13「か行」で始まる作品


怪鳥〜フライング・デビル(緊急迫降)
誰がこんな邦題つけたんだ!これじゃ怪獣映画と間違えるよ,まったく。原題を直訳すれば「緊急着陸」だろ!映画の内容は,上海〜北京間を飛ぶ飛行機が離陸直後に着陸装置に異常が起こり車輪が下りないことがわかり,上海虹橋空港に引き返し胴体着陸を試みるというパニック映画。
機内の乗客はパニック状態になり,操縦席と管制塔では事態打開のためあれこれ試みるがどれも成功しない。その間に地上では万一の事態に備えて消防隊が滑走路を消火泡で覆う作業をし,人民解放軍も待機する・・・しかし,なーんかもう一つ緊迫感がないんだよなあ。着陸に失敗した飛行機が炎上しながら滑走路を暴走し,空港ビルや他の飛行機に激突し爆発するシーンが最大の見せ場と思いきや,これはシミュレーション上の想像シーンでした。
『スパイシー・ラブスープ』のエピソード3《おもちゃ》で妻の役をした徐帆(シュイ・ファン)の素敵なスチュワーデス姿を見れたのが最大の収穫か?機内でパニックに陥っている乗客相手に冷静に毅然として対応する彼女たちを見ていると,これは中国版「スチュワーデス物語」ではないかと錯覚してしまう。『スパイシー・・・』のエピソード5《写真》でカメラマンの役をした邵兵(シャオ・ビン)が徐帆の夫で,この飛行機の機長です。二人は離婚寸前だったのですが,この事件のおかげで仲直り?
胴体着陸直前の機内アナウンスで徐帆は,「機長は家族よりもフライトの方を愛している優秀なパイロットだから安心して彼にまかせてほしい」と私生活混同のアナウンスを涙ながらにするシーンがいいな。機長の邵兵も胴体着陸の手動操縦に入る直前に,制服に着替え制帽を着用するところではさすがにキリッと引き締まって見えます。
ま,この映画,深く考えずに中国版娯楽パニック映画として気楽に見ればいいでしょう。そんなに手に汗握らないし・・・
(1999年上海映画製作所/監督:張建亜/出演:徐帆,邵兵,尤勇(ヨウ・ユン)/2001.6.10video)
海洋天堂
末期がんに侵された父親の,自閉症の息子に対する愛を描いた作品。カンフースターのジェット・リーが,自ら志願したヒューマンドラマの父親役を好演している。
中国・青島の水族館に勤めるシンチョン(心誠)は,妻に先立たれた後,自閉症の息子ターフー(大福)を男手ひとつで育ててきた。
ある日,シンチョンは自分が末期がんで余命あとわずかだと知る。シンチョンは,自分が死んだら,ターフーは一人では生きていけないと思い,自分が生きている間に,ターフーに生きる術をいろいろ教えようとするが…
自閉症の息子ターフーを演じたウェン・ジャンは,本当に自閉症患者じゃないんだろうかと思うほどの良い演技でした。
(2010年中国/監督:シュエ・シャオルー/出演:ジェット・リー/2011.10.24シネツイン本通)
画魂〜愛,いつまでも(画魂)
19世紀末の中国に生まれ,数奇な運命の果てにパリで死んだ実在の女流画家藩玉良(パン・ユイリャン)の生涯を描いた伝記映画。
ユイリャンは若き頃,安徽省に娼婦として売られ,そこを逃げ出し,税関の所長の第二夫人となった後,上海に移り西洋画を学び,パリに留学する,といっためまぐるしい人生を送る。ユイリャンはパリで成功を収め,帰国して南京で大学教授になるが,娼婦であった過去を暴かれ,再びパリに戻り創作活動を続ける。その後,彼女は二度と中国に帰ることはなかった。
