14「さ」,「し」で始まる作品


再会の食卓(團圓)
上海に住むユィアー(玉娥)のところに,1949年の国共内戦時に生き別れた夫・元国民党軍の兵士イェンション(燕生)が40数年ぶりに台湾から帰ってくることになった。
ユィアーは,その後,シャンミン(善民)と結婚し,すでに新しい家庭を築き,子や孫もいる。さらに,イェンションの上海訪問がユィアーを台湾に連れ戻すためだとわかり,平穏に暮らしていた上海の家族に一騒動が沸き起こる。
現在の夫シャンミンは,名前のとおり,善良な人で,「台湾に行きたい。これまで夫を愛したこともない」と言う妻に対し,「これまで苦労したのだから,今後はお前のしたいようにすればいい」とやさしく言う。
『今の家族と別れてシャンミンと台湾に行く』というユィアーの決断が早かったことと,それを聞いたシャンミンの反応が全然素直だったことが,ぼくと感覚が違うのか,意外過ぎました。一体,これまでの夫婦関係は何だったの?
ただ,そんなシャンミンも,最後に料理屋で酒が入ったときに,家族の前で大いに愚痴るので,やはり自分の感情を抑えていただけだったとわかります。
映画の中に頻繁に出てくる食卓を家族団欒の象徴にし,登場人物の心の機微を丁寧に描いていて,言い争いのシーンが多い割には,落ち着いて見ることのできるいい作品です。
(2009年中国/監督:ワン・チュエンアン/サロンシネマ,2011.6.23)
さよなら上海(留守女士)
上海を舞台に,アメリカにいる夫を持つ女医と,日本にいる妻を持つタクシー運転手の微妙な心情を都市の風俗を交えて描いている。
1993年NHKテレビ中国語講座放映作品。
(1991年上海映画製作所/監督:胡雪楊/出演:孫淳/教育TV)
三国志(三国志)
群雄が割拠し英雄が総登場する,日本人も大好きな「三国志」を,中国が国家の威信を掛けて90年に映画化した作品。第一部「大いなる飛翔」は,黄巾の乱を契機に劉備玄徳,関羽,張飛の三人が義兄弟の契りを結んだ「桃園の誓い」から始まり,根拠地もなく各地を転戦していた彼らが軍師・諸葛孔明を得て,赤壁の戦いで呉の周瑜を助けて曹操軍を撃破するまでを描く。
これだけの内容を130分でまとめようというのだから,やはり無理がある(中国版は3時間20分)。連環の計や三顧の礼,赤壁の戦いなど所々は少し詳しく描いてはいるが,全体として先へ先へと急いで展開し,歴史の上辺だけをなぞった仕上がりになっている。吉川英治の小説やNHKの人形劇を見た人にとっては物足りなさを感じるだろうし,歴史の知識があまりない人は,内容について行けないだろう。構想5年,撮影3年,総制作費4000万人民元(15億円)という中国映画史上破格の作品であるわりにはできあがりが,もうひとつといったところでしょうか。でも,かく言うぼくも,当時ロードショー公開を見に行った一人ですが・・・
見どころといえば,歴史に名高い数々のスペクタクルを史実にほぼ忠実に,本物の古戦場で再現した点と,香港でアクション映画を撮っていた総監督の指揮による大草原での合戦シーン,それから趙雲らによる殺陣のシーンでの格闘武術でしょうか。
劉備,関羽,張飛はイメージとそれほど差異がなかったけど,孔明はもう少しカッコいい人にしてもよかったんじゃないだろうか。曹操の家来になっていた関羽が五つの関所を破って脱出して戻って来た時,疑っている張飛に無実を証明するため,太鼓を300回打つ間に曹操軍の大将を討ち取って来ると約束をしたシーンで,太鼓を打つ張飛のしぐさがこっけいで,なぜか印象に残っています。
(1990年中国/総監督:楊吉友/朝日会館,2002.5.24renewal)
しあわせの場所(没事偸着楽)
