田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督 <第五世代>



盗馬賊
チベットを舞台に,チベット民族の伝統儀式や風習を描きこむ中で,馬泥棒として生きるしかない主人公の悲劇的な物語。
チベットの景観や鳥葬,五体投地などがテレビの紀行ものの視点でなく,現実的に描かれていて,圧倒される。チベットに行ったことがある者にはたまらない逸品。
(1985年西安映画製作所/監督:田壮壮/映像文化L)
李蓮英〜清朝最後の宦官(大太監李蓮英)
『西太后』『続・西太后』に続く劉暁慶の演ずる西太后三部作の第三作であり,劉暁慶と姜文コンビの映画としても『芙蓉鎮』『春桃』に続く三作めの作品。
西太后が,1874年(39才)に自分の生んだ同治帝を亡くしてから,1908年(74才)に自分が死ぬまでの間,彼女の寵愛を受け,宮廷内で大権力を振るっていた宦官・李蓮英の姿を描く。
同治帝の死後,「光緒帝の擁立」,「変法派のクーデター(戊戌の政変)」,「義和団事変」と一応,史実に沿って物語を進めているが,この映画は単なる歴史ものとは一味違い,悪宦官・李蓮英の生涯を描くのではなく,人間として認められていない「宦官」を,宦官であるがゆえに,そのあわれさ,弱さ,性的卑屈さから苦悩する一人の人間として描いている。
李蓮英は,自分が「西太后あっての李蓮英」であることを良く心得ており,西太后の命令には絶対服従で,常に彼女の意を汲み,率先してごきげんを取ろうとする。西太后に嫌われたら,それこそ人間でなくなるかもしれないということをよく知ってのことだろう。
西太后の息子・同治帝が亡くなった時,次の皇帝として西太后の甥(後の光緒帝)を推薦したのも彼だし,醇親王(西太后の妹婿)のお伴で北洋艦隊を視察した時には,西太后の引退後の離宮・頤和園を増築するため,海軍の予算を削るよう要求したりする。西太后から皇帝に権力を取り戻すため,変法派が企てたクーデター未遂事件(戊戌の政変)により,光緒帝が幽閉された時には,帝に同情し,彼の頼みを聞き入れ,珍姫との逢瀬を手助けしておきながら,珍姫が懐妊しているのが西太后に知れると,一転して西太后に絶対服従の姿勢に戻り,彼女の命令どおり珍姫を井戸に投げ込んでしまう。
西太后の死後,権力の座を離れ墓守りをしていた李蓮英は,自らの死期を悟ると,これまで大事に持っていた自分の男根を飲み干して西太后の墓へ行き安らかな眠りにつく・・・
醇親王の役で,朱旭が出ていましたね。前に見た時には気が付きませんでした。今回は,声を聞いただけで分かったよ。独特の言い回しなんだもの。
西太后の残虐・暴虐ぶりも少なかったな。珍姫を井戸に投げ込むところも淡々と終わった感じ。監督が『西太后』のリー・ハンシャンだったら,あのシーンはもっと念入りに撮っただろうな。(変な期待をしていた?)
(1990年北京映画製作所・香港/監督:田壮壮/俳優:劉暁慶,姜文,朱旭/映画館,2000.9.30renewal)
青い凧(藍風箏)★★★★★
1949年の中華人民共和国成立以後の公私合営化(56),百家争鳴・百花斉放運動(56),反右派闘争(57),大躍進政策(58),大飢饉(59〜61),文化大革命(66〜)と続く不安定な政治・社会情勢の中で,毛沢東の政策に翻弄され続ける庶民の姿を,小学校の女教師・陳樹娟(シューチュアン)とその家族,友人,隣人の生活を通して描く。
1953年3月の北京のある胡同(フートン)。藍(ラン)おばさんが所有する四合院(しごういん)で,間借人の樹娟と図書館司書・林少龍(シャオロン)の結婚式が行われた。建国からまだ3年半,人々が新しい社会主義国家建設の希望に燃えていた頃で,結婚式も社会主義式に行なわれ,壁に掛けてある毛沢東の肖像画に新郎新婦が敬礼した後,革命歌を全員で合唱するといったものであった。翌年には,二人の間に息子・鉄頭(ティエトウ)が生まれた。鉄頭は凧上げが好きで,やさしい父によく凧を上げてもらっていた。一家は彼らが信じていた社会主義の元で幸せな生活が送れるはずであった。しかし,皮肉にも樹娟と少龍が結婚式のときに敬礼したその毛沢東のおかげで,以後の樹娟たちの人生はメチャメチャになる・・・