ユイリャンは裸体画をたくさん描いたが,当時,中国では裸体画を描くのはタブーで,絵画学校ではヌードモデルが辱めを受ける事件が起こったりしたため,ユイリャンは,銭湯で裸体画を描こうとしたり,鏡に向かって自分の裸体画を描いてみたりと苦労していた。ビデオのカバーにも,そんな裸体画に関係するシーンばかり載せているものだから,一体どんな内容の映画なんだろうと思い,ずっと借りるのを敬遠していたが,実際の内容は,偉大な中国人画家の波乱万丈の物語で,裸体画に対しても芸術として真面目に捉えている。ビデオ会社の宣伝の仕方が少しおかしいと思う。
張芸謀の製作総指揮ということだが,コン・リーが出てくる以外,張芸謀らしさはない。今をときめくヴィッキー・チャオ(趙薇)が出演している(当時16才)ということだが,ついに,どこに出ていたのかわからなかった。
(1992年中国・台湾/製作総指揮:張芸謀/監督:黄蜀芹/出演:コン・リー/2004.3.28video)
画皮〜あやかしの恋
中国・清の時代の短編小説集「聊斎志異」を元に作られたという,怪奇・ロマン・アクション映画である。
盗賊退治に来た将軍の王生(ワン・シェン)は,盗賊のアジトで,美しい女・小唯(シャオウェイ)を助け,家に連れて帰る。しかし,シャオウェイはキツネが人間の姿に化けた「あやかし」で,美貌を保つために人間の心臓を食べているというおぞましい妖魔だった。
将軍に一目ぼれした彼女は,将軍と相思相愛の美しい妻・佩蓉(ペイロン)から妻の座を奪い取ろうと企てる。ペイロンはシャオウェイが妖魔ではないかと疑うが,将軍はとりあわず,困り果てたペイロンは,かつて夫の軍の指揮官だったパン・ヨン(実はペイロンに好意をよせている)を呼び出し,相談する。これに,かつて妖魔に殺された父から術を伝授された降魔師のシア・ビンが協力して事件の真相を探ることになる・・・
ホラーシーンやアクションシーンもあるが,やはり「愛」を一番描きたかったのだと思う。将軍の妻を演じるヴィッキー・チャオは,活発な「おてんば娘」のイメージが強かったが,この映画では大人の女性,そして大人の愛を表現しているのが印象に残る。
(2008年シンガポール・中国・香港/監督:ゴードン・チャン/出演:ジョウ・シュン,ヴィッキー・チャオ/2012.10.10サロンシネマ)
榕樹(ガジュマル)の丘へ(安居)
近代化の進む広州。都会の片隅の昔ながらの住宅に,事業で忙しい息子との同居がかなわず一人暮らしをするわがままで気むずかしいおばあさんが心の安らぎを探す話。
「老人の孤独問題」が一応主要なテーマであるが,がんこばあさんと,田舎で親孝行のために食堂を開く金を稼ぐためにがんばるお手伝いのシャンとの心の交流を中心にその周りの人々を含めた日常をよく描いている。
仲良しの魚屋のナンじいさんが老人ホームへ入所するのを隠れて見送った日の夜に,亡くなった夫の夢を見たばあさんは,翌日,シャンと汽車に乗りガジュマルの大木のある故郷へ旅立った。都会で「安居」を見つけられなかったばあさんは,自分の求める「安居」はここにもないことを知り,翌朝,親戚に黙って朝霞の中を街へ帰っていく。(このシーン,映像がきれいでしたねえ)
結局,事業がうまくいかず,汕頭へ出稼ぎに行くことになった息子夫婦に対し,ばあさんは自分から老人ホームに入ると言い出す。
印象に残るシーンは,故郷の駅に着いたものの,周囲が様変わりし,目印にしていた3本のガジュマルの大木も切られて当惑していたばあさんが,代わりに村までの道を聞きだしてくれたシャンに初めて笑顔を見せたシーンかな。なんかホッとしましたねえ。これから,ばあさん,段々,心を開いていくんだよねえ。
(1997年珠江映画製作所/監督:胡炳榴/2000.9.7映画館,教育TV)
きれいなおかあさん(漂亮媽媽)