高層ビルが建ち並ぶ近代都市・天津。その片隅に昔ながらのレンガ造りの塀に囲まれた長屋が残っている。たった二間しかないその長屋で,主人公・張大民(チャン・ターミン)は母親と4人の弟妹,全部で6人で一緒に暮らしている。
大民は,魔法瓶工場に勤めて一家の大黒柱として家族を支えながら,家では部屋不足の問題に頭を悩ませる。自分とユンファン(雲芳)との結婚,三民(サンミン・弟)の結婚,我が子の誕生と家族が増えるたびに彼は知恵を出してスペースを作っていかねばなりません。
そのほか,農村に嫁いでいった二民(アルミン・妹)の夫婦ゲンカ,窮屈な家を嫌い辺境の大学に行こうとする五民(ウーミン・下の弟),病気で倒れる四民(スーミン・下の妹)など,住宅問題以外でも一家にはいろんな問題が起こり,その度に大民がユーモアあふれる“へらず口”で解決していきます。
原題は「没事偸着楽」。直訳しにくいけど,「何もなくても,こっそり楽しむ」ほどの意味でしょうか?(ちょっと変?)邦題の『しあわせの場所』は,描かれているのが普通の家族の小さな幸せの積み重ねであることによる意訳です。原作は「へらずぐち男,チャン・ターミンの幸せな生活」という小説だそうだが,なるほど,これの方が全部を言い当てているなと思う。漫才師の馮鞏(フォン・コン)が主人公を演じる温かいホーム・コメディですが,なかなか味わい深いところもありましたね。
狭い中庭から路地にはみ出して自分たちの部屋を建て増しようとした時,隣人に反対されて木を切ることができず,部屋の中にベットの真ん中から屋根を突き抜ける形で木を残すことにしますが,そこが大民にとっては一番落ち着く場所だったのではないかな。大民と雲芳がベッドの上で木にもたれかかって話をしているシーンが好きだなあ。立ち退きで広くて新しいマンションに越した大民は,部屋の中に木がないことを寂しく思います。そういえば,木のある部屋で生まれた子供には「小樹(シャオシュー)」という名を付けていましたね。
下町の暮しを扱った映画では,『こころの湯』と同様,再開発というテーマが避けて通れません。再開発により取り壊されるのは,街や建物ばかりではない。そこで暮らしていた人々の生活を,人情をも取り壊してしまう。でも,「へらず口の大民」のことだから,きっと新しい生活の中でもすぐにまた新たな幸せを見つけていくんだろうなと思います。
(1998年中国/監督:楊亜洲/出演:馮鞏,丁嘉莉(二民)/2002.10.26横川シネマ)
老店(しにせ)(老店)
1864年創業の北京ダックの老舗「全聚徳」の誕生秘話。「全聚徳」の創業者・楊明全(ヤン・ミンチュアン)の曾孫娘が,祖先の偉業を映画に撮るため故郷(万里の長城を越えた先)を訪れ,そこで楊家の墓に一緒に埋葬されている創業間もない頃に事故死した同僚の墓守をしている,創業時の店員で百歳になる老人に出会い,彼から当時の話を聞く・・・
清末,楊明全は,営業不振だった「徳聚全」という店を譲り受け,風水先生の薦めに従い店の名を「全聚徳」と改め,北京ダックの店を始めた。その後,楊主人は名コック・呉(ウー)と宮廷料理人だった孫(スン)をよその店から大金を積んで引き抜く。孫は宮廷料理の子豚の丸焼きと同じ方法で北京ダックを焼くことを考案し,これが評判を呼び「全聚徳」は大繁盛していく。
「徳聚全」の若旦那・華英奎(ホワ・インクイ)は「全聚徳」の成功を妬み,「華贏全」(華が全に勝つという意味)という北京ダックの店を開いて邪魔しようとしたり,高級官僚の息子・季公子と組み,元の「徳聚全」時代の食券を「全聚徳」で使おうとし,認められないと店で大暴れして営業を妨害するのだった。
