15b「な行」で始まる作品


涙女(哭泣的女人)
『涙女』という邦題がわかりにくい。これは,葬儀の席に出掛け,故人を偲び,涙を流して列席者の悲しみを盛り上げる「哭き女」を職業とする女性の物語だ。ただ,この映画で描かれている「哭き女」は,涙を流して声を上げて「泣く」というよりも,あらかじめ用意したレパートリーの中から故人にふさわしい曲を選んで,歌い踊るという,少し変わったものになっている。
主人公のグイ(王桂香)は,好き好んでこの商売をしている訳ではない。稼ぎもなく,甲斐性もないダメ亭主が傷害事件を起こして刑務所に入れられ,その賠償金と夫の保釈金を稼ぐため,葬具屋と組んでやむなく始めたのだ。
傷害事件の被害者から高額な治療費を請求され,その場しのぎの嘘泣きで難を逃れたグイを見た葬儀屋が彼女の才能に気付き,この商売を始めさせたわけだが,最初は気乗りしなかったグイも,やがて売れっ子となり,他人の不幸を見つけては奔走するのを生きがいとするようになる・・・
働かない役立たずの夫と働き者の妻というパターンは,『香魂女』『麻花売りの女』など,これまでにもいくつか見られたが,違法滞在した北京では近所の子供を借りて,街頭で違法DVDを売ったり,亭主が刑務所に入ると葬儀屋と愛人関係になったりと,主人公のグイのキャラクターがあまりにもけばけばしくて,たくましすぎて,ついていけない部分がある。ラストで本当の涙を流すまでは,彼女に感情移入しにくく,全体に情感が乏しい気がする。
劉冰鑒監督のデビュー作『硯』が,蘇州の古い町並みの風景をうまくはさみながら,落ち着いて静かに進んでいったのに比べ,この作品は落ち着きがなさすぎるな。ただ,主人公を取り巻く人々の姿を通して,現代中国の姿・価値観を垣間見ることができたことが収穫だと思う。
(2002年カナダ・フランス・韓国合作/監督:劉冰鑒(リュウ・ビンジェン)/2004.6.28横川シネマ)
南京1937
「1937年盧溝橋の一発の銃声から勃発した日中戦争は,20万の日本軍が中国に侵攻した。12月13日首都南京が陥落した日,その混乱の中で日本軍は30万の中国人を虐殺,2万の婦女子を陵辱し,城内の建造物の三分の一を破壊する暴挙を起こした。」これが,映画の冒頭のテロップである。
最初,中国が日中戦争終結(勝利)50周年を記念して製作したこの映画に対し,中国側から見た南京大虐殺を描き,日本の非道さを世界に広めるための記録映画的なものだと思っていた。
映画を見るとそうではないことがわかる。確かに,万人坑での大虐殺のシーンや国際難民キャンプに押しかけて働いた集団暴行事件など日本人として目を覆いたくなるような恥ずかしいシーンがいくつかある。しかし,映画で描かれているのは,そこで生きていこうとする人たちの人間ドラマである。
戦火激しい上海から南京に逃れてきた中国人医師・成賢と身重の妻で日本人の理恵子(早乙女愛)夫婦,それにそれぞれの連れ子,小陵と春子という,この時代としては最悪の国際結婚の家族を襲った悲劇を縦糸に南京大虐殺を描いているが,呉子牛監督が描こうとしたのは,こんな時代でも助け合って生きていく中国人と日本人がいたということだ。日本と中国は今後,不幸な時代を乗り越えて,お互いが助け合っていかねばならないと言っているのだと思う。
生まれてきた子に理恵子が「南京」と命名したのが救われた気がした。
(1995年中国・香港/監督:呉子牛/出演:早乙女愛/2003.8.7video)
女人故事(女人的故事)
貧困から抜け出したくて,また,村の封建的な習慣に縛られているのを嫌った三人の女たちが,都会へ行商に出かけて旅をするうちに,自立心が芽生え,たくましくなっていく・・・
