三国志(90) 「ま行」〜「わ行」で始まる作品
17「ま行」〜「わ行」で始まる作品


未亡人(秋天里的春天)
文革中,市の革命委員会書記という要職にあった夫がスパイの汚名で迫害死して未亡人になったため,一人息子と苦しい生活を送っていた主人公一家をやさしくかばう郵便局員の愛の物語。
ただ,話はそれで終わらず,文革が終わり死んだ夫が名誉回復されると未亡人の主人公も重職に就き,郵便局員と再婚することを周囲が反対するようになる。
1989年NHKテレビ中国語講座放映作品。
(1985年上海映画製作所/監督:白沈/出演:雷漢(息子)/教育TV)
ミッシング・ガン(尋槍)
貴州省の山奥の小さな村。警官のマー・サン(姜文)は,ある朝,目が覚めると拳銃がなくなっていることに気付く。あせったマーは,昨晩の記憶をたどって村中を捜索するが,犯人を見つける前にその拳銃で殺人事件が発生する・・・ という中国映画には珍しいミステリー仕立て。
のどかだ。ミステリーの割にはあまりスリリングではない。話の舞台が田舎ということもあるのだろうが,映画のテーマが犯人探しではなく,極限状況に陥った人間の精神状態を描くことに重点が置かれているからだろう。
ただ,主人公の苦悩はよく描けているが,妻を始め他の村人の心理描写が少し浅い気がした。このため人間ドラマにもなりきっていない。適度にユーモアもかませ,退屈はさせないのだが,今ひとつしっくりこない映画だった。(会話が普通話でなく,なまりが多くて集中しにくかったせいもあるのかも知れない。)まあ,これが第六世代といえば,それまでだが。
揺れ動き,スピード感もあるカメラワークは,平常心を失った警官の執念や狂気,焦燥感を表していると,ほめる評論家諸氏が多いようだが,ぼくは見ていて,落ち着きがなく,目が回りそうなだけ,としか感じなかった。たまたま同じ時期に田壮壮監督の『春の惑い』を観たので,あの落ち着いたカメラワークでよく雰囲気を出している作品と比べるからよけい違和感があるのかもしれない。
それはさておき,主役の姜文は本当にたいした役者だ。彼は何の役でも見事に演じる。彼の演技と迫力でこの映画はもっている。
(2001年中国・アメリカ/監督:陸川(ルー・チュアン)/出演:姜文,寧静/2003.10.6サロンシネマ)
山の郵便配達(那山 那人 那狗)★★★★★
1980年代初め,中国・湖南省西部の山間地帯。歩く以外に交通手段のないこの辺りでは,郵便配達人は重い郵便袋を背負い,険しい山々を一日40キロ,二泊三日の行程で歩いて山中に点在する村々に郵便物を届けていた。長年この仕事をしてきた父は,年をとり足も痛めたため引退し,跡継ぎとなる息子に仕事と道を教えるため二人で一緒に,父としては最後の郵便配達の旅に出ることになった。
仕事がら家に不在がちだった父に対し,少し隔たりを感じていた息子は,この旅で,手紙を待っている人々に父が心から愛されていることを知り次第に尊敬の念を抱いていく。そして父からは手紙を届けるという仕事の責任の重さとその喜びを教えられる・・・
父と子が緑深い山々をひたすら登っては下り人々に手紙を届けるという,余計なことは何もない,景色も単調ならストーリーも本当に淡々とした映画である。大きな事件も大泣きさせるような場面も出てこない。張芸謀の映画に慣れたぼくにとっては,少しあっけなく終わった気もした。
途中,自分で勝手に事件が起きるのを期待していた。例えば,後ろを歩いていた父がなかなかやってこないのを不審に思った息子が大切な郵便袋を道ばたに置いて様子を見に戻るシーンでは,誰かが郵便袋を盗むんじゃないかと期待し,冷たい川を息子が郵便袋を担いで渡るシーンでは途中で足を滑らせて郵便物を濡らすんじゃないかと期待し,水瓶の水を飲むシーンでは母から生水を飲まないように忠告されていたのを破ったためお腹を壊すんじゃないかと期待していた。
都会に出た孫からの便りと送金を待っている目の見えないおばあさんに父が手紙を読んであげるシーンがある。父が読んでいるのは手紙ではなくお金を包んでいた紙である。続きを読むよう父から紙を渡された息子はとまどいながらも文字の書いてない手紙の続きを読む。このシーンにしても張芸謀が監督だったら,観客を涙ボロボロにさせていただろう。でも,この監督はそういった「泣かせ」の手法はとらず,事件が起こる展開を期待する観客の気持ちを裏切り,あくまでもあっさりと淡々と描いていく。
一緒に旅をしながら,父は知らない間にたくましく成長した息子を頼もしく思い,その姿に若い頃の自分の姿を重ねる。少数民族の村の祭りではトン族の娘と楽しく踊る息子を見て,昔自分が配達の途中,山の中で初めて母に出会った時のことを回想するのだった。息子は父と一緒に歩いた三日間の旅で,父がこれまで何十年も続けてきた郵便配達の仕事のつらさと喜びを追体験する。息子はこの先何十年,父と同じ道を歩き続けるのだろう?
