■04. 2001/12/29(金)
地下室の謎
高嶋敏展
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藤忠ビルの地下室 |
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藤忠ビルを見学されたお年寄りが語るエピソードに天神町の井戸の話があります。北天神町と中天神町との間に井戸があり、冷たい井戸水が湧き出ていたとのことです。
藤忠ビルや天神、白潟地区の近代建築には地下室を持った建物が多く、街の特徴とされています。昭和の初めに地下室を作る技術はいかようなものであったのか。また、宍道湖のすぐそばでもあり、地下水のレベルは決して低い位置にはありません。
天神町の福寿苑ビル(昭和24[1949]年建設)の福村さんのお話によれば、「藤忠ビルの地下は排水溝が作ってあり、湿気が少ない、福寿苑は地下に湿気がたまって困っている」とのこと。また、白潟本町の出雲ビル(昭和12[1937]年建設)の地下は現在、ライブハウスになっていますが、地下水を汲み上げるポンプを置いてあります。ライブハウスを経営する和田楽器さんによればあまりに湿気が多く、敷いてあるカーペットに水がしみこむのでカーペット自体をはぐってしまったそうです。
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出雲ビル |
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福寿苑ビル |
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藤忠の地下室だけがなぜ湿気を含まないのかよくわかりません。地盤が特別に硬いとか、排水に工夫がされているとか諸説様々でこれといって定説はありません。
余談ですが天神町の井戸を地元の酒屋さんが水をくんでお酒を造っていたそうです。南天神町の「天祐」という銘柄の岡酒屋の地酒がでてきます。どのような風味であったのか気になるところです。
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山陰新聞(現在の山陰中央新報)の創刊40周年記念の広告。中央に「天祐」。ちなみに赤枠内は当時の藤忠店舗の写真を配した藤原忠太郎商店の広告。 |
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「天祐」の広告部分を拡大 |
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