張芸謀(チャン・イーモウ)監督 <第五世代>


紅いコーリャン(紅高梁)
1920年代の中国の農村(山東省か?)。九児(チウアル)はラバ1頭と引き替えに五十を過ぎたハンセン病の造り酒屋の主人のところへ嫁がされることになった。嫁入りの輿がコーリャン畑にさしかかったとき,強盗に襲われ,九児はさらわれそうになる。その危機を救ったのは輿を担いでいた男・余(ユイ)だった。嫁いで3日目に慣例により実家へ帰る途中の九児を再び覆面の男が襲うが,今度の男は余自身だった。二人はコーリャン畑の中で結ばれる。そして,九児が実家から造り酒屋に戻ってみると,主人は何者かに殺されていた・・・
張軍剣の『一人と八人』,陳凱歌の『黄色い大地』『大閲兵』の撮影で世界中にその名を馳せた張芸謀が初めて監督した作品。
陳凱歌の作風とは異なり,非常にダイナミックで躍動的で力強い印象を受ける。まず,嫁入りの輿を大きく揺らす「花嫁いじめ」のシーンに我々は興奮させられる。輿を担ぎながら踊る人夫たちの動きやラッパを始めとするにぎやかな楽器の音,それに「花嫁さんは大ブスで,新郎こそは身の不運・・」と花嫁をからかって唄う歌によって,民族色豊かな寓話的世界の中に引き込まれていくのだ。
さらに,「赤」を前面に押し出した強烈な色彩イメージの映像に驚かされる。嫁入りする九児の乗る赤い輿に始まって,花嫁の衣装,太陽,それにコーリャン酒も赤。これでもかというくらい「赤」を見せつけられる。
後半は日本軍との戦いが主になる。しかし,張芸謀が描こうとしたのは,日本軍の残酷さではなく,それに対する中国人の団結心=義の心ではないだろうか。酒屋を引き継いだ九児とそこに押しかけて来て無理やり亭主に収まった余との間にできた子供・豆官(トウクアン)が9歳になった頃,この辺りに侵攻して来た日本軍は,見せしめのため抗日ゲリラを処刑しようとする。その中にはかつて造り酒屋の番頭だった羅漢(ルオハン)の姿もあった。
羅漢の前に匪賊の頭目・サンパオが処刑される。日本兵からサンパオの皮を剥ぐよう命令された肉屋は,自分の命と引き替えにサンパオをひと思いに刺し殺して楽にしてやるのだった。この辺り,『一人と八人』のラストに似ている。俳優は同じ"zhai春華"。九児は余と使用人たちを指揮して,羅漢の復讐をしようとする。決行前夜,コーリャン酒を飲みながら,余が音頭をとって歌い自らを奮い立たせた彼らは,日本軍への復讐戦で,ついにトラックを爆破することに成功する。しかし,九児は銃弾に倒れ,余と豆官だけが生き残る・・・
後半も「赤」の基調色は変わらない。本来は透明な酒であろうコーリャン酒を赤い色にしたのは,血をイメージしていたのかとやっと気付く。戦闘が終わり,生き残った余と豆官が立ちつくす印象的なラストシーンを迎える。日蝕が始まり二人の顔がほとんどわからないほど全体が夕陽で赤く染まる・・・
(1987年西安映画製作所/監督:張芸謀/出演:姜文,コン・リー,滕汝駿(羅漢おじさん),zhai春華(肉屋)/サロンシネマ,2001.7.23renewal)
ハイジャック(代号美洲豹)
台北からソウルへ行く飛行機がハイジャックされ,中国に緊急着陸し,人質の救出に人民解放軍と台湾部隊が共同作戦を展開する。
(1988年西安映画製作所/監督:張芸謀/出演:王学圻,コン・リー/映像文化L)
菊豆(チュイトウ)
1930年代の解放前の中国で大金を積まれ50才を過ぎた染物屋の元に嫁いだ女の物語。
スクリーンを垂直によぎる見上げるばかりの染め布が極彩色に彩られ,さまざまに組み合わされながら繊細で力強い心理描写に結実している。
(1990年日中合作/監督:張芸謀/出演:コン・リー/映像文化L)
紅夢(大紅燈篭高高掛)
「紅いコーリャン」,「菊豆」に続く,コン・リーの嫁入りシリーズ三部作の三作目。
1920年代の中国。家庭の事情で,大学を中退し富豪の第四夫人として嫁入りしなければならなくなった19才の頌蓮が,高い塀に囲まれたレンガ造りの閉鎖的な大邸宅の中で,他の妾たちと織りなす嫉妬,憎悪の物語。
大旦那が夜を過ごす妾の家だけに灯される紅いたくさんの提灯の象徴的な色彩の使い方が「紅いコーリャン」「菊豆」の延長線上にある。