中国を代表する国際派女優コン・リーが現代の北京で生活感あふれる普通の母親を演じるという,めったにお目にかかれない設定の映画。コン・リーが演じるのは,聴覚障害の息子・鄭大(チェン・ダー)を普通の小学校に入れるために,受験指導と生活資金稼ぎに体にムチ打ってがんばるシングルマザーの役で,彼女ならではの「たくましい女性」というイメージは健在だ。
でも,頑張る母親の気持ちが強すぎて,それが子供にとっては,却ってプレッシャーになっているという気もしました。親の気持ち(期待)というものは,普通の子に対してもなかなか分かってもらえないものですからね。
人懐っこく,純真な鄭大君がいいですね。演じているのは,本当の聴覚障害児ということでした。演技なのか,それとも元々こういう性格なのか,コン・リーを相手になかなか堂々としてましたね。
北京の下町で暮す生活の様子がふんだんに出てくる点もうれしかったです。親子がマクドナルドでハンバーガーを食べたり,鄭大が描く絵がドラえもんや,キティちゃん,ケロッピーだったりするのは日本と変わりませんね。
ストーリーは別にして,この映画,聴覚障害の息子に言い聞かせるために,コン・リーがかなりゆっくりと,しかも標準的な発音で中国語をしゃべってくれるため,会話が非常に聞き取りやすいです。朝起きて,鄭大が天井から垂らした紙を吹いて呼吸練習をするシーンは,有気音の発声練習を思い出させるし,花(ホア)と発(ファー)の発音の違いを教えるところなど,中国語学習者を楽しませるシーンも多かったです。
中国語の学習教材にしてもいいのではないでしょうか。ぼくが中国で買ったこの映画のVCDには,画面の下に中国語の字幕が出ますので,これだとさらに理解しやすいと思います。
父親が死んだことを教えるのに,活きているエビ(活的=huode)と茹でられた赤いエビ(紅的=hongde)を使って説明するシーンで,「死んだ(死了=sile)」という意味が理解できず,茹でられたエビを見て,「パパは赤い(パァパ ホンラ=baba hongle)」と無邪気にはしゃぐ鄭大を見ていると,胸が痛くなりました。
(1999年珠江映画製作所/監督:孫周/出演:コン・リー,呂麗萍/2002.8.17サロンシネマ)
草ぶきの学校(草房子)
1962年,文革(66年)が始まる少し前の中国。太湖のほとりの農村の,小さな草ぶき屋根の小学校が舞台。毛沢東の思想も少し登場するが,文革とは話の筋は関係ない。
物語は、大人になったサンサン(桑桑)が少年時代を回想する形で進み,いくつかのエピソードがサンサンの目を通して語られて行く。
隣村から訳ありで通って来るジーユエ(紙月);「ハゲ鶴」と呼ばれ,皆に禿げ頭をからかわれているルー・ホー(陸鶴);皆に自転車を見せびらかす村一番の金持ちの子で優等生のトゥ・シァオカン(杜小康)一家の没落;サンサンの担任で笛の上手なチアン(蒋)先生とパイチュエ(白雀)との悲恋…などなど。
小学校の校長を父親に持つが故のサンサンの悩みと葛藤が物語の縦糸なのだが,当のサンサンが,実は学校一の問題児でもあるため,最初は,なかなか作品に感情移入できなかった。
幼少期の純真な(いたずら好きな)子供たちとノスタルジックな光景を観客に見させて,我々が忘れてきたものを思い出させるのが監督のねらいなのだろうが,特に前半は,個々のエピソードがぶつ切りの感じで,あまり深く掘り下げてない上,エピソードの終わり方がどれもこれもあいまいで,少し消化不良気味だった。でも,後半には,少しジーンとくるシーンがあります。
(1999年中国/監督:徐耿(シュイ・コン)/2003.12.20video)
孔雀〜我が家の風景(孔雀)
1970年代後半の文革末期から改革開放の初期までの10年間を背景に,中国の,とある都市(火力発電所がみえるからフフホトかな?)の普通の家庭に暮らす3人の兄弟の生き方を描く。
