日本の特質


日本が異質な国と呼ばれだしたのは戦後の高度成長を経て先進国の脅威となり だしてからである。その頃不況に喘いでいた国々は一人成長を続ける日本を見て 、その長所を学ぼうとこぞって研究しだした。そして大方の研究は「西洋的なも のの見方とは根本的に異なる異質な国である」と結論に結んだ。

確かに西洋と異なる歴史を持つ日本は、西洋諸国にとって理解し難い国にみえ るかもしれない。それでは東洋諸国は日本をどのように見ているのであろうか? ここでも日本は競争の対象と見られはしても、残念ながら同類とは思われていな い。これに今世紀初頭の大戦が関係していることは否めない。しかしそのことを 抜きにしてもどこか変わった国との認識が強い。それでは日本の何処がかわって いるのだろうか。

まず何でも取り入れてしまう雑食性があげられる。海に囲まれた国である日本 は、文化・文明は海の向こうからやって来るといった楽天性を持っている。そこ にはヒステリックな狂騒はあっても侵略されることの本当の恐怖や身にしみた悲 痛さは実感として伴なっていない。これは異質な文明・文化に対する無垢な憧れ と渇望ゆえに国の発展には強い吸引力となる。他の国でもこれと同じような歴史 は存在する。ここで日本が独特であるのは、いいとこどりが痛烈であるというこ とである。悪く言えば見境もなく外の文化・文明を取り入れたがっているように 映るが、これは良く言えば文化・文明に対して取捨選択が厳しいということにな る。これまで日本は様々な文化・文明を取り入れてきたが全てこの作業を行い、 日本に合ったものに仕立て上げてしまった。

次に清潔さ。他の国でも清潔な国はあるが、日本ほどの清潔好きはあまり類を 見ないのではなかろうか。それは清潔というよりも潔癖症に近い。いわゆる神経 質なのである。これは島国特有のものなのであろうか?大陸的な大らかさが全く といいほど欠けている。しかしここには日本の美に通じるものがある。
単純に言ってしまえば日本の美は「簡素さ」である。西洋の美が足し算のよう に装飾を加えていくものであるならばで、日本の美は引き算のように余計なもの を排除していくことで成り立っている。このことは日本人の極度の清潔好きとな んらかの関係があるようである。

そして曖昧さ。一時期、ほとんどの日本パッシングはこのことを挙げていた。 企業のあり方から身近な習慣に関してまで、西洋人から見ると自分の主張を持た ず家族や集団の意見を尊重する日本人は奇異に映ったことだろう。日本人はそれ を「和」と呼ぶ。悪く言えば「日和見」か。協調性とまとまりをこよなく愛する 日本人。それはそれで悪くはないのであるが、主義主張を戦わせなければならな い弱肉強食の世界の中ではインパクトに欠ける。

以上の3つはいずれも日本の本質をついている。この3つがうまく機能する と、日本の美は選択眼を磨き、雑食性ゆえに文化・文明をこだわりなく受け入れ ることができ、それでいて「和」を尊ぶがゆえに、大袈裟に言えば一夜にして明 治維新のような方向転換を可能にするのである。

ただ日本人は以上のことに、良い意味悪い意味も含めてあまり自覚的でない。 どこか他国に対してコンプレックスを持ち、自分の国の持っているものに関して 自信が持てないでいるのである。。ではそのコンプレックスを除き、自分の国に 自覚的になることはできないのか?私は古代出雲の思想からそれを解決するかす かな糸口を見つけ出した。

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