店の中でも内紛が起こる。孫を妬んでいた元コック長の鄭は,孫が鴨を炉に入れるときに使う愛用の棒をよろけた振りをしてわざと折ってしまう。炉の中で焼け焦げそうになる鴨を見た孫が水がめを持って来させて何をするか?見所の一つでしょう。
そんな内憂外患に嫌気が差した楊主人は,店で西洋人とのトラブルをうまく避けてくれた若い女性と急速に親しくなる。楊主人は,病気の夫を持つ玉環(ユイ・ホアン)を愛していたが,若い西洋風の女性と親しくなったことで,玉環との間は次第にギクシャクしてくる。耐えてばかりいる玉環のところへ,主人の使いでいつも行っていた新入り店員の田順(ティエン・シュン)は,次第に玉環に同情を寄せるようになる。
そして,楊主人が若い女の家を訪ねて行った夜,田順は玉環を騙して呼び出し,胸の内を告白し強引に関係を持つ。やがて玉環に子供が産まれ,父親が田順だという噂が流れるが,占いによると嫁取りが災いを払うと出たので,楊主人は玉環と結婚することを決めた(玉環の夫は彼女が田順と関係を持った日に自殺していた)。その結婚式の夜,悲劇が訪れる・・・
華英奎を演じる尤勇(ヨウ・ユン)の悪役振りは,『太陽に暴かれて』同様,サマになっています。楊主人につくす内気な女性を演じたのは,『芙蓉鎮』であのニックキ政治工作班長を演じた徐松子(シュイ・ソンツ)でした。『芙蓉鎮』のイメージが強烈だから,こちらは少し違和感がありました。
(1990年南海影業公司・上海映画製作所/監督:古榕/出演:徐松子,尤勇,葛優(季公子)/映像文化L,2002.4.30renewal)
蕭蕭(湘女蕭蕭)
中華民国初年(1912年),湖南省の山あいの楊家一族の村に「トンヤンシー」として売られてきた12才の少女・蕭蕭(シャオシャオ)の苦難の物語。「トンヤンシー(童養xi)」とは,将来,息子の嫁にするために子供の時から買われてくる女の子のことだが,蕭蕭の夫になる春官(チュングアン)は,まだ2才であり,嫁というのは名目で実際は子守りをしながらの農作業や下女の仕事をさせられる。
映画は,まだ族長が権力を有し,村の掟に縛られた解放前の閉鎖的な封建社会のありようを,蕭蕭の半生を通して淡々と描いているが,その象徴的な出来事が,蕭蕭が18歳になったときに起こる。
蕭蕭は作男の花狗(ホアゴウ)と,ある雨の日に水車小屋で結ばれて以来,逢瀬を重ねていたが,そのうち身籠ってしまう。その頃,二人の運命を左右する大変な事件が村で起こった。隣村のかじ屋と密通していたことがばれた,村の未亡人が仕置きを受けることになったのだ。族長の裁きで,かじ屋は足を折られ,未亡人は川に沈められてしまった。
自分たちも掟どおりに裁かれると思った花狗は,怖くなって,蕭蕭を残したまま,1人で村を逃げ出してしまう。そして,蕭蕭も夜逃げを決行するが捕まり,村に連れ戻される。ただ,妊娠したまま川に沈めるとお腹の子が化けて出るということで,命だけは助かり,蕭蕭はそのまま,男の子・牛児(ニューアル)を産む。
そして,歳月は流れ・・・今や立派な青年(学生)になった春官が,夏休みに帰省してみると,実家では,蕭蕭が,まだ赤ん坊の牛児に「トンヤンシー」を迎える結婚式の準備に忙しくしていた。そう,悠久の時は,蕭蕭に起こった波乱万丈の出来事を何もなかったかのように包み込み,歴史は,蕭蕭が嫁いできた時と同じことを孫子の代までずっと繰り返していく・・・
全体的に映像が暗い。夜のシーンが多いせいもあるが,とにかく暗いシーンが多い映画だ。『黄色い大地』も,窰洞(ヤオトン)の中など暗いシーンがあったが,この映画はその比ではない。中国映画の映像は暗いなあという印象を持つことになった原因となった映画でもある。(個人的にだが)
