20中国関連映画(香港・日本以外)


失はれた地平線(LOST HORIZON)[英語]
1937年に公開されたアメリカ映画で,話す言葉も英語である。この映画がなぜ中国関連映画?ジェイムズ・ヒルトンの原作「失われた地平線」(安達昭雄訳/角川文庫/絶版)を読んだ方なら,お分かりだろうが,この映画は,チベット奥地の理想郷・シャングリラについての物語だ。
1935年,大戦前夜の中国・バスクール(どこ?原作ではインド北部とされている)から,外交官ロバート・コンウェイを含む5人の英国人が飛行機で脱出した。しかし,この飛行機はハイジャックされていて,目的地の上海とは逆方向のチベットの方へ飛んで行き,途中で燃料切れとなり吹雪の雪山に不時着する。死を覚悟していた5人の元へ,近くに住むというラマ僧・チャンの一行が助けにやって来て,四方を高い山に囲まれて猛吹雪からさえぎられていることにより,チベットの山中にありながら,鳥が歌い,美しい花が咲き乱れる温暖で平和なまるで桃源郷のようなシャングリラに案内される・・・
2002年5月,中国政府は,雲南省の北西部,迪慶(ディーチン)チベット族自治州の中甸(ちゅうでん)県を「香格里拉(シャングリラ)県」に名称変更した。それは,峡谷があり,周囲に雪山(梅里雪山だろうか)がそびえ,ペロウ神父(シャングリラの統治者)がカトリックの教会に改造したとされるラマ教寺院が残っているといった地形や建物のイメージがヒルトンの小説に極めて近いからという理由らしい。かく言う,ぼくも今年の8月に放映されたTBSの「世界ふしぎ発見」を見て,初めてその事実を知ったわけだが・・・なお,ヒルトンは実際には現地に行ったことはなく,おそらく宣教師からその様子を伝え聞いたのではないかという説明だった。
映画の中ではシャングリラを,気候が温暖な上,適度に節度のある人たちばかりが住み,犯罪もなく,下界の喧騒とは無縁の「不老長寿の理想郷」というふうに描いている。中甸県が,ヒルトンがイメージした所かどうかは,正確にはわからないが,テレビで見たところ,標高4000mのところに,黄龍に似た景色もあり,温泉もあり,氷河も間近に見れて,是非とも一度行ってみたくなるような所でした。
映画はモノクロで,1967年にオリジナル・ネガが損傷し,完全版のフィルムも消失してから,世界中を探して復元作業が続けられ,発見できない映像の部分はスチール写真などで構成し,125分の映像と132分のサウンド・トラックに復元したものである。
(1937年アメリカ/監督:フランク・キャプラ/2002.11.30video)
ザ・カップ〜夢のアンテナ(THE CUP)[チベット語]
1998年,インド北部にある亡命チベット僧の僧院で,修行中の少年僧たちがワールドカップサッカーの衛星中継に夢中になるという話。ブータン初の長編映画で,監督はブータン生まれのチベット仏教の高僧。
映画の撮影はブータンではなく,1959年のチベット動乱以後チベット亡命政府の置かれているインドのダラムサラ近郊のチベット仏教寺院で行われたが,監督のおかげで,普段は観光客やカメラの入ることのできない寺院内部の撮影も特別に許可された。このため,僧院長の部屋とか少年僧たちの個室や厨房の様子も見ることができて,なかなか興味深い。それに,出演者のほとんどが実際の僧侶で,この中には活仏とされている高僧も何人か含まれている。
大作ではないし,テーマも修行僧たちがテレビ中継見たさにあれこれ奔走するという,特に変わったものでもない。それでいて,映画を見ていて飽きないのはなぜか。それは,修行中の少年僧たちが活き活きとしているからだろう。
彼らのほとんどは故郷チベットを見たこともなく,自分たちが亡命者とか難民とかいう意識はないのだろう。他の国の子供たちと同じように,無邪気にサッカーに熱中したり,勤行の途中で居眠りしたり,いたずらしたり,テレビ中継見たさに夜中に寺を抜け出したりする。