この作品では,他の2作品に比べコン・リーの自我の強さ,強烈な個性が目立つ。そして,ものを言わないが,邸宅の建物が重く,荘厳な雰囲気を出している。その邸宅を屋根の上からシンメトリーな構図でとらえ,また正面からの効果的なアップを使ったりと,さすがカメラマン出身の張芸謀と感心させられる芸術的な映像造りをしている。
(1991年香港・中国/監督:張芸謀/出演:コン・リー,何賽飛(第三夫人),孔琳(第二夫人の召使)/2000.4.17video)
秋菊の物語(秋菊打官司)
陜西省のある農村で一人の妊婦(秋菊)が,言い争いから夫の股間を蹴り上げてけがをさせた村長を訴えるため,都会に行き,慣れない警察や公安局,裁判所をかけまわるというストーリー。
張芸謀は,これまでのイデオロギーを前面に押し出した激しい作品から一転して,人間を描くことを中心に置き,秋菊を通して,変化しつつある現代中国を見つめ,その底辺で一生懸命生きる人々を温かく描いている。
あらすじをどこかで読んでいたので,告発ものかと思い込み,『正義の行方』『息子の告発』と比べながら見ていたら,完全に肩すかしをくった。
美人女優のコン・リーに着ぶくれした野暮ったい身重の農村女を演じさせ,映画をコメディータッチに仕上げ,撮影もドキュメント風なシーンをかなり取り入れている。それはそれで作品としてはおもしろいのだが,果たして張芸謀の映画としては,これでいいのだろうか?
(1992年香港・北京電影学院青年映画製作所/監督:張芸謀/出演:コン・リー,劉佩g(夫)/2000.5.16video)
活きる(活着)★★★★★
40年代後半の国共内戦の頃から新中国成立,大躍進運動,そして文化大革命へと続く激動の時代を懸命に生き抜いていく,ある家族の物語。
この映画は94年の製作だが,日本で公開されたのは2002年になってからだ。文革をテーマにし,93年の東京国際映画祭でグランプリを受賞した田壮壮監督の『青い凧』が,同映画祭への出品をめぐって中国側とトラブルが発生していたというから,同じく文革を扱ったこの映画の上映を配給元が自粛していたというのがやはり真相だろうか。
これまでの文革映画が,反右派闘争や文革で批判を受けて投獄されたり労働改造に送り込まれた人間,或いはその家族の悲劇を描くことが多かったのに対し,この映画では,主人公の福貴(フーグイ)やその家族は政治運動による直接の迫害は受けていない。ただ,一連の政治運動が原因となり,夫婦は二人の子供を失ってしまう。
しかし,福貴夫婦は一家に次々と襲ってくる悲劇に対し,「あの時こうしていなければ・・・」と自らの行為を反省こそすれ,それを党の政策のせいにはせず,どんな政治的状況の中でも悲観的になることなく前向きに生きていく。そのたくましさというか,奔放さというか,体制順応性をもって,社会の末端の庶民が活きていく姿をユーモラスに描いているため,同じような悲劇を描いても,『芙蓉鎮』や『青い凧』に比べて肩が凝らない。
妻が自殺し,自身も闘争の標的にされ,活きる気力を失っている春生(チュンション)区長を,福貴夫婦はくじけずにしっかり活き抜く(好好儿,活着)よう励ますが,そこでも,「うちに,借り(息子の命)があることを忘れないで。」とユーモアを忘れない。『芙蓉鎮』には,10年の懲役の判決を受けた姜文が,泣き崩れる劉暁慶に向かって,「ブタになっても活きぬけ」と励ます感動的なシーンがあるが,それとつい比べてしまった。
さらに,張芸謀は,土法炉(どほうろ)で粗悪な鉄を作ることに熱中する人々や,人民服を着て革命歌を歌い毛主席に敬礼する結婚式の風景などを滑稽に描くことにより,当時,誰もが妄想していた共産主義を随所で皮肉っている。
これといった悪役が登場しないというのもこの映画の特徴だろうか。息子を事故死させた区長が最高に悪いヤツなんだが,権力でもって事件を握りつぶそうとはせず,一生そのことを気に掛けているこの区長が,実は映画の中で一番律儀な人間なのだ。じゃあ,誰が悪くてこんな不幸が起こったの,といえば,それは当時の体制が悪いのだということに帰結するのだろうか。
『秋菊の物語』から変わったとされる張芸謀の作風だが,この映画でも強烈な色彩表現や様式美にはあまり固執しておらず,初期作品と比べると変化してきたことがわかります。また,博打に現を抜かす道楽息子から貧民に転落し,ラストの孫を可愛がるやさしいおじいちゃんまでを個性豊かに演じた主役の葛優(グォヨウ)の演技がやはり印象に残ります。そのおかげで,彼の妻・家珍(チァチェン)の役で出ているコン・リーがあまり目立たなくて,却って映画全体としてはよかったんじゃないでしょうか。