(1986年北京電影学院青年映画製作所/監督:謝飛/1991.3映像文化L,教育TV「アジア映画劇場」,2004.11.25renewal)
ジャスミンの花開く(茉莉花開)
1930年代(映画黄金期),1950年代(文革期),1980年代(現代)と三つの章に分かれたこの映画で,チャン・ツィイーが,それぞれの章で,「茉(モー)」,「莉(リー)」,「花(ホア)」という名の,親子関係になる三世代の女性を,一人三役で演じる。
「茉莉花(モーリーホア)」は,中国語でジャスミンのことだが,この映画には,ジャスミンは直接関係しない。「茉莉花」は,又,江南地方の民謡の曲名でもあり,この映画の中でもチャン・ツィイーが2回ほど歌っており,これは重要な意味を持つ。
ところで,第1章で「茉(モー)」の母親役を演じているジョアン・チェンも,この映画で一人二役を演じ,チャン・ツィイーとの配役関係を文章で説明すると少しややこしくなる。
「茉(モー)」の子が「莉(リー)」で,「莉」の子が「花(ホア)」なのだが,第1章で「茉」を演じていたチャン・ツィイーが第2章では「茉」の子である「莉」を演じ,その時すでに中年になっている「茉」の役は,第1章で「茉」の母親役を演じていたジョアン・チェンが演じる。そして第3章では,チャン・ツィイーは「莉(リー)」の子である「花」を演じ,ジョアン・チェンは第2章に引き続き「茉(モー)」(ただし老年になっている)を演じている。
つまりは,チャン・ツィイーは,ある一人の女性の青年期から老年期までを一人で演じているのではなく,彼女は,三章とも,その時代その時代の若きヒロインを演じているわけで,この映画は,いうなれば,『初恋のきた道』に類似した,チャン・ツィイーのための時代別ブロマイド版映画とも言える。
チャン・ツィイーの熱烈なファンであれば,どの時代のチャン・ツィイーが自分の好みかという議論に花が咲くのであろうが,ぼくの場合は,そんなことよりも,この映画全体がチャン・ツィイーのためにつくられた気がして,これまで,「茉」,「莉」,「花」の三世代ともずっと男運の悪い人生を送ってきたチャン・ツィイーが,最後の第3章で雨の中で一人で出産するシーンに,たくましさを感じました。男に頼らず,自らの力で人生を切り開いていくことを決意した彼女に拍手を送りたかったです。
やはり映画は我々に生きる希望を与えてくれるものではないと・・・あのまま,第3章も悲劇で終わると,やりきれないです。「茉」,「莉」,「花」と送った親子三世代の人生が,最後に花開くから,『茉莉花開』でしょうか。
(2004年中国/監督:ホウ・ヨン/出演:チャン・ツィイー,ジョアン・チェン,姜文,劉Y(リィウ・イェ)/2006.10.18サロンシネマ)
上海アニメーションの奇跡
1957年創立の上海美術映画製作所の名作アニメのうち,7作品を一挙上映したもの。水墨画アニメの『牧笛』『鹿鈴』『琴と少年』の3本は,水墨画特有の色のぼかしや滲みを用いたまま動物が動き,河が流れ,一種独特の世界観を表現し,シンプルながら印象に残ります。作り方の違う他のアニメも,それぞれ特徴を持ち,よい作品ばかりです。
■牧笛(ぼくてき)(牧笛)(1963年/20分/水墨画)
世界初の水墨画アニメーション。牛に乗って散歩に出かけた笛を吹くのが上手な牛飼いの少年が,木の上で昼寝をしている隙に牛がいなくなり,それを探しに行くというお話。牛の動きと笛の音により引き込まれていく作品です。
■鹿鈴(ろくれい)(鹿鈴)(1982年/19分/水墨画)
大鷹に襲われて傷ついた子鹿を助けた少女とその子鹿の友情物語。『牧笛』に比べると,少しカラフルに,またリズミカルになっています。
■琴と少年(山水情)(1988年/19分/水墨画)