1957年,「反右派闘争」で少龍は右派のレッテルを貼られ,労働改造へ送られた後そこで事故死する。少龍を密告した同僚の李国東(グオトン)は責任を感じ,その後ずっと樹娟親子の面倒を見ていた。やがて樹娟は国東と再婚するが,国東は大飢饉のとき樹娟親子に食糧や衣服を与えるために,苛酷な労働をし粗衣粗食に耐えた無理がたたり,ほどなく病死してしまう。
1965年,四合院を出て実家に戻った樹娟は,国家に翻弄される生活から鉄頭を守るため,党の高級幹部・老呉(ラオウー)の後妻となることを決断する。二人は老呉の住む立派な洋館に引っ越すが,鉄頭は母を「家政婦」と呼び,ことあるごとに老呉に反抗する。
翌年,毛沢東が文化大革命を発動し,老呉を批判する壁新聞も貼り出されたため,妻子に危害が及ぶことを危惧した老呉は,樹娟に離婚を申し出る。紅衛兵が心臓の弱っている老呉を担架に乗せて連れて行こうとするのを止めようとした樹娟は,逆に老呉と一緒に連行されそうになる。母が連れて行かれるのを阻止しようとした鉄頭は,紅衛兵から袋叩きにあう。地面に倒れた彼が見たものは,木に引っかかり破れてズタズタになった凧であった。そう,映画の冒頭では新しい社会主義の希望の象徴として空高く舞い上がっていた,あの「青い凧」である・・・

この作品以前の文革映画は文革の悲劇を中心に描き,文革そのものを批判するだけのものが多かったが,この映画は,なぜ文革が起こったのかを検証するため,1950年代の社会主義改造時代の政治活動にも踏み込み,しかもそれを否定的に描いている。政策の誤りをあまり遡って指摘していくと,新中国の成立,ひいては中国共産党をも否定することにもなりかねないのだから,当局が上映を許可しないのも仕方ないか・・・
物語は,センチメンタルに陥ることなく淡々と進んでいくが,一つ一つのシーンや言葉に注目して観ていくとなかなか奥深い。三度出てくる結婚式がそれぞれ時代の変容を表していておもしろいし,何回も出てくる食事のシーンはその中で交わされる会話から田壮壮のメッセージを受け取る重要な設定だ。それと,映画の冒頭とラストで歌われるカラスのわらべ唄が何を意味しているのか・・・
変わったシーンでぼくがおもしろいなと思ったのは,物語の流れとは関係ないけど,樹娟が幼い鉄頭の足を洗ってやる「洗脚(シージァオ)」のシーン。中国人は日本人のように毎日フロに入らないので夜寝る前に脚を洗う習慣があり,中国映画でもおなじみのシーンだが,子供の脚を洗ってやるシーンは始めてかな?(ほほえましい)
当局からの批判を和らげようという狙いからか(?),映画は,子供の鉄頭の眼を通して描いている。このため文化大革命の発動も学校での「造反」活動から始めている。鉄頭が家に帰って,校長をつるし上げて唾を吐いたと得意げに母に報告したら,樹娟が息子のほっぺたをひっぱたいたシーンが印象に残る。文革に対する田壮壮の強烈な反抗の一撃である。
鉄頭は,当時同い年くらいであったろう田壮壮の分身であり,ラストシーンで母を連れ去ろうとした紅衛兵に鉄頭が殴りかかったのは,田壮壮が共産党に殴りかかったのに等しい。
(1993年北京映画製作所/監督:田壮壮/出演:呂麗萍,濮存マ(プー・ツンシン),李雪健/映画館,2000.11.30renewal)
春の惑い(小城之春)
田壮壮監督の10年ぶりの新作は,中国映画の名作『小城之春(48)』(ぼくは知らないが)のリメーク。1946年,日中戦争の傷跡がまだ残っている蘇州が舞台。
蘇州の旧家・戴(ダイ)家の古い屋敷には,まだ若いが長患いの主人・礼言(リーイエン),その妻・玉紋(ユイウェン),リーイエンの妹で女学生の秀(シュウ),使用人の老黄(ラオホワン)の4人が暮らしていた。ユイウェンは,夫への愛が冷め,「妻」の役割を義務的にきちんとこなすだけの無聊な毎日を送っていた。そこへ,リーイエンの親友・章志忱(チャン・チーチェン)が上海から訪ねてきた。チーチェンを見てユイウェンは驚いた。彼は16歳のときに別れた恋人だったのだ。