落下傘部隊に入隊する夢を抱く長女・ウェイホン(衛紅),知恵遅れの長男・ウェイクオ(衛国),そしてその兄を持つことを恥じている次男・ウェイチアン(衛強)。この3人が,それぞれに夢を持ち,挫折し,或いは少しばかりの成功を収めながら,人生を生き抜く。
一家が,共同住宅の通路みたいなところで,肩寄せ合って食卓を囲むシーンが定点的に何度も出てきて,回想的に3人兄弟の物語は進むが,副題の「我が家の風景」が示すように,3人それぞれの話が淡々と進む割りに,びっくりするような大きな事件は起こらない。
途中,この映画は何を言いたいんだろうかと考えてしまった。でも,監督からのメッセージを受け取ることばかり気にしていたらダメですね。映画を見終わった後に,何を感じるかは,観客の自由ですから。私としては,少しギクシャクした家族間の感情のもつれの中にも,やはり温かい家族の愛を感じました。大感動を期待する映画ではないけれど,心の洗濯にはいいんじゃないでしょうか?
『さらばわが愛〜覇王別姫』『紅いコーリャン』など,数々の中国の有名な映画のカメラマンを務めてきた顧長衛の初の監督作品。同じくカメラマンから監督に転身したチャン・イーモウのようになれるか・・・
ところで,「孔雀」には「吉兆の美しい鳥」という意味があるそうだ。最後に羽根を開くのは大方の予想通りだろうが,これがいかなる意味を持つのか。
これも人それぞれに感じるところが違うのだろうが,私としては,別に最後に孔雀が登場しなくても,物語としては十分だったのではと思った。知恵遅れの長男が,結婚し,夫婦助けあって商売する姿を見ただけでよかったな・・・
(2005年中国/監督:顧長衛(クー・チャンウェイ)/2007.6.11サロンシネマ)
グリーン・デスティニー(臥虎藏龍)
名剣「グリーン・デスティニー(碧名剣)」の争奪戦を軸に展開する痛快剣戟・武侠アクション映画。その戦いを通して,二組の世代の違う男女がお互いの愛を確認していく・・・
映画を観ながらずっと考えていた。「この映画,テーマは何だろう?」「主人公は誰だろう?」 邦題が『グリーン・デスティニー』となっているのが,いただけない。この映画,名剣が主人公じゃないだろう!しかし,原題の『臥虎藏龍』となると,もっとわかりにくい。直訳すると,「地に伏したトラ,隠れたリュウ??」。これじゃ意味が通じないよ〜と思っていたら,ある本に,これは中国の古い格言で,「見かけ通りでないこと」を表す意味だと書いてあった。チャン・ツィイー(章子怡)が演じるイェンの名が「玉嬌龍」で,彼女の恋人・ローの名が「羅小虎」であることを知り,少し謎が解けた気がした。
父親の出世のために気乗りのしないまま嫁入りしようとする可憐な貴族の娘・イェンの,内に隠された昔の恋人・ローに対する熱き想いと抜きん出た剣の腕前・・・結婚の輿入れの夜,婚家の屋敷から逃げ出したイェンは,名剣を手にすると狂ったように戦い続ける。あらゆる束縛から逃れ,自由に生きるために・・・
「グリーン・デスティニー」の争奪戦は,映画の縦軸にしか過ぎない。物語は,リー・ムーバイとユー・シューリンの静かな大人の恋;それに対して,貴族の娘・イェンと荒野の盗賊・ローの若くて激しい恋;ジェイド・フォックス(碧眼狐)と彼女に師を殺されたムーバイの復讐戦;さらには,ジェイド・フォックスとイェンの師弟愛(?)などなどを中国の雄大な自然をバックに展開していく。
中でもイェンとシューリン(ミシェル・ヨー)の女同士の戦いのアクションシーンは見応えがありました。ミシェル・ヨーはその道のプロだから置いといて,チャン・ツィイーには感心しました。よくあれだけのアクションシーンがこなせたな。映画自体もまだ2作目でしょう。とっても可愛いし,コン・リーを追い抜く日も近いかな?