旅の途中で倒れた老人を助けた少年が,お礼に弾いてもらった琴の音に魅了され,老人の弟子になり弾き方を習うという師弟愛の物語。人物の描き方が『牧笛』や『鹿鈴』とは少し変わり,美しい筆の線で表現しています。原題のとおり,山水画の雰囲気があります。琴の音も印象的です。
■ナーザの大暴れ(nazha閙海)(1979年/59分/セル)
「封神演義」で最も人気のあるナーザが主人公。10才になるかならないかのナーザが仙人からもらった武器を駆使してどんどん敵を倒す痛快物語。会話は子供向けの中国語で割りと聞き取りやすく,音楽とナーザの動きが京劇のそれに似ているところも面白い。
■不射之射(不射之射)(1988年/24分/人形)
春秋戦国時代,天下一の弓の名人になろうとして修行を積む若者の物語。川本喜八郎が人形の製作をし,上海美術映画製作所のスタッフが協力してできた作品。原作は中島敦の「名人伝」で,日本語のナレーション付き。日本人が見ても,違和感なく受け入れられる。
■猿と満月(猴子撈月)(1981年/10分/切紙)
軽妙な音楽に乗って,小猿が繰り広げる満月捕獲作戦。切紙で作ったサルの表情と動きがとってもかわいいです。
■胡蝶の泉(胡蝶泉)(1983年/24分/セル)
美しい娘と若者が,領主の横恋慕から二人の愛を守るために泉に身を投げ,蝶になって飛んでいったという,雲南省の少数民族・ペー族に伝わる悲恋伝説を基に作った作品。なお,「胡蝶泉」は雲南省の大理に実在し,観光名所になっています。
(上海映画製作所/2002.10.29〜11.1横川シネマ)
上海家族(仮装没感覚)
こういう映画は好きだな。「今の上海」がいっぱい詰まっている。冒頭,アパートの1階での朝の生活感あふれるシーンから映画に引き込まれていく。そして,通りをバスや自転車やバイクで走るシーン,アパート内での生活の様子,学校の中,蘇州河の景色など,見ていて全然飽きない。主人公のアーシャは,夜まで蘇州河のほとりに居たけど,ぼくだって,こんなに上海の街の様子を見せてもらえるなら,一日中,映画館の中に居たって平気だ。
さて,映画は,上海の旧市街を舞台に,愛人を作った夫と離婚することになった母親に付いて家を出た15歳の少女・阿霞(アーシャ)の視点で描かれた,母娘の居場所(落ち着き先)を探す苦労物語です。阿霞を演じるのは俳優ではなく,同じ年齢の素人の女の子。自然な演技がいいです。
原題は,『仮装没感覚』。「気がつかないないふりをする」という意味だそうだ。狭い家に何家族も住むプライバシーも無いような状態や,再婚同士で気をつかって生活するという意味なのだろうと思うが,邦題の『上海家族』」の方がまだわかりやすいかな。英題の『SHANGHAI WOMEN』の方がもう少し映画の内容に近いか。なぜなら,この映画は,母,娘,祖母の三世代の女性の生き方が描かれたものでもあるからだ。
彭小蓮監督は,『女人故事』で,村の封建的な習慣に縛られているのを嫌い,都会へ行商に出かけて旅をするうちに,自立心が芽生えてくる三人の女性を描いた。今回の映画でも女性監督ならではの細やかさで母,娘,祖母の三人の女性の心の葛藤を描いている。ラストの,やっと手に入れた蘇州河のほとりの新居の窓から見える,黄浦江の対岸の浦東地区に建つ東方明珠タワーが母娘の明るい未来を象徴しているように思えます。
祖母の役は,『北京の思い出』で乳母の宋媽を演じた鄭振瑤(チェン・チェンヤオ),母の再婚相手,ケチの李さんは,『双旗鎮刀客』で悪役・一刀仙を演じた孫海英でした。
そういえば,李さんの家(アパート)は,下まで降りるのに,何でいちいち各階の廊下をジグザグに通らねばならないんでしょう?