(1994年中国/監督:張芸謀/出演:葛優,コン・リー,姜武(娘婿),郭涛(春生),黄宗洛(福貴の父),牛犇(町長)/2002.6.8シネツイン)
上海ルージュ
1930年の上海を舞台に,黒社会の首領の囲い者である歌姫の運命を7日間という時間の中でその召使いとなった一人の少年の視点から描く。
(1995年上海映画製作所/出演:張芸謀/出演:コン・リー)
キープ・クール(有話好好説)
張芸謀監督が初めて都会(しかも現代の北京)を舞台にして撮った作品。同じく都会を舞台にした2002年製作の『至福のとき』の方が日本公開の順序としては,先になる。
露店で本屋を営む主人公・趙小師は,別れた恋人・安紅(アンホン)が忘れられず付きまとっていたが,ある日,街で見知らぬ男達(実はアンホンの新しい彼氏・ドロン劉)から袋だたきにあう。趙は,その時,たまたまそこに居合わせた中年男・張秋生から買ったばかりのパソコンの入った鞄を奪って,男達に投げつけたことから三男一女の奇妙な関係が始まる。
ドロン劉への復讐に燃える趙と,趙にパソコンの弁償をせまる張。その後,張の尽力でドロン劉から二人が賠償金をもらうことになり,二人して彼を待ちうけるレストランで起こる珍騒動と事件の意外な結末・・・
アンホンの服や趙のサングラス姿のほか,携帯電話にパソコン,高規格道路に高層マンションそれにディスコ,カラオケなど現代中国事情もてんこもりで,これらが目が回りそうなカメラワークで進む。
面白いんだが,張芸謀映画の本流からは少し外れているという気がする。初めて見て,これが張芸謀作品だと気付く人はいないんじゃないだろうか。製作意図としては,『HER0』に似ている気がする。おれは,農村映画ばかりでなく,都会映画も作れるんだぞ,武侠映画・アクション映画だって撮れるんだぞ,と張芸謀は言いたかったのかも・・・
『キープ・クール』という邦題は,英語の題名をそのままカタカナにしただけで,芸がない。訳せば「冷静になれ」とでも言うんだろうか。原題の『有話好好説』を訳すと,「話せばわかる」となる。レストランで,張が,復讐ばかりを考えている趙を説得する場面で,まったく同じ言葉だったかどうかは自信がないが,似たような会話があった気がする。
ドロン劉に復讐しようとする趙を張が説得する,姜文と李保田の二人の会話のやりとりがとても面白いんだが,彼らの他にも趙本山,葛優,李雪健など,演技派の名優がチョイ役でたくさん出演している。そして監督自身も久々に登場する。この監督,映画づくりを楽しんでいるんだろうな。
(1997年中国/監督:張芸謀/出演:姜文,李保田,張芸謀(廃品回収),趙本山(民工),葛優(警察官),李雪健(タクシー運転手),尤勇(店の客)/2003.9.15video)
あの子を探して(一個都不能少)★★★★★
張芸謀が,従来の鮮やかな色彩により観客に強烈なメッセージを伝える映像美中心の映画から完全に脱却したなと感じる作品。プロの俳優を使わず,素人や本業の人ばかりを使った人間味あふれるドキュメンタリータッチの映画としては,『秋菊の物語』をさらに集大成した感じ。
物語は,河北省のある農村の小学校の代用教員として隣村から中学校も出ていない13才の女の子ウェイ・ミンジ(魏敏芝)がやってくるところから始まる。 村は貧しくて生活苦からすでに10数人の子供が学校をやめていた。 ミンジが代用教員をする1カ月の間,生徒が一人も学校をやめていなければ,給料の50元のほかに特別報酬として,もう10元もらえることになった。 ミンジは,この10元をもらいたいために,生徒を一人も減らすまいとがんばることになる。 原題の『一個都不能少』は,ここから来ている。直訳すれば,「一人も減らしてはいけない」といった意味になるかな。
ミンジは教員経験などなく,毎日,教科書を黒板に書き写し,それを生徒に書き取らせるだけの授業をしていた。 彼女の気になるのは,一人も生徒を減らさないことだけだった。 そんなある日,学校で一番の悪がきホエクー(張慧科)が突然いなくなった。 病弱の母の代わりに借金を返すため,市へ出稼ぎに行かされたらしい。 あせったミンジは,ホエクーを連れ戻すため,自分が市へ行くことを決心した。