映画を観て,「飛びすぎ」と思われた方も多いと思う。「跳ぶ」んじゃなくてまさに空を「飛んで」いる。ワイヤーアクションのやりすぎという気がしたが,時代設定が現代ではなく,武侠モノというファンタジーな雰囲気を持つ映画にケチをつけるのも無粋な気がするので,この議論はやめよう。
主役はチョウ・ユンファだとばかり思っていたら,意外と出番が少なかったですね。『武侠』ということで,単なる武術の達人というだけではなく,「情」と「義」を重んじる義侠の士のシンボルとしてリー・ムーバイが描かれています。復讐の相手ジェイド・フォックスが歳を取り,弱くなっていたのが映画の展開上,少し興味をそがれました。ムーバイが映画の途中で相手にやられそうになるというハラハラ・ドキドキシーンがなかったもの。そんな強いムーバイが,ラストではだまし討ちみたいな目にあってあっさり死んでしまったのは,いかがなものか?
ストーリーの展開に少し疑問の残るところもあるが,ロマンチック・アクション映画だと割り切って観れば,この映画,おもしろいでしょう。でも,アメリカで大ヒットしているのは,『ラストエンペラー』と同じような「異国趣味」とハリウッド好みの大げさなアクションが受けたせいだと思う。
(2000年米・中合作/監督:アン・リー(李安)/出演:チョウ・ユンファ,ミシェル・ヨー,章子怡(チャン・ツィイー),張震(チャン・チェン)/2001.1.31映画館)
項羽と劉邦−その愛と興亡(西楚覇王)
紀元前200年頃の中国。始皇帝の死後,秦の統制力が緩み,天下は再び乱れ,乱世となる。そんなところに登場した二大英傑,項羽と劉邦が天下盗りの戦いを繰り広げ,最終的には,ごろつき上がりの劉邦が楚の猛将・項羽を破り,漢帝国を設立する。
日本人には司馬遼太郎の同名の小説により,両雄の気性・性格と人望の差が比較された天下盗り物語としてよく知られている。しかし,その名作小説の映像的再現を期待してこの映画を見ると失望してしまう。
この映画には,まずもって項羽と劉邦,それぞれの人物が十分に描かれていない。映画の前半は,歴史を知らない観客のために急いで史実の上っ面だけをなぞった感じで,退屈この上ない。劉邦の妻・呂雉の役でコン・リーが登場するが,それをコン・リーが演じる必要など,前半部分では,まったく感じられない。
史上名高い「鴻門の会」あたりからやっとじっくり描き始める。しかし,中心人物は,項羽と劉邦ではなく,項羽への一途な純愛を貫く虞美人と,知略を働かせ劉邦に天下を取らせようとする,男勝りのしたたかな呂雉の対比である。これなら,映画の題名は「呂雉と虞美人」(邦題)にすれば良かったのに。意味があるのかどうか分からないが,二人の入浴シーンも何度も出てくるしね。
後半は,呂雉と虞美人の姉妹の契りや,呂雉が項羽に思いを打ち明ける場面(これも風呂だが)など,史実からかなり離れて,人間ドラマっぽくしているが,最後には,「四面楚歌」も出てくるし,「覇王別姫」で有名な「垓下の歌(力山を抜き・・・)」も当然出てきて,項羽の死で,史実どおり落ち着くことになる。
『HERO〜英雄〜』みたいに,歴史からあるエッセンス(秦王暗殺の企て)だけをもらい,あとは想像を働かせて,史実にとらわれずに思いのままに描くと,もっと面白いものができただろうに。総監修の張芸謀,このころはまだそういう発想はなかったのだろうか。
(1994年香港・中国/総監修:張芸謀/監督:スティーブン・シン/出演:コン・リー,張豊穀(劉邦)/2003.10.5video)
孔家の人々(闕里人家)