それにバター茶を飲んだり,ツァンパを食べるシーンなどチベットの習俗が,そこに来訪した外国人の目から見た異文化体験としてではなく,普通の流れの中で出てくるのがいい。一度も洗髪をしたことのない占いの行者がいつもマニ車をグルグル回して登場したり,五体投地のシーンなんかも自然に出てくる。欧米人の作った異文化強調の映画でなく,手作りの温かさを感じる普段着のブータン映画です。
それでいて,チベットに帰りたくていつも荷造りをしたままにしている僧院長,亡命してきた見習い僧の話それに僧院長に宛てたチベットからの手紙の内容などでさりげなく中国のチベット政策を批判している。
SAYURI[英語]
昭和の初期,貧しさゆえに花街に売られた少女・千代が,苦難を乗り越え,当代一の芸者・「さゆり」として大成する物語。
日本を舞台にして,日本の芸者の映画を作るのに,監督がアメリカ人なら,主演も中国代表のチャン・ツィイーで,その敵役がコン・リーという配役はどうだろう。
かなりいい加減な映画かなと思っていたら,意外としっかり作られていて違和感もなかった。芸者を筆頭に日本人が皆,英語でしゃべっているのに,さほど違和感を感じないというのは,西洋から見た日本の伝統文化というものを,こちらも第三者的感覚で観ているからなのだろうか。この映画,もし日本人の監督が撮ったとしたら,こんなに華やかには撮れなかったかもしれない。評論家の目や時代考証というものを気にして,感覚的に自由に撮れないから・・・
ミシェル・ヨーも重要な役で出てるし,音楽もヨーヨーマ。アメリカ人にとっては,日本も中国も一緒なのだろうか。
チャン・ツィイーが映画の中で踊った踊りは,さすがチャン・ツィイーと言わせるものでした。本物がどんな日本舞踊なのかは知らないけれど,あれはどう見てもチャン・ツィイーお得意の中国の舞踊ですね。
(2005年アメリカ/監督:ロブ・マーシャル/俳優:チャン・ツィイー,渡辺謙,ミシェル・ヨー,コン・リー,役所広司,桃井かおり/2005.12.22松竹東洋座)
シャンハイ(Shanghai)[英語]
1941年,太平洋戦争直前の上海を舞台にしたサスペンス映画。親友だった諜報部員の死の真相を探るべく上海に乗り込んだ米国諜報部員ソームスは,中国・アメリカ・日本が絡む巨大な陰謀の渦に巻き込まれていくが,その中で真実の愛を見つける・・・
ストーリーは,特にどうってことはない。やはりこれはハリウッド映画だな。中国映画とは違うなという感じ。
見所は,豪華キャストと,当時とそっくりに上海を再現した街や建物の映像だけでしょう。ただし,この映画,ほとんど上海では収録せず,タイに上海の街をつくり,建物内部のロケは,イギリスに実存している,当時の上海に英国が建てたものと似ている建物の中で行ったということです。それにしては,雰囲気がよく出てるいるなと感心しました。
(2010年アメリカ/監督:ミカエル・ハフストローム/俳優:コン・リー,チョウ・ユンファ,渡辺謙,菊地凛子/2011.8.24シネツイン新天地)
シュウシュウの季節(天浴)[中国語]
文化大革命末期,成都から四川省北部の高原の牧場に下放させられた学生シュウシュウ(秀秀)の悲しい物語。
シュウシュウは牧場で模範生となり,放牧を学ぶために,さらに奥の辺境の地で,チベット族の中年の牧夫ラオジン(老金)と一緒にテントで遊牧生活をすることになった。半年後,約束の期日が過ぎても牧場からは誰も迎えに来ない。辺境の地に置き去りにされたシュウシュウは,あせった。どうしても成都に帰りたいという彼女の弱みにつけ込んで,帰郷許可の権限をちらつかせながら彼女のテントにやって来る男たちをシュウシュウは拒むことができず,次々に身を任せていく・・・
映画の前半のシュウシュウは,とてもあどけなくて純真すぎるくらいの少女だった。そのため,後半,男たちにもてあそばれて自暴自棄になっていく彼女がかわいそうでしょうがない。
ずっと傍らにいたラオジンは,シュウシュウが破滅していくのをただ見るだけで救ってやれず,彼女が男に身を任せた後,身体を洗うために欲しがる水を遠くまで汲みに行ってやることしかできない。チベット高原の荒涼とした風景をバックにラオジンが川で水を汲むシーンがもの悲しい。
