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藤忠ビルプロジェクト
2001/10/7-12/31 松江市天神町「藤忠ビル」で開催中
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エピソード


12. 2001/02/22(金)
岡酒店で聞いた話
高嶋敏展


天神町の岡酒店さんで聞いた話をいくつか紹介します。



【岡酒店は藤忠旧店舗跡】
かつて藤原金物舗(現藤忠)は現在の岡酒店の場所にありました。岡酒店は天神川沿いの場所(現在はJR山陰本線の高架下にあたる)にありましたが、造り酒屋をやめて小売りに切り替えるさい、ちょうど藤原金物舗が現在の場所を移転したので跡地に酒店をかまえました。

【商業地としての天神町】
当時は舟運が輸送の中心で、大きな店は川や堀に面した場所に好んで店をかまえました。昔から栄えた場所で、昔は天神町の通りにしか店がありませんでした。寺町などが大水で水没したときでも、天神町は大丈夫でしたた。多少、地盤が高くなっているようです。

【大正期の景気と藤忠、岡酒店】
大正期に酒屋も金物店も随分儲かりました。第1次世界大戦(1914-18)の景気で酒が1年で6回も値上がりしたと聞いています。昭和3(1928)年の昭和大恐慌の時代に藤忠ビルのような立派な建物が建てられたのは、大正期の蓄財のおかげではないでしょうか。鉄道がようやく青森県までつながった大正期に、岡酒店と藤忠のおばあさんがいっしょに観光旅行で青森県まで出かけていったと聞いています。おおらかで財政的にゆとりのあった証拠ではないでしょうか。

【天神町の井戸水】
今日では水質がまるっきりダメになってしまいましたが、かつて天神町のあたりには良質の井戸水が湧いていました。藤忠の向かいに倉庫(現在はポケットバンク)があり、倉庫の前に井戸があり学校(白潟小学校、現在は白潟公民館)の帰りに冷たい井戸水を飲むのが楽しみでした。もちろん缶ジュースなどない大正10(1921)年頃の話です。井戸は天神町には何カ所もあり、覚えているだけで天満宮など4、5カ所にあったように思います。

古い商店が商売をやめたり、場所を移転したりして街がだんだん寂しくなってしまいました。藤忠ビルがなくなることも寂しく思っています。



店先での立ち話をしただけでざっとこんな話が聞けました。店の中では藤忠ビルで購入してくれた昔の棚がワインケースに使ってありました。店の中ではとてもさりげなく置かれています。最初からその場にあるように見えますが、昨年(2001)の暮れにお嫁入りしたばかりなのです。歴史を越えた”モノ”が持つ力なのかもしれません。


藤忠ビルで購入した棚がワインケースに
藤忠ビルで購入した棚がワインケースに


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