14b「す」〜「そ」で始まる作品


 
水滸伝(水滸伝)
宋朝末期,山東の梁山泊に宋江を首領として集まった108人の義賊たちの活躍を描いてはいるが,中国の古典物語・「水滸伝」とは話の筋は一致していない(と思う)。
梁山泊の義賊たちは正義の味方を旗印にして奪った富で貧民を救って人心を掴み,その評判でさらに人が集まって勢力が拡大していた。それに不安を募らせていた宋朝の悪徳大臣・コウキュウは梁山泊に謀反の兆しありと皇帝に進言し,討伐軍を派遣したが失敗する。このため,コウキュウは宋江を武術大会に招待して暗殺しようと計画する。
梁山泊の山や岩場や石段での乱闘シーンや,さらわれた宋江を一人で探して救い出そうとする燕青の武術,さらには魯智深ら梁山泊の豪傑の代表と大臣側の武術代表とが泰山の武術大会で闘うといった格闘シーンばかりで,物語性が少なく,梁山泊の豪傑たちの個々の人間性を描くこともしていない。
泰山の武術大会のところは,物語の「燕青が泰山の奉納相撲で天下無敵の任原(じんげん)に勝つ」という件に少し似ている気がしないでもないが,かかる格闘娯楽映画に『水滸伝』という題名をつけるというのはいかがなものか。
(1983年中国・香港/監督;馬成/2002.6.5video)
スケッチ・オブ・Peking(民警故事)
1994年,戌年(これって後に出てくる野犬狩りに関係するんだろうか?)。北京市西城区徳勝門分署を舞台に,そこで日常起こる小さな事件の対応に忙しく追われるお巡りさんの苦労話。
主人公は勤続7年目のベテラン,楊国力(グオリー)。仕事熱心で家に帰れない日が続き,妻の不満は募るばかりである。彼は新人の王連貴を連れて管内パトロールをしながら仕事を教えている。地区警察の仕事は,住民委員会のおばさん主任と連携し,「戸籍に基づき治安を管理し,地区の安全に努める」ことだ。でも,実際は食事と排泄以外のことは,すべて処理しなければならない。
「野犬狩り」もその一つだ。犬が人を咬む事件が続発し,ある日,分署の警察官を総動員して捕獲作戦を展開することになった。大勢の警官がこん棒を片手に,走って犬を追いかけ回すところは,なんとも滑稽だ。でも,結局,捕獲などせずにいきなり殴り殺してしまうところがいかにも中国らしい?
容疑者に対する尋問の様子もおもしろかった。特に路上のトランプ賭博で逮捕した陝西省出身の出稼ぎ農民の取り調べ。『秋菊の物語』の秋菊と同じ村の出身か,なんて訊き方ある?おまけに,北京へ告訴しに来たのかだって。ずっとしゃがませたまま尋問するなんて日本では考えられない。訛がひどいからって埃のたまった机の上に字を書かせたり,インチキの手口を見抜こうとして容疑者に何度も実演させてみたが結局分からなかったところも笑わせる。
寧瀛(ニン・イン)監督は『北京好日』に続き,この作品でも北京の下町の人情と風俗を街頭ロケに重きを置き,ドキュメンタリータッチで軽妙に描いている。今回の作品にも,大勢の素人(警官)を登場させている。彼らの行動は,演技なのか,それとも日常のままなのか,それがわからないくらいおもしろい。
映画の冒頭で,国力と連貴が自転車に乗ってかなり長い間,管内パトロールをするシーンがあるが,その中で古い家が壊されて高層ビル建設予定地になっている土地の側を通ったり,四合院の家並みの先に高層ビルが林立している様子を俯瞰で我々に見せるシーンがある。改革開放により変わりゆく北京で,取り壊され失われていく大切なもの,それは人でもあり建物でもあるのだが,寧瀛監督はそういったものを忘れないようにスケッチとして残しておきたかったのではないだろうか。いずれにしても,北京の街の風景がふんだんに出てくる寧瀛監督の映画,ぼくは好きだ。
(1995年北京映画製作所/監督;寧瀛(ニン・イン)/2001.5.8video)
(硯床)
「中国初の官能ミステリー」と説明書きが付いていたので見るのを少しためらっていたけど,全然,そんないやらしい映画ではないです。