ラストシーン(詳しくは書きません)では,思わず涙ぐんでしまった。こういう終わり方しかできないのか!この映画,悲しみを通り越して,悲惨あるいは残酷といった表現の方がいいのかも知れない。
ただ,シュウシュウ個人の悲劇が前面に出すぎて,文革そのものへの批判が足りない気がする。そこら辺りが,やはりアメリカ映画なのか。
(1998年アメリカ/監督:ジョアン・チェン/2000.6.12サロンシネマ)
女工哀歌(CHINA BLUE)[中国語]
『女工哀歌』という邦題から,ある程度内容の推測はできる。中国における低賃金による過酷な労働状況を描いたものだろうと。
主人公のジャスミン(16歳)は,四川省の貧しい農村から,中国沿岸部の大都会広州に出稼ぎに来ている。ジャスミンは,女工ばかりが働くジーンズ工場で時給7円で「糸きり作業」をしているが,社長は,欧米の企業(ウォルマートに代表される)からの値下げ注文と納期厳守に応えるため,従業員に勤務中の私語厳禁や深夜残業を命じたり,給料遅配やさまざまの罰金を課したりと,予想通りの過酷な労働をしいている。
でも,こういうフィルムが撮れたのだから,この工場は中国ではまだ良い方なのだろう。もっと,ひどいところはたくさんあるはずだ。
この映画を見た人のコメントをいくつか読むと,概して,「中国悪し」という意見が多い。果たして,そうだろうか?日本だって,殖産興業の時代には,同じようなことをやってきたのだから,生活水準や労働条件が改善された今日の目線で,「中国は悪い。直ちに改めよ」と一方的に言う資格があるだろうか?中国は,今,国を挙げて先進国の仲間入りにやっきなのだ。
物価状況が違うのだから,賃金が低いのは当たり前で,それだからこそ日本や欧米の企業が中国からの輸入を増やしたり,現地での生産を拡大しているのだから,中国だけを悪くを言っても仕方ない。
改めるなら,それこそ,先進国の消費者が態度を変えるしかない。たとえ,賃金が低くても,労働がきつくても,会社がどんなに搾取しても,彼女たちは働きつづけるだろう。一度お金のありがたみを知ったら,もう,前の貧乏な農村生活には戻れないから。
映画的には,ジャスミンたち女工の仕事振りや日常生活と元警察署長から立身出世したガンバル社長を対立軸に展開する。過酷な労働の割りに,女工たちがみんな明るいのがいい。給料の遅配にはストをするし,規則だらけで狭い寮での生活に耐えながらも,稼いだお金の大半は田舎の親元に送金する。それでも,たまには街に遊びに出たり,恋をしたり,部屋でファッションショーをしたりもする。彼女たちががんばっているのを見ると,ホッとする。まだまだ中国は強いな。
(2005年アメリカ/監督:マイケル・ペレド/2009.1.23横川シネマ)
セブン・イヤーズ・イン・チベット(SEVEN YEARS IN TIBET)[英語]
外国人禁制の地・チベットに潜入したオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーと少年ダライ・ラマ14世との心の交流を描く。
1939年,ハラーはヒマラヤの最高峰の制覇を目指していたが雪崩に遭い途中で登頂を断念する。下山した彼は第二次世界大戦の勃発により,そのままインドのイギリス軍収容所に入れられる。隙を見て登山仲間のペーターとともに収容所を脱走し,2年に渡るヒマラヤ越えの過酷な逃避行の末に聖地・チベットにたどりついたハラーは,そこで少年ダライ・ラマの教師となり,チベットが毛沢東の新中国に侵略されるまで7年間この地にとどまることになる・・・
見どころはチベットの美しい風景か,と思っていたら,実際には,この映画のロケはチベットでは許可されなかったので,アンデスの丘陵地帯やアルゼンチンの街で行われたということだ。でも,なかなかどうしてチベットの景色にとてもよく似ているぞ。チベット僧やヤクもインドから空輸し,街並みや衣裳も本物そっくりに再現しており,それと知らなければチベットで撮影したと言われれば信じてしまうだろう。