このあたりから映画が俄然おもしろくなってくる。 ミンジは生徒たちと協力して,市までのバス代をどうやって稼ぐのか・・・。 市へ行ったものの,教えられていた住所にホエクーがいなかったため,広い都会でミンジはどうやってホエクーを探すのか・・・。 全部は書きませんが,最後の手段としてミンジがテレビに出演してホエクーに訴えるシーンでは,必ずホロリときますよ。
赤いほっぺのふてくされた顔をした,しかも粘り強くてけんかっ早いミンジの演技(自然な振る舞い?)もいいけど, ぼくは,子供たちの自然な表情の方が印象に残っている。 バス代を稼ぐためレンガ運びをしてやっと手に入れたお金の一部で,これまで飲んだことのないコーラを2本だけ買い,みんなで分けて飲むとこなんか,実にほほえましい。 ラストシーンで,寄付でもらった大切なチョークで黒板に一人が一字ずつ好きな字を書いていくシーンもいいな。 ホエクーだけ3文字書きたいって言うんですよね。 何て書くか事前に知っていたけど,それでも,やるなって思いました。 子供たちの中でぼくが一番好きなのは,学習委員のミンシエン(張明仙)ですね。代用教員のミンジよりしっかりしているし,日記を読まれるシーンもよかったよ。
最後に中国の教育問題を訴える字幕が流れる。 『古井戸』(張芸謀撮影・主演)の終わり方に似ているなと,不謹慎なことを考えながら見ていたが,この映画,テーマは教育問題や都市と農村の貧富の差ではなく,張芸謀自身がNHKテレビ中国語講座のインタビューで語っていたように,やはり『愛』でしょう。映画を観終わった後,ホッとしてなんとなく暖かいぬくもりが伝わってきました。   自分の好きな字を一字だけ書けと言われたら,ぼくもやはり『愛』と書くかな・・・
(1999年中国・アメリカ/監督:張芸謀/2000.10.5シネツイン)
初恋のきた道(我的父親母親)★★★★★
日本での公開順序としては逆になったが,『グリーン・デスティニー』でミシェル・ヨーと派手な武侠アクションを繰り広げたチャン・ツィイー(章子怡)の映画デビュー作。「父と母の初恋物語」を息子が回想するという形で展開するこの映画で,チャン・ツィイーは父を一途に愛した母の娘時代を演じ,恋心を詩情豊かに謳い上げ,彼女の初々しい魅力も余すところなく描かれている。。
映画はモノクロで始まる。都会に住むションズが父の死の知らせを受け,田舎の山村に帰ってきた。ションズの母・ディは,町の病院に安置されている父の遺体をどうしても担いで帰ると言って聞かない。その夜,父の部屋で若き日の両親の写真を見たションズは,村で語り草になっている40年前の父と母の恋物語を回想する・・・
ここから映画は鮮やかなカラーに切り替わる。村で教師をするために町からルオ先生(20才)がやって来た。ルオ先生を一目見ようと集まった村人の中にディ(18才)もいる。ルオ先生に一目惚れしたディを演じるチャン・ツィイーのつぶらな瞳のみずみずしい表情に,『グリーン・デスティニー』の時とはまた違った新鮮さを感じ,赤い綿入れを着たその純朴な「可愛いらしさ」にこっちの方が一目惚れしてしまう。
言葉で愛を伝えられないディは,心を込めた手料理で自分の想いを伝えようとする。そして,ルオ先生の朗読の声を聞くために(或いは一目でも姿が見れはしないかと期待して)わざわざ遠回りして学校の近くの井戸に水をくみに行ったり,偶然出会ったふりをして気を引こうとするために待ち伏せをしたりする。そんな健気なディの姿に,映画を観ている者は自分の過ぎ去りし初恋の想い出を重ね合わせて胸打たれるのだ。お茶目な生徒が「先生が名前を聞いたよ」とディにおしえてくれたシーンでどれだけ安心したことか。
チャン・ツィイーが魅力的なだけでなく,この映画,河北省の美しい自然を撮った映像がまたすばらしい。特に,ディがルオ先生を待ち伏せするために,白樺の林や黄葉の丘を駆け回り,黄金色の麦畑の中にたたずむシーン・・・。美しい映像の中に溶け込む,恋に一途なディの姿を見ていると,悲しいシーンでもないのになぜか自然に眼が潤んでくる。
張芸謀は『秋菊の物語』以降,映画のスタイルを変え,愛と人間味のあふれる作品を撮り続けている。『あの子を探して』に続いてこの映画も,その路線の延長線上にある。ストーリーもシンプルで,話が横道へそれそうな部分はバッサリ切り捨て,物語をディの一途な恋物語に単純化し,観客が,ディの初恋を一緒に追って行きやすいようにしている。