蘇州のある古い屋敷の庭に,青石岩でできた,二人の大人が寝られるくらいの大きな硯があった。この屋敷にひとりで住んでいる,足が不自由で外出もままならない老女が,数百年も前からある,先祖伝来のこの大硯を守っている。
この大硯が欲しくて,遠くから老骨董屋が何度も訪ねて来たが,彼女は決してそれを売ろうとはしなかった。そう,彼女にはこの硯を売れない秘密があったのだ。なじみになった老骨董屋に,彼女は少しずつ若き日の自分と硯のことを話し始める・・・
現在と過去,その合間に蘇州の落ち着いた古い町並みの景色をはさみながら,映画は,ある一定のトーンで静かに落ち着いて進んでいく。
彼女は17歳の時に,代々,青石岩の売買を営むウー家の跡取り息子のところに嫁いできた。裕福なウー家で,優しい夫と暮らす彼女は幸せだった。ただ一つの点を除いて・・・実は,夫は性的に不能だったのだ。
彼女は夫に次々と薬を飲ませるが,どれも効き目がなかった。子供ができなければ両親から財産を分けてもらえないため,悩んだ末に夫は,使用人のアーケン(阿根)から子種をもらうことを提案し,彼女は泣く泣くそれに応じる。
アーケンとの一夜が明けて,朝,彼女が鏡を見ながら髪を梳くシーンが印象的です。妖しい笑みがなんとも言えない。 夫との楽しい新婚生活の時にも見せなかったような微笑みです。以後,彼女は夫を愛しながらも,体はアーケンを求めてしまうことになります。それを知った夫は激しく嫉妬し,一気にラストへと進みます。
硯の秘密は観てのお楽しみ。でも,ミステリーよりは,落ち着いた蘇州の町並みの方が印象に残る映画でした。
(1996年北京青年映画製作所/監督:劉冰鑒/2003.9.26video)
スパイシー・ラブスープ(愛情麻辣湯)★★★★★
音で作ったラブレターを送る少年の淡い恋の話から,退職後の伴侶をテレビで募集した老婦人の話まで,いろんな世代の現代風の恋物語を全5話オムニバス形式で綴る。
映画は,これから結婚しようとするカップルが火鍋(これが麻辣湯?)を食べているシーンから始まり,このカップルが結婚にこぎ着けるまでのエピソードが五つの話をつなぐ役目をしている。
一番好きな話は,倦怠期を迎えた夫婦が,妻の誕生日に買ったおもちゃがきっかけで又仲良くなる話。
夫が帰宅しても夫婦は必要最小限の会話しかせず,食事をした後はそれぞれ勝手に好きなことをするというシーンは身につまされる思いがする。妻の誕生日以後,この夫婦はいろんなおもちゃを買ってきては遊ぶのだが,中でも操り人形を操りながら二人で踊って遊ぶシーンがとってもいい。
オムニバス形式の映画としては,以前,新婚アパートに住む6組の夫婦の日常を描いた「北京物語」があった。それも秀作だったが,こちらは,それよりテンポがよく,より現代感覚にマッチしていると思う。
(1998年西安映画製作所/監督:張揚/出演:徐帆,郭涛《第3話》,呂麗萍,プー・ツンシン《第4話》,邵兵,徐静蕾(シュー・ジンレイ)《第5話》/2000.6.26video,教育TV)
正義の行方(被告山杠爺)
四川省の山奥の村で共産党書記の老人は,村の掟と人望で30年間犯罪もなく納めてきた。姑を虐待する女をこれまでと同じようにみんなでつるし上げたら自殺してしまった。今までなら治外法権だったのに,今回は密告した者がいて司法の調査が入り,書記が逮捕されることになる。
30年間自分のしたことが国の法律に触れることを通告され落ち込む書記は,さらに密告したのが町の寄宿学校にいる自分が一番かわいがっていた孫で,動機は法律と書記とどっちが正しかったを知りたかっただけだと知る。
(1994年峨眉映画製作所/監督:範元/教育TV)
青春祭(青春祭)★★★★★
文革の時代,17歳で都会から雲南省のタイ族の村に下放させられた李純(リーチュン)は,合作社の長を務めるターディエ(おとうさん)の家にお世話になることになった。その家には,ターディエのほかに,狩りの好きなたくましい息子の大哥(ターガー=お兄さん)と,90歳を超えた魔法使いみたいなおばあさんのヤーがいた。