映画の主題は,西洋文明に興味を持つダライ・ラマにいろいろ教えているうちに,逆にダライ・ラマに感化され,利己的で他人に協調することのなかったハラーが次第に変わっていくという人間的成長物語なのだが,映画の後半では中国のチベット侵略が主となる。チベット解放という大義名分の下に,寺院を破壊したり平和を愛するチベット人を殺戮する人民解放軍。まあ,こうも公然と中国のチベット政策を批判しては,中国から撮影許可も上映許可も下りなくて当然だろう。
しかし,映画の描き方はいかにも西洋的という感じがしてならない。ダライ・ラマというチベット最高の宗教指導者に西洋文明を教授するカッコいい外国人=ヒーローという欧米映画おなじみの図式が気に入らない。ハラーが,悪夢を見て眠れないダライ・ラマの横に座り,やさしく肩を抱いてやるシーンなんてチベット人が見たら,許せるハズがないだろう。
ダライ・ラマを演じる少年は,あちこち探し回った末,ブータンの外交官の息子を起用したということだが,慎み深くてまじめそうで,なんといっても笑顔がいい。ブータン映画『ザ・カップ〜夢のアンテナ』に登場した無邪気な少年僧たちを思い起こす。そして,『グリーン・デスティニー』でも話題になったヨー・ヨー・マによるエンディングのチェロがいいです。
(1997年アメリカ/監督:ジャン・ジャック・アノー/俳優:ブラッド・ピット/2001.7.4video)
太陽の帝国(Empire of the Sun)[英語+日本語]
1941年,上海の租界で両親と何不自由なく暮らしていた英国人少年ジェイミーは,日本軍の侵攻により混乱する街の中で両親とはぐれ,捕虜収容所に入れられる。これまでの裕福な暮らしから一転して,孤独と飢えの中,ジェイミーは生きるための術を学びながら成長していく・・・
圧巻は,上海の外灘での街頭ロケだ。同じ年に制作されたベルトリッチの『ラストエンペラー』の紫禁城ロケに負けないほどの大がかりなのに驚かされる。よく許可されたもんだ。(さすがスピルバーグ?)
戦争というものの実態がよくわかっていないジェイミーは,日本軍にあこがれる。そして零戦に乗り特攻隊として出撃する日本兵に賛美歌を贈る。その清らかな歌声が耳に残る。租界の中だけで育ち,戦争をゲームくらいにしか考えていない世間知らずな本当に純粋な子だった。
そんなジェイミーも,収容所で米国人のベイシーから生きるための処世術を学びながら,だんだん精神的にたくましくなっていく。それはまるで収用所での生活を楽しむかのようで,他の者からは少し異端児に思われるようになる。映画を観ている者にとっても,ジェイミーがだんだん嫌らしく思えてきたりするのだったが,そこはやはり子供だった。友達になっていた日本兵がベイシーの仲間に殺されたとき,初めて戦争というものの実態がわかったのだろう。
ラストで両親に再会しても感動せず,うつろな目をして母親に抱かれるにまかせていたジェイミーが印象的。戦争がいかに罪のない少年の心を傷つけたかを思い知らされる。悲惨さや残酷さからではなく,むなしさと虚無感から人々に訴える反戦映画である。
(1987年/アメリカ/監督:スティーブン・スピルバーグ/俳優:クリスチャン・ベール,ジョン・マルコビッチ,伊武雅刀/2001.5.28video)
小さな村の小さなダンサー(Mao's Last Danser)[英語+中国語]
中国からアメリカに亡命したバレエダンサー,リー・ツンシンの自伝(オーストラリアでベストセラーとなった)を映画化した作品。1961年の文革がまだ始まる前の中国で生まれたリー・ツンシンは,バレエの英才教育を受けるために,幼くして親元の山東省の村を離れ,北京の舞踏学校でダンスを習い始める。そして,彼は,研修で訪れたアメリカで,自由なバレエ活動を続けるために亡命の道を選ぶ・・・
厳しい修行を受けた時代や思想の統制,文革により革命劇に変わった中国のバレエへの絶望,米国への亡命を阻止しようとする領事館員たち,自由の国アメリカでの中国との価値観の違い,アメリカでの恋愛と結婚など,全部映像にすればきりがないほどあったと思う多くの出来事を,なんとかわかりやすく2時間の映画にまとめている。
バレエに詳しくないぼくでも,まあそれなりに楽しむことができたが,革命時代の中国の歴史に詳しくない人は,話について来れたのだろうか?