ようやく二人の気持ちが通じ合ったと思ったら,「右派分子」ということでルオ先生は町に連れて行かれてしまう。しかし,二人の間に発生したこの唯一の事件も,ディのルオ先生への想いを強くこそすれ,あきらめさせることはなかった。それから2年後に村に戻って来たルオ先生は以後,一度もディのそばを離れなかったという。
ションズの回想はここで終わり,映画は再びモノクロの「現在」に戻る。40年間一途に父を愛し続けた母の気持ちを理解したションズは父の遺体を担いで帰ることに決める。知らせを聞いて駆けつけたかつての教え子たちが吹雪の中を交代で棺を担いで村まで戻る荘厳な葬列のシーンが始まる・・・。ここで終わらなかったこの映画を張芸謀はどんな風に終わらせるんだろうと,いらぬ心配をしていたら必要なかった。
村を去る前日,もうじき建て替えられることになっている学校の,父の思い出が残る教室で,母から父が自分を教師にしたいといつも言っていたと聞かされたションズは,翌朝,たった1時間だけだが生徒を集めて臨時の授業をする。父の立った同じ教壇に立ち,父の作った同じ文章を朗読するのだ。家にいた母は,遠くから聞こえてくる懐かしいその朗読の声に引き寄せられて学校へやってくる。朗読している息子を見つめる母の姿が若き日のディの姿にオーバーラップし,息子の朗読の声は,若き日のルオ先生の声に変わっていく・・・。感動のラストシーンでした。
(2000年米・中合作/監督:張芸謀/出演:章子怡,孫紅雷(ションズ)/2001.3.1サロンシネマ)
至福のとき(幸福時光)
農村を舞台にした作品の多い張芸謀監督にしては珍しく,現代の都会を舞台にして,さえない中年男と盲目の少女との心の交流をコメディタッチに描いた癒しの映画。
工場をリストラされて失業中の趙(チャオ)は,見合いで知り合った(やさしいはずの)太った女と結婚したいがために,彼女の所にいる離婚した前夫が置き去りにした娘・呉穎(ウー・イン)の仕事の世話をするはめになる。
ウー・インはお金を貯めて,自分の目の手術代を稼ぐために深センに行っている父親の元に行くつもりだ。旅館の社長をしていると嘘をついていたチャオは,ウー・インに同情した工場の失業仲間と協力して,閉鎖中の工場の中に偽の「マッサージ室」を作って彼女を働かせ,仲間たちが順番でその客になる。
ウー・インは,やがて,おかしいと気付くが,継母(太った女)とその息子(母親に負けないくらい太っている)にいじめられ,つらい思いをしていた頃と比べ,彼女のために善意の嘘をつき続けるチャオとその仲間の優しさをありがたく思う。しかし,ウー・インはそれに甘えることなく,結局,自立の道を選ぶ・・・
正直言って,『初恋のきた道』ほどの感動はありませんでした。でも,優しさがいっぱい詰まってるって感じで,心がとても温かくなる作品でした。時折見せるウー・インの笑顔もよかったです。
特に,街でアイスキャンディーを買ってもらったウー・インが,目が見えるようになったら社長さんがどんな人か見てみたいと,顔や体を触らせてもらうシーンがいいですね。周囲の人や車の雑踏の中で,カメラは『秋菊の物語』よろしくドキュメンタリー風に撮り続けるんですが,何の違和感も感じませんでした。
レストランで,チャオがウー・インに父から来た手紙を読んでやるシーンでは,ウー・インが手紙に自分のことが何も書いてないのを寂しく思っているのに気がついたチャオが,小さい字で書いてあるから読めないと,一緒にいた友人のフー(共同経営者ということになっている)に手紙を渡します。ここでフーがアドリブで手紙を読めば,『山の郵便配達』と同じだから,さすがにそれは避けましたね。
チャオがあとから父親の代わりにウー・インに書いた手紙にはやさしさがあふれていました。それだけに,映画の終わり方がもうひとつすっきりしませんでした。ウー・インはチャオの手紙を読む前に出て行ってしまい,事故に遭ったチャオにもウー・インが自立する決心をしたことが伝わりません。善意のチャオは報われるのか。ウー・インはひとりで深センに行けるのか。至福というよりは,心配の残る映画でした。
(2002年中国/監督:張芸謀/出演:趙本山,董潔(ドン・ジエ),李雪健,牛犇/2003.2.2シネツイン)