いつも灰色の服とズボンを着ていた李純は,最初,自分を着飾ることが大切だと思っているタイ族の娘たちから除け者にされていた。文革中に教えられた価値観とは異なる,「美しいもの」を大切にし,恋歌を唄って積極的に愛情表現をする価値観も世の中にはあるということに気付いた李純は,くすんだ灰色の服を脱ぎ捨て,タイ族の衣装を身に着けることにより,タイ族の娘たちに受け入れられ,次第に村の生活に溶け込んでいく・・・
だんだん村の生活に溶け込みながらも,李純は時々,家のことを想い出す。そして,繕い物をしながら,”♪太〜陽,媽〜媽♪(タ〜ァイヤン,マ〜マ)”と,涙ぐみながら口ずさむ。その歌を聴いた近所の子供が「お姉ちゃん,お家に帰りたいの?」と問うシーンが物悲しい。
全体をまとめるとすれば,文革で下放された少女が,美しい亜熱帯の自然の中で,自分に素直な行き方をする,やさしい村人たちの心に触れることで,都会での政治闘争に明け暮れて,傷つき挫折した自分の心の傷が癒されていく・・ということになるだろうか。
題名からして,「青春へのレクイエム」ということで,総じて,感傷的な映画である。ラストで,都会に戻り大学に入った李純が,何年か後,再び村を訪れたとき,村が山津波に呑み込まれ,跡形もなくなっていたことを知り,愛する自然,それに愛する人たちを失った悲しみで,泣き崩れるシーンがそれを代表している。
そのほか,この映画には,後に作られる「下放」をテーマにしたいくつかの映画にそのエッセンスを提供しているなという箇所が見受けられる。まず,「青春時代に下放された村を再訪する」というのと,「その村が,山津波ではないがダム建設による水没でなくなる」というのは,『小さな中国のお針子(02)』に見られるし,『小さな・・・』には,本作と同様,「滝のある池で女たちが泳ぐシーン」も出てくる。
『延安の娘(02)』の主要なテーマである,「下放した女子学生が男に犯された」という話も本作では,李純と隣村に下放されていた知識青年・任佳(レンヂィア)の会話の中に出てくる。さらに,李純が住むことになったターディエ(おとうさん)の家の造りが『火の鳥(97)』に出てくる白(ペー)族の村の家と内部が似ているなあとも思った。まあ,それらの映画,それぞれの監督がこの映画を真似したかどうかはわかりませんけど・・・
1990年NHKテレビ中国語講座放映作品
(1985年北京電影学院青年映画製作所/監督:張暖忻/教育TV「アジア映画劇場」,2004.6.26renewal)
西洋鏡(西洋鏡)
1902年,清朝末期の北京。中国に初めて映画(西洋鏡)を持ち込んだイギリス人レイモンドと,彼が開いた「活動写真」館で初めて映画を観た瞬間からその魅力に心を奪われた中国人青年リュウ・チンロン(劉京倫)の二人が,北京の人々に映画という娯楽を広めていく様子を描く。
好奇心旺盛なリュウは,活動写真の魅力とレイモンドの西洋的な考え方にどんどん感化されていきます。中国に単身乗り込んだ西洋人が,中国人を西洋文明に感化させるというパターンは,『ラストエンペラー』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』に代表されるよう,これまでにもいくつかありましたが,この映画,教師役?のレイモンドの描き方が少し弱いですね。これは,先の2作品と違い中国映画だからでしょうか?主役は完全にリュウです。
老舗の写真館で働きながら,こっそり「活動写真館」を手伝うリュウが前半の中心です。そのことが写真館の主人にバレたのと,主人が勧める裕福な未亡人との縁談を断ったのが原因で仕事を首になりますが,活動写真の方はだんだんと世の人々の支持を得ていきます。
ストーリーが平板だからでしょうか,次第に繁盛していく活動写真館と対比させて,「衰退していく中国」の代表として,老舗の写真館の主人と京劇俳優を絡ませています。また,リュウが心惹かれているのが京劇界の大スター・タン(譚)の娘のリン(小凌)という風な人間関係になっています。