毛糸を入れた大きな風呂敷包みを背負って,万里の長城の麓の村を後にした三人の女たちは,それぞれ,つらくて重い現実も背負っていた。中年の来子媽(ライヅマー)は,長男に嫁いだため,四人の義弟たちの結婚資金を稼がなければならない。小鳳(シャオフォン)は,母と三人の妹たちの生活を支えるために,大黒柱として働かなければならない。若い金香(ヂンシィアン)は,兄の嫁取りのための交換結婚で,兄嫁の弟(口の不自由な)と無理やり結婚させられたが,そこから逃げ出してきた。
彼女たちは,生まれて初めて出た大都会・北京で,都会の人に騙され散々のスタートを切るが,それにへこたれることなく,重慶に移動し,露店で商売をするうちに,次第にコツをつかんでいく。
重慶では,仕事をするばかりでなく,ケーブルカーに乗ったり,美しい夜景を見たりして,生きる楽しさ,遊ぶ楽しさも知った彼女たちは,だんだん考え方が都会的になり変化していく。
そして,ラストの力強い彼女たちの姿が,とても印象的です。稼いだ金を持って村に帰り,村人たちに都会の話をしているところへ,金香に逃げられた夫が,助っ人を連れて金香を連れ戻そうとやって来ますが,来子媽と小鳳は,金香を支え,共に男たちに立ち向かおうとします。彼女たちが立ち向かおうとしているのは,実は男たちに対してではなく,村の古い因習に対してであるのかもしれない。  1995年NHKテレビ中国語講座放映作品。
(1987年上海映画製作所/監督:彭小蓮(ポン・シャオレン)/出演:張min(小鳳)/映像文化L,2004.4.8renewal)
野山
陝西省の山奥の貧しい農村で,性格が合わない二組の夫婦がいろいろドタバタを経た後,最終的にお互いの夫と妻が入れ替わるという話。背景となるのが生産隊長まかせで貧しいがのんきだった時代が終わり,土地の分配により,個人の努力や才覚で成功がつかめることから,人々が皆,金儲けに走った改革開放の時代だ。
山奥の農村でも,そうした改革の時流に乗ろうとする禾禾(ホーホ)は,次々と新しい事業を手がけるが,いずれも失敗し,妻の秋絨(チュウロン)からあいそをつかされ,家を追い出されてしまう。事業成功への夢を捨てきれない禾禾は,仲人の灰灰(フイフイ)の家にしばらく世話になりながら,新たに養蚕やモモンガの飼育などの事業を始める・・・
灰灰は実直で人がよくて勤勉な働き者で,農民は農民らしく生きることを信念としている。妻の桂蘭(グイラン)は,反対に気が強く,活発的なタイプだ。
桂蘭は,禾禾からの共同事業の申し出や保証人の要請を断る夫の保守的なところが気に入らず,こっそり自分のへそくりを渡してやるばかりか,毎日,禾禾の事業を手伝いに出かける。一方の灰灰は,女手一つで小さな子供を背負って農作業をする秋絨の手伝いをし,彼女の子をあやしたり,昼飯をご馳走になったりして,ひとり幸福感にひたっている。
夫のことは顧みず禾禾の事業のことばかり気に掛ける桂蘭と,禾禾には関わりたくない灰灰との夫婦仲は次第にこじれてきて,別居するようになる。狭い村では,桂蘭と禾禾の仲が噂になり,ある日,桂蘭がひとりで町へ出かけたのを知った村の人々は,禾禾と駆け落ちしたのだと噂し始める。
村に戻ってきた桂蘭は,事の成り行きに驚く。彼女を見る村人の目は冷たく,夫の灰灰でさえ妻の無実を信じようとしない。ついに,灰灰と桂蘭は離婚し,灰灰は,前からお互いに好意を寄せていた秋絨と再婚する。
その後,町で大金を手にし,トラクターを購入した禾禾が村に戻って来て,自分のよき理解者である桂蘭を妻として迎えることにし,ここに最終的にお互いの夫婦の入れ替わりが成立する。野心的な夫婦と保守的な夫婦の組み合わせに落ち着くが,まあ,収まるところに収まったって感じだな。
文化的,経済的に立ち遅れた山あいの農村に押し寄せる近代化の波,そうした変革の時代における新しい考えの人間と古い人間の意識の対立とそのために起こる葛藤をコメディタッチに描いている。
(1985年西安映画製作所/監督:顔学恕/出演:辛明(灰灰)/1986.2映像文化L,教育TV,2002.3.29renewal)