孔子の子孫(75代から79代)が繰り広げる,少し喜劇っぽいホームドラマ。実際の孔家とは関係なく,あくまでもフィクション。儒教的な教えや代々受け継いでいる特別な家風が出てくると思っていたら,期待はずれになる。監督が山東省・曲阜の孔林(孔家の墓地)に行った時にイメージが湧いたもので,伝統ある孔子の一族をテーマに現代的な話を撮ったら,どんな内容になるかと考えたのが,製作の動機らしい。
主人公は,70歳になる76代の令譚(リンダン)で,彼は若い頃に家族を捨てて革命に身を投じ英雄となり,今では大臣として北京に住んでいる。春節と父(75代)の90歳のお祝いのために里帰りした令譚を迎える77代の徳賢(ダーシエン)は,家族を捨てた父を許せない。徳賢の子で78代の維本(ウェイベン)24才は,急速に変化する市場経済社会の中で育ち,古い考えの父とことごとく対立し,ついには家を出てしまう。
二代に渡る親子の確執の間に立ち,苦労するのは女である。「男は頑固で小石と同じ。女がセメントみたいに小石を混ぜて一つにまとめなくちゃ」と,立ち働く徳賢の妻は理想の妻として描かれている。大家族の中で,それぞれ違った価値観を持った人間のぶつかり合いを,最終的に束ねるものとして登場したのは,「孔家の伝統」だった。
令譚が土産のヒゲソリを渡そうとしたのに徳賢が受け取らず,気まずい雰囲気になったところとか,大晦日に食事に招かれた外国人アンナが「自分の父が母を捨てて他の女と結婚した」と言った一言で一瞬暗い空気に変わったところとか,都合の悪いところでは,いつも目をつむり知らん顔をしていた長老(75代)が,最後には,孔林の墓地で,「おまえたち仲良くできんのか,わしらはみんな孔子の一族じゃないか」と訴える。墓地は,結局,孔家一族の結集力の象徴であったわけです。この映画,主役はやはり孔林(墓地)でしょう。
朱旭が革命の成功者で大臣にまでなった役で出ていますが,この人はやはり庶民の役の方がピッタリするな。もちろん,家族を捨てたことを悔いるところなんかうまく演じてはいるけれど・・
1994年NHKテレビ中国語講座放映作品。
(1992年上海映画製作所/監督:呉貽弓/出演:朱旭/TV,2001.8.21renewal)
香魂女(香魂女)
題名の「香魂女」とは,「香魂湖畔の女」という意味で,香魂湖という湖のほとりのゴマ油工場「香二嫂(シアン・アルサオ)香油坊」の中年の女主人が,家族のために,なりふりかまわず,骨身を惜しまず働く姿を描く。
香二嫂の家庭は,夫と,知恵遅れの22歳の息子・ドンズと,小学生の芝児の4人家族。村一番の良質の油を売るやり手の彼女は,農村の主婦としては恵まれた環境にあるように見えるが,心の中には,深い傷があった。
7歳のときに父に売られ,13歳で嫁いだ今の夫は,酒好きの乱暴者であり,香二嫂には夫に対する愛情などなく,20年間ずっと辛抱していた。改革開放の波が農村に押し寄せ,外国資本が農村の中にまで入ってくるようになっても,中国の農村の女性たちを取り巻く封建的で閉鎖的な環境は変わらず,彼女もその犠牲者の一人であったのだ。
しかし,斯琴高娃が,芯が強く生活力にあふれ生き生きと働く香二嫂の姿を体当たりの演技で演じているため,映画の前半は全く暗さを感じない。
香二嫂には,したたかなところもあって,借金で困っている貧乏人のところから,知恵遅れの長男の嫁にと,美人の娘・環環(ホアンホアン)無理やり連れて来たりします。(売買婚)