(2002年中国/監督:彭小蓮(ポン・シャオレン)/出演:呂麗萍(母),鄭振瑤,孫海英/2004.9.30サロンシネマ)
周恩来(周恩来)
1966〜76年の文革の10年を軸に,20年代のフランス,40年代の延安,54年のジュネーブなどを織り交ぜ,周恩来の精悍,果敢な生涯を活き活きと再現している。
(1991年広西映画製作所/監督:丁yinnan/映像文化L)
朱家の悲劇(家丑)
1920年から1937年にかけて,江南の裕福な質屋「裕和商店」における,店の将来を心配する主人とデキの悪い放蕩息子そしてまじめな奉公人が織りなす人間愛憎のドラマ。
質屋の一人息子ホイは,子どもの頃から母親に甘やかされて育ち,厳格な父親とは合っていなかった。成長してもホイは道楽に金を使うのみで店のことは何もせず,父親はそんな息子に見切りをつけ,小さい時から奉公人として使っていたアーファン(阿芳)を第二夫人として迎え,男子を産ませようと考えた。
しかし,アーファンは自分と同じように小さい時からこの店に奉公しているティエン・チー(田七)と将来を約束していた。アーファンはティエン・チーに駆け落ちしようと持ちかけたが,主人から店の将来を懇願されたティエン・チーは蔵の鍵を任されることと引き換えに,アーファンを主人に差し出すことにする・・・
放蕩息子を演じるのが,こういった役のはまり役・王志文。同じく江南を舞台にした『べにおしろい』に続く演技で,現在,頼りなさを演じたら中国で彼の右に出るものはなかろう。質草を盗んだり,アーファンにちょっかいを出したりとあの手この手を使ってにっくき父親を困らせようとし,罪のないティエン・チーやアーファンもその被害をこうむることになります。
愛するアーファンを差し出してまで主人に尽くしたティエン・チーは,最後には店を譲り受け,朱家を乗っ取ることで,自分の目的を達成し,朱家への復讐をも成し遂げたと言えます。ただ,それも自然にそうなっていく感じで,ティエン・チーは自分の感情を努めて表に出しません。だからこそ,最後にホイに復讐するシーンは壮絶です。これまで溜めに溜めていた鬱憤を一気に吐き出した格好です。
大きな旧家の造りの質屋の屋敷の概観や内部の部屋それに江南の水郷の情景もすばらしく,なかなか丁寧に撮っている作品という気がしました。
(1994年/監督:劉苗苗/出演:王志文/2003.4.13video)
少年犯(少年犯)
婦人記者が少年犯罪の実体を取材するために少年鑑別所を訪れ,特徴的な非行歴を持つ三人の少年を取材する。
(1985年深せん影業公司/監督:張良/1986.3映像文化L)
女児楼(女児楼)
文革の時,いさんで人民解放軍に入った少女が山奥の病院で看護婦として悩んだり苦しんだりして成長する姿を描く。
自分は,自分を必要としてくれる人のために生きるべきことがわかり,結婚前夜に,婚約者に別れを告げることなく街を後にし,山奥の病院に戻って行く。
(1985年八一映画製作所/監督:胡mei・李暁軍/教育TV「アジア映画劇場」)
処女の刺青〜レッドチェリー(紅櫻桃)
1940年,内戦中の中国から13才のチュチュ(楚楚)とルオの二人の中国人学生がモスクワのイワノフ国際学院に編入してきた。
映画の舞台は,1940年から1945年の旧ソ連で,主人公の二人以外に中国人は出てこない。会話も圧倒的にロシア語である。監督は一応中国人であるので,これも中国映画の範疇に入れるべきなのか?