何も知らないリーイエンはチーチェンに屋敷に泊まるよう薦め,一つ屋根の下で三角関係が成立することになる。リーイエンとユイウェンの夫婦仲がうまくいっていないのを知ったチーチェンはユイウェンへのかつての思いをよみがえらせ,一方のユイウェンも別れてからもずっと慕っていたチーチェンの意外な来訪に戸惑い心乱れる。夫のリーイエンは,妻の変化に気付きつつも平静を装い,チーチェンは愛と友情の間で苦しむ・・・
この映画,不倫ドラマというよりは,屋敷という限られた空間の中で展開される愛情の心理劇といった方が正解だろう。田壮壮監督は,言葉で説明するのではなく,表情や,ちょっとした仕草で登場人物の心情を我々に感じさせる。その描き方は,ゆったりと,しかも繊細に濃密にだ。映画を見ながら知らず知らずその落ち着いた雰囲気にはまってしまう。
お互いに好きなのにチーチェンとユイウェンはなかなか煮え切らない。どちらか一方がある一線を越えようとすると,必ずもう一方が制止する。現代人には少し理解しにくいが,この「大人の分別と良識」がこの映画のテーマともいえる。映画の中でこの分別と良識が乱れるシーンが一番印象に残る。それは,シュウの誕生日のお祝いのシーンだ。皆で食事をしながらジャンケンゲームをするのだが,酒も入ったユイウェンとチーチェンがあまりにも楽しくはしゃぐのを見て,リーイェンは耐え切れなくなり,そっと部屋を出て庭でひとり泣く。そして,チーチェンとユイウェンは,その後,自分の気持ちを抑えきれなくなり爆発寸前までいくのだ。
言葉としては,「明天見(ミンティエン・チエン)《また明日》」が印象に残る。ユイウェンは何度この言葉を喋ったろう。「部屋でもっと話したい」と願うチーチェンに対しては,気を持たせるように。そして,「今夜は出て行かずに部屋に残って欲しい」と頼む夫のリーイエンに対しては,冷たく突き放すように・・・
屋敷で起きた大きな事件の後,チーチェンは上海へ帰ることにするが,遠ざかる汽車の汽笛を聞きながら,いつものように刺繍を続けるユイウェンは,この後また以前と変わらない退屈な暮らしをずっと送るのだろうか。そう思うと,ため息の出る思いがした。
(2002年中国/監督:田壮壮/2003.10.10サロンシネマ)
呉清源〜極みの棋譜(呉清源 The Go Master)
1914年に中国・福建省で生まれ,14歳で日本にやって来た昭和の天才棋士・呉清源の生きた時代を描く,伝記映画。
同じ第五世代の監督でありながら,最近はエンターテインメント映画を作り始めた張芸謀や陳凱歌とは一線を画し,国内で地道に活動する田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)が,『春の惑い』以来,久々に作った映画。
物語の大半の舞台が日本であり,使われている言語もほとんどが日本語であり,日本人のなじみの俳優もたくさん出演している。また,昭和の面影を残す撮影地を探し回ったり,美術や衣装のスタッフにも優秀な日本人を使ったからなのか,とても中国人の監督が作ったとは思えない作品に仕上がっている。日本人の監督が作ったよりも,もっと日本的な映画だ。
映画の内容は,囲碁の奥深さを探求したものではなく,棋士・呉清源というよりは,人間・呉清源を描いている。
しかし,日本と中国が戦争をしていた時代を背景にしている割には,敵国である日本の囲碁界で活躍し,さらには日本に帰化し,日本人の女性とも結婚した呉清源の,悩み苦しんだであろう心中については,あまり執着して描かれていない。むしろ,映画の後半では,彼と宗教との関わり(入信した璽宇教により狂わされた人生模様)が中心となっている。
映画全体としては,言葉での説明が少なく,登場人物もどれが誰かよくわからない箇所もある。話の流れよりも,断片的なシーンのつなぎ合わせが多く,史実を知らないとわかりにくい。後からパンフレットを読んで,なんだそういうことだったのか,と気づいたことも多かった。
しかし,一場面一場面の映像の完成度の高さには驚かされる。家の中のシーンでも,テレビドラマのように,いきなり,全体の人物配置や,顔のクローズアップなどからは,撮り始めない。必ず,外や廊下からガラス戸越しに撮ったり,上や遠くから,そーっと入っていく。前作の『春の惑い』でも感心させられたが,映像の撮り方は,さすがである。
(2006年中国/監督:田壮壮/出演:チャン・チェン,柄本明/2008.1.10サロンシネマ)