大騒ぎになった亡命事件がケ小平とブッシュ副大統領との大物同士の直接交渉で政治的に解決するシーンがあるが,最近起こった尖閣問題での日本政府の対応と比べて見ると,民主党の稚拙な外交が歴然としてくる。
最後の辺りで,亡命したので二度と会えないと思っていた両親に会える機会が訪れます。そのシーンでは,やはり涙が出てきますね。
(2009年/オーストラリア/監督:ブルース・ベレスフォード/俳優:ジョアン・チェン(母親)/2010.12.8八丁座)
中国女(La Chinoise)[フランス語]
1967年(中国では文化大革命の初期の段階の頃)に製作されたフランス映画で,舞台設定も同年代のフランス。左翼の大学生が,あるアパートの一室で共同生活をしながら,ラジオ北京を聞き,毛沢東思想を勉強している。
白い壁には紅い毛沢東語録が所狭しと並び,学生たちはフランスやソ連のブルジョア社会主義に異を唱え,プロレタリア文化大革命を賛美する。(毛沢東が文革を発動した真の目的が自らの権力闘争にあったことなど知らない頃の話だから無理もないが)
学生たちの主張や議論が,ただただ延々と続いていくドキュメンタリータッチの映画で,見ていて非常に疲れる。『中国女』という題名であるからには,何か中国と関連しているのだろうと思い,それを探ろうとしたがよくわからない。結局,中国にかぶれたフランスの学生たちが「中国ごっこ」を繰り広げているというような内容だ。ラジオ北京の放送や毛沢東語録が出てきたりはするが,全く中国の臭いのしない映画だった。
中国関連映画という観点から観ようとしたからよく理解できなかったのかもしれないな。フランス映画ファンの方が観れば,また違った評価があるのかもしれない・・・
(1967年フランス/監督:ジャン・リュック・ゴダール/2002.12.22video)
天安門(The Gate of Heavenly Peace)[英語+中国語]
1989年6月4日,人民を守るべき解放軍が中国人民に銃口を向けたあの「天安門事件」を,当事者へのインタビューと映像資料から再検証したドキュメンタリー作品。
失脚していた改革派の胡耀邦・前党総書記の死(4月15日)をきっかけに始まった学生デモは,ゴルバチョフの訪中以後,一挙に高まりを見せ,学生たちは民主化を要求し,天安門広場を占拠し続けた。李鵬首相は5月20日に戒厳令を出し,反政府行動を行う学生たちを広場から排除する機会を狙っていた。そして,6月4日,ついにあの"血の日曜日事件"が発生した。映画は,4月から6月までの6週間の学生たちの運動を撮り続けている。
当事者インタビューは,学生の柴玲(総司令官),王丹,ウアルカイシ,封従徳,労働者の趙洪亮,呂京花,韓東方,教師の丁子霖,梁暁燕,インテリの戴晴(作家),劉暁波(文芸評論家),候徳健(ポップ・スター)など,運動の中心人物から生の声を収録していて,映像資料にも実際に彼らの活動している姿がひんぱんに出てくるので興味深い。
この映画,中国政府の非人道的な対応を批判するのが主眼ではなく,流血惨事に陥った原因が学生側にもある,いや学生の中の過激派は,それを望んでいたということを明らかにしている点が目を引く。感情に流されやすい総司令官の柴玲(過激派)を,穏健派の学生たちがちゃんと説得できていれば,広場からの名誉ある無血撤退をする機会はあったのだ。
3時間という長いドキュメンタリーだが,熱意あふれる事件当事者の語り口や活気に満ちた広場を占拠した群衆,それに人民に発砲する解放軍の生の映像を見さされては,集中力が途中でとぎれることはない。惜しむらくは,当事者がせっかく情熱的な中国語で語っているのに,それを英語で同時通訳して流すという聞き苦しさ。英語はカットするか,日本語とセットで字幕処理してほしかった。
(1995年アメリカ/監督:カーマ・ヒントン,リチャード・ゴードン/2001.9.19video)
2H[中国語]
中国のテレビ局でディレクターとして活躍し,1989年に日本に渡ってきた李纓(リ・イン)監督が,東京で一人暮しをする95才の中国人の老人・馬晋三(マ・ジンサン)の老いて死を覚悟している日常をデジタルビデオで追ったドキュメンタリーに一部フィクションを融合させた映画。