さて,その「活動写真館」「老舗の写真館」「京劇俳優」の三者が一同に顔を合わせるのが,紫禁城で行われる西太后の誕生日を祝う式典というクライマックスになります・・・
全編を通じて,雰囲気・色調的にもノスタルジックな「郷愁」を誘う感じの仕上がりです。初めて活動写真(西洋影戯)を見た中国人たちの感動が,たぶんそんな風だったんだろうなあ,という感じで伝わって来ます。
『北京ヴァイオリン』で主人公の少年のユーモラスな父親を演じた劉佩g(リウ・ペイチー)が,ここでは老舗の写真館の主人という落ち着いた役をしてます。同一人とはすぐには気がつきませんね。リュウを演じているのは,夏雨です。『太陽の少年』の頃の面影がまだ残っています(『再見(ツァイツェン)〜また逢う日まで』の時にはもうすっかり変わっていましたが)。そうそう,呂麗萍も出てます。有名俳優が割と出てますね。
(2000年アメリカ・中国/監督:胡安/出演:夏雨,劉佩g,呂麗萍/2004.6.16DVD)
絶響(絶響)
「絶響」とは,楽譜が散逸し,後継者がなく,今に伝わらない音楽という意味。
自分の曲を「絶響」にさせまいとする不遇な音楽家とその息子の屈折した心理を描いている。広東音楽がとてもきれいで,印象に残る。『古井戸』で張芸謀の恋人を演じた梁玉瑾が主人公の異父妹役で出ています。
1989年NHKテレビ中国語講座放映作品
(1985年珠江映画製作所/監督:張沢鳴/出演:梁玉瑾/1986.2映像文化L,教育TV)
戦場に咲く花(葵花劫)[日本語+中国語]
日中戦争末期の1944年秋の満州(長白山地区)。「伊馬廟」という名の小さな満鉄の駅で日本軍人が殺害される事件が起こった。殺されたのは菊地浩太郎(緒形直人)。彼は,馬術競技でベルリンオリンピックに参加したこともある「国民的英雄」であったが,戦争で負傷し,この駅に助役として赴任させられ,療養中の身であった。
菊地の死体は風呂場で発見された。この時,駅には日本人の菊地のほかには,4人の中国人(駅長とその妻,力持ちの男,孤児の少年)がいただけだった。事件の捜査にやって来た憲兵隊の容疑者への尋問,犯人探しがサスペンスタッチで展開される。
調べが進むにつれ,4人がそれぞれ菊地を殺す動機を持っていたことがわかるが,日本軍の厳しい取調べを受けても4人は誰も自分が殺したとは言わない。さらに捜査が進むに連れ,英雄・菊地の孤独,寂しさ,軍人としてのプライドなど,隠された素顔もだんだんと明らかになってきて,彼が自殺した可能性も出てきて捜査は混沌とする。しかし,平田満演じる憲兵隊長としては,上層部から,犯人を送検する日を指定されたため,とにかく誰でもいいから犯人に仕立て上げなくてはならなくなる・・・
この映画は,日本軍の残虐シーンにより反日を煽る映画ではなく,戦争に翻弄される人々を描くことにより,戦争の愚かさを静かに訴える反戦映画であり,中国映画としては,特異なものでしょう。また,中国人の監督にしては,日本人の心の内側までよく演出できていてビックリします。映画全体の雰囲気も,非常に日本映画っぽい中国映画という感じです。
『戦場に咲く花』とは,映画を見ればすぐわかるとおり,「ひまわり」のこと。菊地は内地に住む妹の春子から送られてきた種をまいて,ひまわりを育て望郷の念に浸ります。原題の『葵花劫』の「葵花」はひまわりのこと。「劫」は何と訳すのがいいのかちょっと思い当たりません。英語の題は「Sunflower」だけですね。
孤児の大頭辮(ダートウピエン)の役は,『あの子を探して』の学校一の悪がきホエクー(張慧科)でした。お馴染みの「声を上げて泣くシーン」は,変わっていませんでしたね。日本語が多いので,全編に中国語字幕も付いているのが,中国語学習者には嬉しいところです。
(2000年中国・日本/監督:蒋欽民/出演:緒形直人,平田満,王学圻(駅長),張慧科/2004.1.15video)
戦争を遠く離れて(遠離戦争年代)
抗日戦争で死んだと思っていた恋人の消息を知り,彼女を訪ねて旅に出る老人を現在と過去を織り交ぜて描く。