反戦映画である。最初,二人は楽しい学園生活を送っていたが,第二次世界大戦が始まり,ドイツ軍がモスクワに侵攻するに及び,混乱のさなか二人は離ればなれになる。
ルオは浮浪者となり,チュチュは修道院でドイツ軍の将軍の召使いとして働くことになる。この将軍は刺青をこの世で最高の芸術と思い込んでいて,チュチュの黄金色の肌に目を付け無理やり刺青をしてしまう。
やがて,ドイツの敗北ということで戦争は終わったが,チュチュの背中にはドイツ軍のマークをあしらった刺青が残されたままで,いつまでたっても戦争の傷跡は消えない・・・
ヨーロッパスタイルの映画で,映像がとてもきれいです。もの悲しいトーンで映画がまとめられ,戦争の悲惨さもよく出ています。とても中国人の監督が作った映画とは思えません。ただ,この映画,中国のにおいがしない。この監督が中国を舞台にして作った映画を見てみたいな。
(1995年北京電影学院青年映画製作所/監督:葉纓/2000.9.8video)
女帝(The Banquet)
シェイクスピアの「ハムレット」を,古代中国の五代十国時代に置き換え,チャン・ツィイーの主演により製作した歴史アクション映画。
ある国の皇帝が謎の死を遂げ,その王妃であったワン(チャン・ツィイー)は,若さと美貌,それに豊かな肉体を兼ね備えていたため,新皇帝リー(グオ・ヨウ)に見初められ,その王妃となり,宮廷にそのまま残る。かつてワンに思いを寄せていたが,皇帝である父にワンを奪われ,田舎で隠遁生活を送っていた皇太子ウールアンは,父である皇帝の死が,皇帝の弟であったリーの陰謀であることを見抜き,復讐を決意する。
一方で,新皇帝リーの魔手は皇太子ウールアンにも伸びて来て,それを知ったワンはあの手この手の策略をもって,かつての恋人であった皇太子の命を守ろうとする・・・
ハムレットを下敷きにしたあたり,アクションだけでなく,物語にも重点を置き,張芸謀監督の『HERO〜英雄〜』『LOVERS』とは一線を画したいという監督の思いがあったのだと思うが,どうも,そうは,なりきっていないように思う。
はっきりいって,このタイプの映画は,アン・リー監督の『グリーン・デスティニー』以降,手を買え品を変え,見さされてきたが,「いい加減飽きたな」,というのが実感だ。
チャン・ツィイー以外にグオ・ヨウ,ジョウ・シュンなど有名スターが競演する豪華版となっているが,このタイプの映画,今後は何か一工夫加えてもらわないと,観客から離れられると思う。
(2006年中国・香港/監督:フォン・シャオガン/出演:チャン・ツィイー,グオ・ヨウ,ジョウ・シュン/2007.6.11TOHOシネマズ)
ションヤンの酒家(みせ)(生活秀)
重慶の下町の屋台街で,名物「鴨の首」料理の店を切り盛りしている,美人の女主人ションヤン(双揚)の悩み多き日常を描く。
ションヤンの悩みの多くは,家族に関することだ。気の強い兄嫁との不仲,麻薬更生施設へ入所している最愛の弟の面倒をみること,父親の後妻との間の溝などなど。文革のどさくさで借家人に名義を勝手に変えられた家を取り戻そうとする話が物語の一つの柱で,それにより父との仲は良くなるが,兄嫁との仲はますます悪くなる。
もう一つの柱が,店に毎晩のようにやってくる金持ちの中年男との恋愛話だが,これには少し不満を感じる。
