謝晋(シエ・チン)監督 <第三世代>


天雲山物語(天雲山伝奇)
文革終了後,文革やそれ以前の反右派闘争で弾圧された人々の名誉回復が行われたが,それがなかなか進まず,一部の人間は元の地位を取り戻してさらに出世しているのに,彼らよりももっと開明的な活動をした人々が,なお失脚したままで悲惨な状態におかれているということを,謝晋監督は訴える。
革命部隊の少女隊員だったソンウェイ(宋薇)とチンラン(晴嵐)は,1956年,天雲山地区に開発調査隊として入り,ソンウェイは,そこで,頭の固い政治委員・ウーヤオ(呉遥)の後任としてやって来た若くて活動的なルオチン(羅群)と知り合い,愛し合う。しかし,実力主義・能力主義で開発の成果も着実に上げていたルオチンは,それがために昔流の者たちの妬みをかい,その後の反右派闘争により失脚する。
一方のソンウェイは,ルオチンとの仲を引き裂かれ,党の命令で長期の研修に行かされ,そこで党の幹部からルオチンは反動分子であるから縁を切れと圧力をかけられる。さらに,結婚相手として,かつての上司・ウーヤオを推薦され,人間としての自然の感情よりも組織の歯車として動くことを求められる当時の教条主義的な雰囲気の中で苦しんだ末に,好きでもないウーヤオと結婚してしまう。
その後,天雲山特区は廃止され,ルオチンはすべての公職を解かれた上,生産隊に戻される。調査隊の仲間はみんな天雲山を去って行くが,ルオチンの無実を信じるチンランは,小学校の教員になり,ここに残ろうとする。チンランはルオチンと結婚し,彼を一生支えていこうと決めたのだ。そう決意したチンランが,ルオチンの住むあばら家を訪ね,病気で寝ているルオチンを荷車に載せて,吹雪の中を雪山を越え,自分の家に連れて帰るシーンはこの映画のハイライトで何度観ても涙をさそいます。
そして20年後,天雲山の再開発計画の調査で現地に行った友人から,未だに名誉回復されず荷物運びで生計をたてているルオチンと四人組時代の拷問により体を壊しているチンラン夫婦の悲惨な生活の様子を聞いたソンウェイは自分の過去を反省する。さらに,彼らが何度も出した名誉回復の訴えを夫のウーヤオが握りつぶしていたことを知ったソンウェイはついに夫と対立し,ルオチンの無実を上層部に直接訴え,危篤のチンランに会うため天雲山に行こうとする・・・
このように,映画そのものは非常に時代がかった恋愛ドラマとして展開し,お涙頂戴シーンも登場する謝晋監督お得意の作り方だが,この作品では,文革批判に加え,なぜ名誉回復が進まないのかというところにまで踏み込んでいる点が評価されるべきだろう。
なお,「天雲山」は実在せず,1987年にNHKのテレビ中国語講座で放映された時に解説をされていた刈間先生の話では,ロケは安徽省で行われたということでした。
(1980年上海映画製作所/監督:謝晋/TV,2003.3.9renewal)
牧馬人★★★★★
甘粛省の牧場で貧しい教師をしている許霊均の元に,30年前に妻子を捨てアメリカに渡り今は大会社の社長になっている父親からアメリカへ連れていく誘いが来る。北京飯店で父と再会したが,右派分子のレッテルをはられ数々の屈辱と辛酸をなめた過酷な過去を回想し,そんな自分を助けてくれた牧場の仲間や愛する妻,それに愛する中国を捨ててアメリカへゆく気にはなれなかった。
北京の景色も多く,中国語もわかりやすいので勉強には最適。
1988年NHKテレビ中国語講座放映作品。
(1981年上海映画製作所/監督:謝晋/出演:牛犇(ひょうきん郭さん)/TV)
芙蓉鎮★★★★★
言わずと知れた中国映画の最高傑作で,文革の悲劇を正面から描いた初めての作品。文革という狂気の嵐が地方の小さな町で如何に荒れ狂い,善良な人々を悲劇のどん底に落としていったかを,小さな料理屋を営んでいた一人の女性・胡玉音の受けた幾多の苦難を通して描く。その嵐の中を耐え忍びながら生き抜いた彼女の感動の物語でもある。
1963年(文革が始まる少し前),芙蓉鎮という小さな町。市が立つ日に玉音(ユイイン)が夫の桂桂と開く米豆腐屋は大繁盛し,彼女は町の男たちの人気の的にもなっていた。国営食堂の女店主・李国香はそれをずっとねたんでいて,その後,しばらく町を離れていたが,県の政治工作班長に昇格し「四清運動」の指導のために再びこの町に戻って来たときに,国香(グオシアン)は集会で玉音夫婦をブルジョア分子と決め付け,玉音を援助する仲間たちをも批判の対象にするのだった。
玉音は,汗水流して一生懸命働いて貯金もし,家も新築した自分たちがなぜ非難されなければならないのか納得がいかず,「ひき臼の柄がすり減るほど,鍋底に穴があくほど働いたのよ。私たち人を搾取した?」と夫に泣きながら訴える。