老人は,かつて孫文の参謀として激動の中国史を生きぬいた国民党の将軍で,国共内戦勃発後,1953年に日本へやってきた。それは映画の最後になってようやくわかる。そんな経歴などどうでもよいのだ。異国から来た一人の頑固な老人がここにいて,その一人暮らしの老人を心配してアパートに出入りする中国人の女性がもう一人いる。彼女は芸術家で,名を熊文韵(シュン・ウェンイン)という。不妊症だが,異郷での一人暮らしの寂しさから,血を分けた我が子を欲している・・
子供を生みたいという女性(フィクション)と,死に向かっていく老人(ノンフィクション)をカメラが見つめ続ける。ドキュメンタリーなのにナレーターがいない。観客は今どういう場面なのか時としてわからなくなる。説明を拒絶したところにこのドキュメンタリーは存在している。
カメラが老人の顔のアップを写す。顔のしわやしみが老いていることを如実に物語る。モノクロなのでよけいそれがわかる。老人は,異国で一人で生き,一人で死ぬことを希望する。周りの者は,老いていく老人を心配するが,老人は世話をしにやって来たものに冷たく当たる。熊文韵は老人と血でつながっていないが,そんな意固地な老人に対し,家族よりもストレートに意見し,お互いの感情をぶつけ合う。異国での一人暮らしの寂しさがお互い身にしみてわかっているから,より強い絆を求めあったのだろうか。
そんな二人を,天安門事件の年に日本にやってきて,事件勃発後,老人と同じように帰る拠りどころを失った李纓監督が撮っている。歴史は繰り返すのか・・・2時間,そんな映像を見せられて,結局,映画を観た者が自分で「老い」と「孤独」,そして「生と死」について考えるしかない。かといって,重苦しいばかりの映画でもない。老人がカメラ(を撮る監督)にパンと牛乳を勧めるシーンなど,なぜか心に残っている。
『2H』とは,この映画の上映時間(2時間)を意味する。内容と題名は関係を持たない。100年近く生きた老人の死に至る日常を2時間に凝縮して見せてくれただけだ。
(1999年日本/監督:李纓/2001.2.21サロンシネマ)
北京の55日[英語]
清朝末期に発生した義和団事件を,欧米の側から見た作品。もう古典といってもいいかも知れない作品です。
義和団事件は,1900年(光緒26年)6月,北京の列国公使館が「扶清滅洋」の旗を掲げる叛徒・義和団に包囲された際,拝外主義の西太后が主戦論に傾き,6月21日,暴動に政府軍の支援・投入を決意し,列強に宣戦布告した事件です。公使館に孤立した列国の居留民は,天津から八カ国連合軍が到着するまでの55日間を,わずか400名足らずの軍隊に守られながら籠城を続け,義和団と清朝政府軍からの猛攻に耐え続ける・・・。
チャールトン・ヘストンがアメリカ軍のかっこいい少佐の役で出ています。ヒーローもあり,戦争中なのに恋愛もあり,人間模様もいろいろありと,いかにもアメリカ映画らしいです。
中国側の主要人物は,三人しか出てきません。一人は,"Empress"と呼ばれる西太后(どうも英語をしゃべる西太后というのは違和感があります)。二人目は,列国との交渉に当たる主戦派の皇太子・端郡王。この時期,光緒帝は,クーデター(戊戌の政変)の失敗により幽閉されていたんですよね。三人目は,政府軍を掌握する開戦慎重派の栄禄将軍。(三人ともイギリスの俳優が演じています)
日本軍の大佐として伊丹十三が出演しています。知的な軍人で割といい役もらっています。
義和団事件を知らない人は,歴史の勉強のためにも観るといいでしょう。判断を誤って開戦し列強の反撃にあった西太后は,連合軍が8月14日に北京に入城する前に農婦の姿に身をやつして北京を脱出します。それ以後の話は,『清朝最後の宦官 李蓮英』を観ればよいでしょう。
ロケ地は中国ではなく,スペインのマドリッドの近くに大規模なセットを作って撮影したみたいです。実際に公使館があった場所は,作家の陳舜臣氏によれば,天安門のむかいの東側で現在の歴史博物館のある一画あたりだということです。