HERO〜英雄〜
物語の舞台は紀元前200年頃の中国。戦国の七雄が争覇戦を繰り返していた戦乱の時代だ。後に中国全土を統一し始皇帝と呼ばれることになる泰王のもとに,泰王を暗殺しようと狙う3人の刺客を討ち取ったという報告をもって一人の男が現れ,泰王への謁見を許される。
地方の官吏で「無名(ウーミン)」という名のこの男は,槍の使い手である長空(チャンコン),剣の使い手・残剣(ツァンジエン)とその恋人・飛雪(フェイシュエ)を討ち果たした様子を秦王に語る。その功績により,普段は100歩以内には誰も近づけない泰王に,男は10歩まで近づくことが許される。しかし,それがこの男の狙いであった・・・
張芸謀監督,初の武侠アクション映画。企画自体はアン・リー監督の『グリーン・デスティニー』より早かったということで,当然,『グリーン・・・』と比較しながら見ていた。この映画は痛快剣戟アクションの『グリーン・・・』と異なり,アクションそのもので観客を魅了させるものではない。決闘場面にしても,闘いの激しさよりも美しさを感じさせる。
特にマギー・チャンとチャン・ツィイーが黄葉の中で闘うシーンなど印象的だ。張芸謀はデビュー作『紅いコーリャン』以来ずっと色彩へのこだわりをみせているが,この映画でも,赤・青・緑・白・黒といった色が各シーンごとに使い分けられ,その意味など考えながら見るのも面白いかな。
それに闘いのバックに登場する中国の雄大な景色にも堪能させられる。特に九寨溝の箭竹海(ササ池)。午前中の限られた時間にだけ風がピタリとやみ,波がなくなった湖面は,鏡のように辺りの景色をきれいに映し出す。ああ,懐かしの九寨溝・・・決闘シーンなのにコバルトブルーの湖水と湖面に映る景色にばかり見とれていた。
この映画,もうひとつの視点として,陳凱歌監督の『始皇帝暗殺』や周暁文監督の『異聞・始皇帝謀殺』とも比べねばなるまい。3作とも,「秦王暗殺未遂事件」を扱ったものとしては同じ部類に属するが,先の2作品が歴史上有名な刺客・荊軻(けいか)にまつわる物語であるのに対し,この映画は刺客の名が「無名(ウーミン)」ということからもわかるとおり,史実にとらわれないことを前提とした話なので,その点では気楽に見ることができた。
色彩や大自然,それに空を覆いつくす矢,地面を覆い尽くす兵士の数などには圧倒されるが,人間的な感動には少し欠ける。ぼくとしては,『あの子を探して』や『初恋のきた道』といった「心温まる人間ドラマ」の路線の方が好きだな。
(2002年中国/監督:張芸謀/出演:ジェット・リー(無名),トニー・レオン(残剣),マギー・チャン(飛雪),チャン・ツィイー(如月),劉仲元(老館長)/東映ルーブル,2003.8.23)
LOVERS(十面埋伏)
張芸謀監督が『HERO』とほぼ同じスタッフで作った2作目の武侠映画。
唐の時代。国政は腐敗し,各地に反政府勢力が起こっていた。その中でも最も強大な「飛刀門」と呼ばれる組織の撲滅を目指す二人の捕吏,金(ジン)と劉(リュウ)が,遊郭にいる盲目の踊り子(どうも「飛刀門」の頭目の娘らしい)・小妹(シャオメイ)をだまし,そのアジトに案内させようとする・・・
しかし,「謀」という副題が付いているように,話はだましだまされ進んで行き,一体,誰が誰を騙しているのか,真実がなかなか見えてこない。最後の「愛」こそが真実ということで,邦題の『LOVERS』になったのか?原題は,『十面埋伏』。至るところに伏兵(謀りごと)あり。
『HERO』が,嘘と真実を色で分け,中国の美しい景色をふんだんに取り入れた,まばゆいばかりの映像美であったのに比べ,この映画は,色彩的には,竹林の緑と雪の白が印象に残るくらい。白菊や雪のシーンもウクライナでのロケということで,中国らしさに欠ける。
見どころは,チャン・ツィイーが3メートルもの長い袖を振りながら,周りをぐるりと囲む太鼓を袖で打ちながら舞い踊るシーン。目の見えない役のままでの彼女の踊りは,その動き,仕草など,とてもよかったです。
ストーリー的には,やや腑に落ちないところもいくつかあったが,まあ娯楽映画だから許されよう。しかし,「竹林での闘い」や「チャン・ツィイーの入浴」のシーンなど,アン・リー監督の『グリーン・デスティニー』に似せているのは,わざとなのだろうか?