難を逃れるため一時,田舎に避難していた玉音が町に戻ってみると,夫は処刑され,玉音を支援してくれていた仲間たちも職を奪われたり自己批判させられていた。さらに,新築の家と1500元の貯金も没収されていた。
そして1966年に文革が始まると,「新富農」と認定されていた玉音は,労働改造のため右派分子の秦書田と一緒に早朝の道路掃除をさせられることになる。
秦(チン)と玉音は雨の日も雪の日も毎日毎日,朝早くから石畳の道を竹ボウキで掃除し続ける。玉音は党の命令に従い決められた掃除をして,毎日を耐え忍ぶことしかできない。一方,秦は”♪1,2,3・・ ♪1,2,3・・”と踊りながら道を掃く。これが秦のできる,文革に対しての唯一の「反抗」だった。玉音は秦の人柄をだんだんと理解し,いつしか二人の間に愛が芽生える。
しかし,文革は愛し合う二人の間をも容赦なく引き裂く。玉音が身ごもったため秦は党に結婚嘆願書を出すが受け入れられず,逆に反革命分子として裁判にかけられ,秦は懲役10年の刑に処せられることになった。判決のシーンがこの映画のハイライトで,絶望した玉音を勇気付けるために秦があの有名なセリフを言う。「生き抜け。ブタのように生き抜け。牛馬となっても生き抜け。」と。文革当時,身に覚えのない理由で投獄されたり迫害された数多くの人たちは,本当にこう思いながら耐え忍んだのだと思う。
その後,玉音は前と同じように道路掃除をしながら,秦の帰りを待ち続ける。そして,1979年,文革が終了して3年経ち,玉音と秦の名誉も回復され,玉音は新築の家と貯金を返してもらい,また元と同じように米豆腐屋を今度は秦と始めるのだった・・
ハッピーエンドで終わったかに見える転回に,謝晋監督が皮肉を入れている。秦が,出所して町に帰るために乗り込んだフェリーボートの中で偶然国香に出会うところだ。文革前や文革中に,町の革命派のリーダーとして好き勝手に人々を苦しめた国香は,文革後も,失脚することなく,逆に県の幹部から省の幹部に昇格していた。きまり悪そうな国香は秦に「同志」と呼びかけるが,秦は「私も同志ですか?そう呼ばれちゃ面食らっちゃうな」と笑い飛ばす。文革の責任の所在,本当の総括はまだ終わってないよと謝晋監督は当局に訴えたかったのだろう。
(1987年上海映画製作所/監督:謝晋/出演:劉暁慶,姜文,徐松子(李国香),劉利年(桂桂)/サロンシネマ,2000.12.8renewal)
乳泉村の子(清涼寺鐘聲)
日中戦争が終結した後,洛陽の乳泉村では,日本軍とその家族があわただしく日本に引き揚げていた。日本人の去った跡に,乳飲み子が置き去りにされているのを見つけた産婆の羊角(ヤンチャオ)は,家に連れて帰り育てることにする。この子はやがて成人し,りっぱな僧侶(明鏡法師)となって,中国仏教代表団の一員として来日した折りに,生みの母と涙ながらに再会する・・・
中国残留孤児の物語なんだから,話はそんなにきれいごとばかりで進むはずがない。"犬坊"と名付けられたこの捨て子は,子供時代には「小日本(鬼子)」《シャオリーベン》("日本(=侵略者)のガキ"の意)とか「親なし子」と罵られ,いつもいじめにあう。
羊角の家の貧しさがさらに犬坊を不幸にしていく。羊角には口と耳の不自由な息子とやさしい娘がいて,犬坊をとてもかわいがっていた。しかし,息子は出稼ぎ先で事故に遭い帰らぬ人となり,娘は貧しい家の助けになればと気乗りのしない金持ちの家に嫁いで行く。一度,里子に出されて養父母から冷たい仕打ちを受けて戻っていた犬坊は,やむなく出家するのである。原題の清涼寺というのは,犬坊が預けられた寺の名前だ。
このあたり,謝晋監督お得意の,お涙頂戴映画のパターンだ。不合理に人や社会にいじめられる映画を作らせたら,この監督の右に出る者はいないだろう。ただ,一昔前の映画特有の,とってつけたような効果音が多すぎるのが気になるところだ。明鏡法師が来日して,母(栗原小巻)の家を訪ねて自分を捨てた(そう思っていた)母と対面するシーンも泣かせどころだが,少しやらせ気味の気がする。
この映画,ぼくは,NHKドラマ『大地の子』より先に見ていたのだが,この度見直してみて,中国残留孤児の主人公が耐え苦しみながら成長するところや日本で母(父)を訪ねるところ,最後にはやはり中国で生きる決心をするところなどストーリーがよく似ていると思った。
そういえば,『大地の子』で陸一心の育ての父親役をした朱旭が明鏡法師の師匠役で出ています。通訳の役で出ている川田あつ子が中国語のセリフを丸暗記したというのも陸一心の上川隆也と同じか。