(1963年アメリカ/監督:ニコラス・レイ/俳優:チャールトン・ヘストン,伊丹十三/2000.8.12video)
MUSA(武士)[韓国語+中国語]
14世紀後半の中国が舞台。朝鮮の高麗は,元に取って代わった明王朝へ和睦の使節団を送るが,その使節団がスパイ容疑をかけられ流刑に処せられる。流刑地へ向かう途中の砂漠で,元軍の襲来を受け,明軍は壊滅し,高麗の使節団は解放される。自由の身になった使節団だが,元軍の中に明の芙蓉姫が人質になっているのを知ると,自分たちのスパイ容疑を晴らすために,姫を助け出し,明王朝の首都・南京に連れ戻すことを計画する。かくして,高麗の使節団と元軍の壮絶な闘いが始まる・・・
韓国が,主に韓国の俳優とスタッフを使って,中国大陸で撮った歴史スペクタクル映画である。高麗の使節団はハングルで話すが,元軍の会話は中国語である。明の芙蓉姫を演じるチャン・ツィイーももちろん中国語。
せっかくチャン・ツィイーが出ているのに,お姫様の役だから,アクションシーンがないのがつまらない。一方,元軍と明軍や高麗の使節団との戦闘シーンはCGやワイヤーアクションをほとんど使わず,体と体がぶつかり合う肉弾戦だから見ごたえがある。でも,首が飛んだり,血が噴出したりの連続は少し疲れる。
『MUSA(武士)』という題名の割には,兵士たちの行動にあまり武士道精神というものを感じない。姫を助けたのも使命ではなく打算からだし,使節団の中にも仲間割れが多すぎる。この映画の劇場公開時には,同じように砂漠を舞台とする戦闘スペクタクル映画『ヘブン・アンド・アース』が上映されていた。『ヘブン・・』は,日本人にも共感の持てる武士道精神のある映画だったが,韓国の武士道はまたそれとは違うのか・・・
(2001年韓国/監督:キム・ソンス/俳優:チャン・ツィイー/2004.12.14DVD)
ラストエンペラー[英語]
作品賞など9部門でアカデミー賞を受賞し,中国映画ファンならずとも一度は観ているであろう作品。
1908年,光緒帝の死後,西太后の命により3才で次期皇帝(宣統帝)になった溥儀の波瀾万丈の生涯(前半生)を,主に戦犯収容所での自己批判による回想の形式で綴る。
最初は,清朝末期,外の世界と隔絶された紫禁城の城壁の中で過ごした孤独な少年時代。自分の知らないうちに共和国政府が誕生し(1912年),自分が皇帝でなくなったことを知ります。そして,外の世界に憧れますが,旧清朝の皇族の身分や財産の保全に熱心な取り巻きたちによって,自由にならない自分を歯がゆく思います。
1924年に紫禁城を追い出された後,西欧行きを夢見て天津で過ごしますが,日本軍の魔の手が徐々に忍び寄ってきます。そして,もう一度皇帝になりたいと思う自分と中国東北部を支配したい関東軍の思惑が一致し,1932年,溥儀は満州国の執政になります。2年後には,満州帝国の皇帝になりますが,満州帝国は日本の植民地支配を遂行するための傀儡国家で,溥儀も飾りものの皇帝でしかありませんでした。
このため,終戦後,戦犯収容所に入れられた溥儀は,自分が皇帝になったのは関東軍のせいで,自分のせいではないと少しも反省しません。戦犯収容所で思想改造を受け,すべてが自分の責任であったことを自覚し,特赦により10年の収容所生活から解放されたのが1959年のことでした。それから8年後,文革の最中に溥儀は一市民としてこの世を去ります。
歴史が急変する,時代の変革期に,人に利用され翻弄され続け,一国の最高権力者から一市民に身分を落とされた人間のドラマとしてもおもしろいが,ベルトリッチの紫禁城の映像のみごとさに当時はずいぶん驚いたものだ。最初の方の,3才で即位した溥儀が叩頭の礼を捧げる家臣たちを見下ろすシーンと終わりの方の一市民となった後訪れた溥儀が見る紫禁城のシーンに,歴史の差を感じます。
(1987年中国・伊・英/監督:ベルナルド・ベルトリッチ/出演:ジョン・ローン,ジョアン・チェン,ピーター・オトゥール,坂本龍一,陳凱歌/2000.10.15
renewal)