何も残すことなく、跡形も無く消え失せてしまったというのであろうか? 私は 古代出雲の特徴 で検討を重ね、出雲を何度も歩くうちに、もしや日本の原形がここにあるのではと考えるようになった。そのことをここで検討する。

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