(1987年八一映画製作所/監督:胡mei/出演:王学圻/映像文化L)
双旗鎮刀客(双旗鎮刀客)
『ヘブン・アンド・アース(03)』の何平監督が,『ヘブン・・』の10年以上前に作った,おそらく,中国で最初?のウエスタン。
題名を見ても最初はピンとこなかった。よくよく考えると,「双旗鎮(そうきちん)」というのは,村の名前で,村の中ほどに,二本の高い旗が立っているので,こう呼ばれるのであろうか。日本風に訳せば「双旗村」という意味。「刀客(とうきゃく)」というのは,まあ「剣客」という意味かな。全体として,「双旗村の剣士」というイメージでしょうか。
映画の内容は,父の遺言で許嫁を嫁にもらうため双旗鎮にやってきた少年剣士ハイコー(孩哥)が,酒屋で許嫁のハオメイ(好妹)を犯そうとしていた客を倒したところ,それが辺り一帯を支配している悪徳集団の頭目イータオシエン(一刀仙)の弟分だったため,その復讐に来たイータオシエンと決闘しなければならなくなったというもの。
この映画に人生の感動というものを期待してはいけない。やはりこれは中国版娯楽西部劇です。陳凱歌や張芸謀など第五世代の監督が,政治的メッセージを秘めた映画を作って世に問うていた時代に,こういう娯楽映画を作った何平監督には敬意を表すべきでしょう。
イータオシエンは,『上海家族(02)』で呂麗萍の再婚相手「ケチの李さん」を演じた孫海英の10年前の姿ですが,気付きませんね。
(1990年西安映画製作所/監督:何平/出演:孫海英(一刀仙)/2000.9.24video,2005.6.25renewal)
孫文(孫中山)
近代中国の父といわれる孫文の生誕120周年を記念して作られた,その半生を描く歴史大作。清朝末期,中国大陸では欧米列強に日本も加わって,その権益の獲得に夢中になっていた。祖国の窮状を憂い,それを救済するためには革命しかないと考えた孫文は,1895年,広州で蜂起したが失敗し,日本に亡命する。
日本では宮崎滔天(大和田伸也)や犬養毅(今福将雄)らと親交を深めながら,有力者の支持を集め資金調達をはかり,1900年,2度目の蜂起をするが失敗し,その後も中国各地で幾度となく蜂起したが,ことごとく潰されていき,多くの同志を失っていった。1911年,武昌での蜂起がついに勝利を収め,辛亥革命が成功し,孫文は中華民国の臨時大総統に就任したが,軍事力を握る北京の袁世凱にその地位をすぐに取って代わられ,わずか3ヶ月で下野する。
孫文は,日本へ亡命し革命闘争を続け,その後は新たに共産党との協力も模索して,広州で開かれた第1回国民党全国代表大会で国共合作を実現する。そして,軍事力強化のために黄埔軍官学校を設立するなどして革命がようやく軌道に乗り始めた矢先の1925年3月,癌に蝕まれていた孫文は志半ばにして没してしまう。革命未だ成らず・・・
日本公開版は,中国国内版を1時間近くもカットしている。その穴埋めにナレーションや字幕による説明を多用したため,映画が歴史の上辺だけを辿った平板な仕上がりになっている感が拭い切れない。同じ時代の歴史を扱かったメイベル・チャンの『宋家の三姉妹』と比べると,ドラマ性に欠けるという気がする。
日本人を抗日戦争の敵役(日本鬼子)として描くことの多い中国映画の中にあって,日本人を中国を支持する盟友として好意的に描いている点は,特筆すべきだ。しかし,それは監督の真意か,それとも映画の製作に出資した日本に気を使ったものかはわからない。日本ロケのシーンが全体の3分の1を占め,さして重要な役とは思えない中野良子が何度も登場していることや,赤坂で中華同盟会が発足した時に感極まってすすり泣く宮崎滔天に対し,孫文が「あなたも古くからの中国の盟友だから」と署名を求めるシーンなど,日本公開版の作成に当たって意図的に編集したものと思えてならない。中国国内版で全編を見ると,また違った感じを受けるのかもしれない・・・
(1986年珠江映画製作所/監督:丁蔭楠/2002.3.13video)