好きなシーンは,出稼ぎに出ようとする羊角の息子の聞こえない耳に,犬坊が「父ちゃん」と大きな声で叫ぶところ。ウンウンとうなずきながら喜んで出かけていく犬坊の育ての父親は二度と帰ってこないのである。
(1991年上海映画製作所/監督:謝晋/出演:濮存マ(明鏡法師),栗原小巻,尤勇(羊角の息子),朱旭/映画館,2001.7.28renewal)
犬と女と刑老人(老人与狗)
1972年,文革の最中。寧夏回族自治区のある辺境の村。砂嵐の激しく吹き荒れていた日,60歳を過ぎても嫁の来てがなく愛犬と暮らしている刑(シン)老人の家に一人の物乞いの女がやって来た。女は年のころ30代で,配給の食糧を浮かせるために,貧しい山の村に2人の子供を残して物乞いの旅に出ていた。 一晩,刑老人の家に泊めてもらった女は,その後,刑老人の身の回りの世話をしながら刑老人と一緒に暮らすことになったが,ある日,山の村から,残された家族の窮状を知らせる手紙が届き,刑老人が仕事で3日間,家を空けていた間に,突然姿を消してしまった。
人柄が良くてよく働く若い女とのひと時の夢のような生活が消え去り,がっくり落ち込んでいた刑老人にさらに追い討ちをかける事件が発生した。集会で党の革命委員から,犬は一年で90sもの穀物を食べる無駄な生き物なので処分するよう命令が下ったのだ。愛する女に去られた上,長年連れ添っている愛犬まで失うのでは,刑老人はとても耐えられない。しかし,生産隊の中の犬は次々に処分され,残るは刑老人の犬だけになった・・・
文革中,雀が害鳥として退治されたのはよく知られている(『蒼い凧』にも出てきました)が,犬も処分されたとは知らなかったな。村の或る女が刑老人の家へ靴の型を取らせてほしいと訪ねて来たシーンで,新聞紙に型を切り取ろうとしたのを物乞いの女があわててやめさせるシーンもありましたね。切った新聞にもし毛沢東の写真や毛語録でも載っていたりしたら,反逆罪になってしまうからなのです。
『芙蓉鎮』で,文革の狂気の嵐の中を耐え忍びながら行き抜いた豆腐屋の女主人の感動的な物語を描き,文革の集大成をしたと思っていたのに,それから6年後,再び文革をテーマに映画を撮った謝晋監督の意図は何だろう?この映画では,善良だが貧しい老人の受けた悲劇を描き,静かに文革の不条理を訴えている。「なにかが狂っている」とわれわれに訴えているが,もっと強い,文革に対する反抗の姿勢を見せてほしかった気もする。
物乞いの女を演じる斯琴高娃については,一見の価値あり?『香魂女』『息子の告発』とはイメージも違い(少しやせてます),強欲さも見られません。刑老人との愛をつつましく演じているが,刑老人の見つめる前で,彼女が洗面器の中に足を浸けて洗うシーンが唯一色気を感じさせる。『芙蓉鎮』にもやはり女主人公の回想シーンで,「洗脚(シージャオ)」の場面がありましたね。謝晋監督の好みなのでしょうか?
(1993年北京映画製作所/監督:謝晋/出演:斯琴高娃/映画館,2001.11.6renewal)
阿片戦争(鴉片戦争)
香港が中国に返還されるのを記念して,なぜ香港がイギリスに割譲されたのかをいま一度考えるため謝晋監督が製作した歴史大作。映画は香港割譲の原因となったアヘン戦争の勃発した理由とその結末を優柔不断な紫禁城や身勝手なイギリス議会の様子も織り交ぜながら,ほぼ史実に沿って描いている。
当時,清はイギリスがインドから持ち込むアヘンの吸飲により,一般国民から官僚に至るまで中毒が広がって国が疲弊状態となり,又その支払いのために多額の銀が国外に流出していた。このため,道光帝は,林則徐を欽差大臣(特命全権大使)に任命して広州に派遣しアヘンの根絶に当たらせた。
林則徐は,密輸業者を断固処分するとともに,イギリス商人から2万箱のアヘンを没収し廃棄した。あまりの強硬措置に怒ったイギリスはこれを機会に清と開戦し瞬く間に天津にまで侵攻した。勝ち目がないと悟った道光帝は,事態収拾のため,戦争を招いた責任により林則徐を罷免する。代わったg善は不戦論者でイギリスからアヘン没収の賠償と香港の割譲を要求される。結局,g善は斬首,林則徐は流罪となる・・・
こういったストーリ−を,人物描写をあまり細かくせず,史実に沿って淡々と描いている。これなら別に謝晋監督でなくてもよかったんじゃないかな。イギリスの非人道的行為を痛烈に批判してもよかったのに。返還前だから遠慮したかな。中国近代史の歴史教材としてみれば,本を読むよりわかりやすく映像もきれいだしなかなかいいと思います。
(1997年峨眉映画製作所/監督:謝晋/2000.7.15video)