いずれにしても,張芸謀監督は,これで武侠映画は打ち止めにしてほしい。従来の「こころ温まる人間ドラマ」の路線に戻ってほしいと思う。
最後に,この映画のキーワードは、金城武がチャン・ツィイーに言った「回来(ホエライ)。為一個人(ウェイ イーガレン)。」「戻るさ、おまえの為なら・・・」重要なポイントで2回出てきました。してみると、やっぱりこれは恋愛映画か?
(2004年中国/監督:張芸謀/出演:金城武(金/随風),アンディ・ラウ(劉),チャン・ツィイー(小妹),宋丹丹(女将)/東映ルーブル,2004.9.11)
単騎,千里を走る(千里走単騎)
高倉健と張芸謀監督が一緒に映画を作ろうと15年前に約束していたものが実現したもので,テーマは「父と子」。漁師の高田(高倉健)は,長い間疎遠だった息子の健一が,ガンで余命いくばくもないことを知る。高田は,民俗学者である息子の代わりに,息子がやり残していた仮面劇「単騎,千里を走る」の撮影をするために,単身,中国・雲南省の麗江へ行く。
言葉の通じない中国で,仮面劇の役者リー・ジャーミン(李加民)を撮影しようとする高田の前に,いくつもの難題が起こるが,息子のためにという一途な高田の気持ちに打たれ,だんだん協力者が増えていく・・・
リー・ジャーミンと私生児ヤンヤンの関係(二人が直接会うことはないですが)が,もう一つの「父と子」の関係。高田は,リー・ジャーミンにヤンヤンを会わせようと骨を折るのだが,それを自分と健一の関係にダブらせたのでしょう。
麗江の街並み・家並みが美しい。玉龍雪山も素晴らしい。ヤンヤンを探しに行った村で,村長との話がまとまり,村人総出で食事の接待を受けるシーンがありました。両側に家が立ち並ぶ狭い通路に延々とテーブルを連ねて食事をするもので,『たまゆらの女』にも出てきましたが,ハニ族の「長街宴」という風習だと思います。
風景や伝統劇といった取り巻きはいいが,映画の内容自体は,どうも「健さんの映画」という度合いが強すぎる。張監督は中国人にしては,高倉健の特徴をうまく活かしているし,日本人が観ても違和感がまったくない。むしろ,映画自体が中国映画らしくなく,日本人向けの映画という気がする。中国人がこの映画を見た場合,どんな印象を受けるのだろうか。
(2005年中国/監督:張芸謀/出演:高倉健,寺島しのぶ/宝塚会館,2006.2.5)
王妃の紋章(満城尽帯黄金甲)
中国・五代十国,後唐の時代。豪華絢爛な王宮を舞台に,陰謀渦巻く,ある王家の一族の人間愛憎劇を,アクションと度肝を抜く物量作戦により,壮大なスケールで描く。絶対権力者の王にチョウ・ユンファ,王とは冷え切った関係にある他国から嫁いだ王妃にコン・リー,王妃の継子で王妃と不義の関係にある皇太子にはリィウ・イエなど,俳優陣も豪華だ。
張芸謀監督としては,『HERO』『LOVERS』に続く武侠・スペクタクル路線の映画だが,その間,陳凱歌監督の『PROMISE』やフォン・シャオガン監督の<『女帝』など同類の映画ばかりが作られており,見る側としては,もう幾分飽きてきた。
邦題の「王妃の紋章」は,復讐にかける王妃の思いを重視し,その旗印を中心と捉えており,登場人物の複雑な人間関係やその愛憎劇が主要テーマと考えたものと思われる。
原題の「満城尽帯黄金甲」は,直訳すると「城に黄金の鎧が満ちる」というほどの意味だろうか,映画を見ればいやでも目に付く,黄金で飾られたきらびやかな衣装やまばゆいばかりの宮殿そのものを代表テーマとしている。 見ていて圧倒される莫大な兵士や武器を使った戦闘シーンも含め,随分と制作費をかけたことだろう。
こういうのを超大作というのだろうが,われわれが張芸謀に期待しているのは,こういう作品じゃないはずだ。娯楽映画だから仕方ないのかもしれないが,中国映画は少し間違った方向に行っている気がする。ジャ・ジャンクー監督のように,普通の人々の生活を描く映画が待ち望まれる。