ある夜,湖のほとりで,愛する恋人と別れ,親のために自らの人生を諦めらめた環環がひとり泣いているのを見た香二嫂は,夫に20年間ずっと辛抱してきた自分と同じ人生を,自分が今また環環に歩ませようとしていることに気付きます。香二嫂は,その時,20年越しの不倫相手だったゴマ油の運送人・任(レン)との愛を失った直後だったこともあり,自分がしたことの虚しさに気付き,やりきれなくなる・・・もう取り返しのつかない環環の人生は,かわいそうすぎます。
「自分ではどうすることもできない自分の人生。その,孫子の代までの繰り返し」というテーマは,『蕭蕭』と似てます。『蕭蕭』は,謝飛監督が,中華民国初年(1912年)の湖南省の山あいの村のある家を舞台に,2歳の男の子に12歳で嫁いできた少女の一生を描いたものです。本作は,解放前の伝統的な文化,封建社会のありようを描いた『蕭蕭』の,現代版の続編となっています。
(1993年天津映画製作所・長春映画製作所/監督:謝飛/出演:斯琴高娃/映画館,教育TV「アジア映画劇場」,2004.5.23renewal)
孔子の教え(Confucius)
「論語」で有名な,中国の思想家・孔子とその弟子たちの半生を描く歴史大作。
紀元前6世紀,中国は春秋時代。晋・斉・楚の大国に隣接する小国・魯の国政は,権力を握る三桓と呼ばれる3つの分家により混乱していた。
君主の意を受け,他国からの侵略の防衛とそのための国政改革を行っていた孔子は,桓の陰謀により,国を追われ,14年に及ぶ諸国巡回の旅に出る・・・
『孔子の教え』という邦題ほどには,堅苦しい映画ではなく,孔子の生きた時代やその人となりを理解するのによい映画である。大スターのチョウ・ユンファが孔子の人間的重みを作り出している。戦争シーンも割とあり,南子を演じるジョウ・シュンの妖しい魅力も見られ,論語に書いてある教えの解説を聞くというものではなく,気楽に見れます。
(2009年中国/監督:フー・メイ/出演:チョウ・ユンファ ジョウ・シュン/2012.1.20サロンシネマ)
心の香り(心香)
北方の町に住む京京は,両親の離婚が決まり,南方の母方の祖父の家にしばらく預けられ,そこで元京劇の名優で気むずかしく厳格な祖父と,やはり元京劇の女優で祖父とは結婚してないがいい関係にある蓮おばさん,そして隣家の少女珠珠らに囲まれて暮らすことになった。
理由も聞かされず突然孫を押しつけられた祖父は最初当惑し,京京も祖父の性格が厳しいと聞いていたので,二人はなかなかうち解けられなかった。そんな二人がやさしく信心深い蓮おばさんの仲立ちや突然訪れたその蓮おばさんとの死別などをきっかけに次第に心を通わせていく様子を描く。
祖父の家の中での映像が全般的に少し暗いと感じるが,光と影の使い方がとても印象的。暗い室内に外から射し込むおだやかな光の中で演じられる室内のシーンは,舞台劇を観ているような錯覚に陥る。
京京が隣家の珠珠の顔に京劇の隈取りをし,バレエを踊らせるところも好きなシーンだ。
ラスト近くで,これまで京劇を習っていることを祖父に隠していた京京が蓮おばさんの葬式の費用を捻出するため,街頭で京劇の一節を歌うシーンがあるが,そのどこまでも透きとおった歌声が心に染みわたる。少し離れていた場所でその歌声を聞きつけた祖父が,感動し駆けつけるときの興奮が観ているものに伝わってくる。
(1992年珠江映画製作所/監督:孫周/出演:朱旭,費洋(京京)/教育TV「アジア映画劇場」,2000.7.5renewal)
こころの湯(洗澡)