それは,いつも決まって店先に座り,タバコを手に持ち注文を待つ女主人・ションヤンの姿が実に美しく感じられることに起因する。言わば看板娘か看板姉ちゃんといったところか。たくさんの電球に飾られた屋台街の独特の雰囲気や雑踏の中にうまく溶け込みながら,彼女はひときわ目立つ。ションヤンは生活感に溢れた美しさと,家族の問題やお店の準備など,何でも一人でテキパキ処理するカッコいい女(離婚暦もある)としての魅力を兼ね備えている。そんなションヤンがなぜ冴えない中年男と一夜の恋に落ちたのか・・・でも,最後にはションヤンは,やはり自分の居場所に戻ってきた,というところで安心しました。
パンフレットを読むと,本作をフォ・ジェンチイ監督の前作『山の郵便配達』の都会版と位置付け,それとの関連性を示唆した意見が多かったが,ぼくは,あまりそういう関連性は感じなかった。
張芸謀や陳凱歌の映画は,作り方に特徴があり,映画を見れば誰が作ったかすぐわかる。この監督は,少しタイプが違い,どういう種類の映画でもそれなりに上手く作れそうである。むしろ,田壮壮に近いと思う。
中年男を演じたのは,『一人と八人』で正義感あふれる指導員を演じた陶沢如(タオ・ツァオルオ)でした。『追憶の上海』で悪役を演じたのに続き,イメージが少し壊れてきた気がします。
(2002年/監督:霍建起(フォ・ジェンチイ)/出演:陶紅,陶沢如/2004.4.10サロンシネマ)
新北京物語(混在北京)
北京のとある横町にある向導出版社のオンボロ社員アパート。そこには,編集者,詩人,翻訳家などの地方からやって来た知識人とその家族が住んでいる。改革開放で市場経済に向かう社会の中で,そこの住人たちがカネ,女性,仕事,愛の問題で悩み,苦悩する様子を描いている。
主人公のサーシン(沙新)は,妊娠中の妻を成都に残し単身赴任している。彼はお堅い編集者で,カネのために仕事をするのを潔しとしない性分だ。大衆受けする本を出そうとする会社の方針に逆らい,副編集長と衝突する。彼と気の合う美術担当のチーツ(季子)は,独身で留学を希望しているが,その推薦をエサに彼女に気がある副編集長から言い寄られて迷惑している。彼女は,その後,副編集長の奥さんからあらぬ嫌疑をかけられ,憤慨する。
結局,この二人は,自分の信念を変えてまで,この会社に居続けるのを好まず,それぞれ会社を去っていく。時期的に,改革開放により社会が「単位」と呼ばれる共同体から個人型社会へ移行する頃でもあるが,この二人,なかなか潔い。職場でみんなから色眼鏡で見られるチーツを心配して,部屋に様子を見に来たサーシンが帰ろうとするとき,チーツが後ろから抱きついて泣くシーンがいいナ。
混迷する住人の代表が詩人で作曲家のイーリー(義理)で,彼は売れっ子になり,女性歌手と浮気する。結局女房にばれるんだけど。この詩人,スーツの下に派手で趣味の悪いトレーナーを着てるんです。
イーリーが浮気がばれて奥さんに謝るシーンで自分で自分のほほを叩くシーンがある。古い中国映画ではよく見かけるシーン(『芙蓉鎮』で,自分を信頼して金を預けた胡玉琴を裏切った支部書記が,自分を責めて自身の頭を叩くところなど)だが,時代が新しくなっても人々の習慣は変わらないのかな。そういえば,翻訳家のフーイーが,部屋で洗面器で足を洗う(洗脚)シーンもありました。
邦題は『新北京物語』となっているが,鄭洞天監督が北京の新婚アパートの6組の夫婦の生活をオムニバス形式で描いた『北京物語(87)』とは関係ないみたい。
(1995年福建映画製作所/監督;何群(ホー・チュン)/2001.5.18video)