(2006年中国・香港/監督:張芸謀/出演:チョウ・ユンファ,コン・リー,リィウ・イエ/バルト11,2008.4.18)
サンザシの樹の下で(山zha樹之恋)★★★★★
張芸謀,久々の純愛路線の復活である。
文革の嵐が吹き荒れる1970年代初めの中国。都市の学生は,毛沢東の「開門ban学」(学校の門を社会に開いておく)という呼びかけに応えて,農村での短期間の住み込み学習活動を行っていた。女子高生のジンチュウ(静秋)は,派遣された農村で,地質調査隊のスン(孫建新)という青年に出会う。
スンは,ジンチュウに好意的で何かと世話を焼き,ジンチュウが街へ帰ってからも,時々街にやって来て,父親が右派分子とされ,万事に困っているジンチュウを親身になって助けてくれる。そんなスンに対し,ジンチュウは次第に心惹かれていく…
この映画は,謝晋監督の『芙蓉鎮』に代表される一連の作品のように,文革の悲劇や悲惨さを真正面から描いたものではない。映画全体の雰囲気も全然暗いものではなく,どちらかというと『小さな中国のお針子』に近い,文革中の切ない思い出といった部類に属するものだ。
ジンチュウは,母親から,25歳になるまでは恋愛を禁止されていたため,人目を避けながらスンと会っていたが,ある日,二人で自転車に乗っているところを,ジンチュウの母親に見つかってしまう。ジンチュウの母親から「教員の正式採用が近い娘のためにも,しばらく会わないでほしい」と説得され,スンは,ジンチュウの元から去って行く。
しかし,それから1か月ほどして,ジンチュウはスンが入院したことを耳にし,居ても立ってもいられず,母親に内緒で,遠くの病院に泊りがけの見舞いに行くという大胆な行動に出る。見舞いに行った3日間で,スンとの愛を確かめたジンチュウだが,その後には悲しい運命が待ちかまえていた…
張芸謀は『秋菊の物語』以降,デビュー作の『紅いコーリャン』からのスタイルを変え,『あの子を探して』『初恋のきた道』など愛と人間味のあふれる作品を撮り始めた。その後,『HERO』『LOVERS』など武侠映画(商業映画)に寄り道をしていたが,この映画で,待望の『初恋のきた道』路線に戻ってきた。
過去の張芸謀の映画を思い起こさせるシーンもいくつかありました。ジンチュウ役の周冬雨(チョウ・ドンユィ)の走り方がチャン・ツィイーと似ていたし,病院から閉め出され,朝まで入口の石段に座って待つジンチュウの姿は,『あの子を探して』でテレビ局の正門から守衛に追い出され,道路の電柱にもたれて眠るミンジを思い出し,ラストの天井に貼ってあった白黒の写真は『初恋のきた道』ですか…
涙が出てきたシーンが3度ありました。ジンチュウの母親から,ジンチュウに会うことを禁じられたスンが,別れる前にジンチュウの足の包帯を巻き直してあげるシーン。
2つ目は,友人の妊娠騒動のおかげで,スンの誠実な愛を再確認したジンチュウが,どうしてもスンに,もう一度,会いに行きたいと母親に打ち明けるシーン。白血病かもしれないので,25歳になるまで待てないのですね。優しいスンは,前に,もしジンチュウの母親が25歳からの恋愛にも反対したら,「その時は,ぼくは一生,待つ」”那,我就等ni一輩子”と言っていたけれど,その言葉も空しい…
3つ目は,当然ながらラストシーンですね。いよいよスンの命が危ないとの知らせを受けて病院に駆けつけたジンチュウが,ベッドに横たわっている意識のないスンに対面するシーンは,これまでのストーリーの展開から,わかっていても泣けてきます。
最後まで,スンを名前で呼ぶことができないジンチュウは,「我是静秋(ワオー シイ ジンチュウ」と泣きながら,何度も何度もスンに呼びかけます。かすかに開いたようにみえたスンの目の先にある天井には,二人で並んで撮った写真が貼ってありました。この写真,二人が余りに幸せそうに微笑んでいるので,余計涙が出てきました。
(2010年中国/監督:張芸謀/出演:周冬雨(チョウ・ドンユィ),李雪健,呂麗萍,孫海英/サロンシネマ,2011.11.21)