北京の下町にある「清水池」は,普段は温和だが一本筋の通った劉(リュウ)じいさんが経営する昔ながらの銭湯である。中国の銭湯は日本と違って,湯船に浸かるだけではない。マッサージや垢すりをしてもらうのは,当たり前。各人に,ちゃんと自分の席があって,お茶を飲んだり,新聞を読んだり,はたまた将棋をしたり,コオロギを闘わせたりして,常連客たちは,日がな一日ここに滞在し,疲れを癒していく。劉じいさんの次男で知的障害のある二明(アルミン)も,毎日楽しく父の仕事を手伝っていた。
ある日,風呂屋の跡継ぎを嫌い,経済特区・深センに出て働いていた長男の大明(ターミン)が突然帰ってきた。彼は,弟の二明から届いたハガキに描いてあった絵を見て,父に何か異変が起きたと思い,あわてて実家に戻ってきたのだが,実際には父も弟も元気で,自分の思い違いだったことがわかる。
大明は安心して深センに戻ろうとするが,二明が迷子になったり,父が風邪で倒れたりする事件が相次ぎ,ついつい帰りそびれ,休みを少し延ばして銭湯を手伝うことにした・・・(会社は大丈夫なんだろうか?)
知的障害者・二明の純真さが,老人がたくさん出てくるこの映画を明るく,生き生きとさせています。父とふざけながら風呂場の掃除をするところや毎晩食事の後に父と楽しくジョギングをするところなど,思わず微笑んでしまいました。それに,シャワーを浴びながら「オーソレミオ」の歌の練習をする男の子とのこころの交流もよかったです。
大明は,銭湯の仕事を手伝いながら,父と弟が毎日楽しく仕事をし,楽しく生活する様子や「清水池」にやって来る常連客たちを心からもてなす父の姿を見ているうちに,都会の生活ですさむ自分のこころが段々と癒され,下町で暮らす心地よさと銭湯の仕事に対する愛着を感じ始めていた。一日の仕事を終えた後に,三人で一緒に風呂に入ったり,ジョギングをしたりするのがだんだん楽しくなってくるのである。
しかし,そんな幸せも長くは続かない。この辺りが再開発されるため,「清水池」も取り壊されることになった・・・北京では今,2008年のオリンピックを控えて,現実に再開発による胡同(フートン)や四合院(しごういん)といった古い街並みの取り壊しが急ピッチで進んでいる。それは同時に,胡同ではぐくまれてきた古都・北京の伝統的な文化や路地裏にいきづいてきた庶民の人情あふれる暮らしをも消滅させているのである。張元監督の『ただいま』の中にも,北京ではないが,再開発で取り壊され瓦礫の山と化している住宅跡で,主人公の少女がかつての自分の家を探すシーンがありました。近代化と引き換えに何か取り返しのつかないことが行われているという気がします。
「清水池」は男性専用の銭湯でしたが,女性の銭湯がどうなっているのかということについても興味がありますね。銭湯シーンの出てくる映画としては,『北京好日』があります。その映画の中に,外から女性の銭湯を覗く少年を主人公の老人がたしなめるシーンがあったので,女性専用の銭湯もあるのでしょうが・・・
(1999年西安映画製作所/監督:張揚/出演:朱旭,姜武,濮存マ/2002.1.29映画館)
五人少女天国行(出嫁女)
古い社会の因習に疑問を感じ,それぞれ悩みを抱えていた五人の仲のよい少女たちの集団自殺の物語。
五人の少女は,「嫁入り前に首を吊ると,白い鳥になって天界の花園へ行き,幸せになれる」という仙女の甘美な神託を聞き,変わらない将来への悲観的な思いから死を決意する。
首吊り自殺をするというのに,五人の少女は,みんなかわいくて屈託がないせいか,映画が全然暗くないし,見終わった後にも重苦しい感じが残らない。むしろ,ファンタジーな作品。
(1991年香港・中国珠光映画製作所/監督:王進/2000.4.30video)