『紅いコーリャン』で羅漢を演じた滕汝駿(トン・ルゥジュン)が寡黙で郵便配達という仕事にひたむきな父親役をよく演じています。
(1999年中国/監督:霍建起(フォ・ジェンチイ)/出演:滕汝駿,劉Y(息子)/2001.5.27試写会)
夜の上海(夜。上海)
音楽祭の仕事のために上海にやって来た日本人カリスマ美容師の水島(本木雅弘)は,仕事の後,一人で街をブラブラ歩いていたとき,リンシー(林夕/ヴィッキー・チャオ)の運転する暴走タクシーに跳ね飛ばされる。
幸いにケガはなかったが,この後,水島は,帰るホテルがわからなくなり,リンシーのタクシーに乗りながら,夜の街を探しまわるというラブコメディ。言葉が通じない二人は,夜の上海で,それぞれの行き詰まった(叶わない)恋愛を語り合ううちに,少しずつ心が通い合う・・・
竹中直人を始めとする水島を取り巻く日本人の演技が少し派手だ。原作がコミックということだから,漫画風なのかもしれないが・・・でも,その分,ヴィッキー・チャオの喜怒哀楽を素直に表す可愛らしさがよく目立つ。この映画,彼女が主役といってもいいだろう。
もう一人の主役は,ふんだんに登場する上海の夜景。浦東に外灘(ワイタン)。発展する上海の街を疾駆するだけでも満足だ。
映画のラストは少し物足りない気がする。水島の手で美しく変身したヴィッキー・チャオが,友人の結婚式の会場に行き,皆(特に,振られたドンドン)から羨望の眼差しを受ける・・・というパターンを期待していたのだが・・・
本木雅弘は,『中国の鳥人(98)』に次ぐ,中国関連映画2作目の出演。中国側では,年取った修理工で牛犇が出ていましたね。2003年の日中合作映画『最後の恋,初めての恋』にも出てましたが,落ち着いた演技でコメディ調の映画を引き締めています。
(2007年中国・日本/監督:張一白/出演:本木雅弘,ヴィッキー・チャオ,竹中直人,牛犇/2007.9.28バルト11)
駱駝の祥子(駱駝祥子)
中国現代文学の巨匠・老舎の代表作の映画化。1920年代の北平(北京)。自分の車(人力車)を持つために,毎日,町中を走り回っている純朴で勤勉ながら筋骨逞しい青年・祥子(シアンツ)のいつまでたっても幸せになれない人生模様を描く。
原作は長編小説なので,忠実に映画化することは不可能だったのだろう。いくつかのエピソードを割愛するのはやむを得ないと思うが,小説の冒頭部分,彼がなぜ「駱駝」というあだ名を付けられるに至ったかの部分を端折りすぎているので,映画だけを観た人にはわかりにくいのではないかな。
最後の部分で,シアンツがようやく生涯の伴侶とするにふさわしい女性と思った小福子(シャオ・フーズ)を淫売窟に迎えに行く辺りの展開も先を急ぎ過ぎた気がする。
映画としてみた場合,やはり,斯琴高娃の演技が光る。シアンツが車を借りていた人和(レンホー)車宿の強欲な劉親方の一人娘・虎紐(フーニウ)の役だが,父親に負けず劣らず,トラ並みの気性と顔の持ち主で,男並みのタンカもきるときている。シアンツを無理やり自分と結婚させてしまうなど,強欲な女を演じると天下一品だ。『息子の告発』もそうだったが,男に迫る役はうってつけですね。
字幕なしのVCDで観たので,会話のかなりの部分が聞き取れていません。原作小説のイメージと映像により理解しただけなので,この先,字幕付き映画かビデオを観る機会があれば,感想の書き直しをするかもしれません。
(1982年北京映画制作所/監督:凌子風/出演:斯琴高娃,張豊穀/2003.5.5VCD)
離婚のあとに(離婚了,就別再来找我)
現代中国・北京に住む普通の人々の生活に視点をあて,離婚問題を考える都会派映画。定職がなく,日がな一日パソコンに向かう作家志望のしがない中年男リー・ハオミン(李浩明)は,生活力がないということで妻のホイに見放され,やむなく協議離婚を受け入れた。彼は,離婚の条件で,新しい部屋が見つかるまではホイのアパートに住み続けることができることになっていたが,ホイのほうが堪えきれず,ダンサーで公演のため北京を訪れていた妹ホン(紅)と部屋を交換することにし,一人息子を連れて出て行った。
姉からハオミンの悪口をさんざん聞かされていたホンは,最初は彼に冷たく接し,徹底的に馬鹿にしていたが,ハオミンの生き方を理解しようとしなかった姉の現実的な生き方とのギャップがだんだんとわかり,やがて彼のことを理解し,愛し合うようになる・・・
ホンとの生活を題材にしたハオミンの本が売れ,流行作家になったとたん,元の妻ホイはずうずうしく復縁を迫ってくる。離婚するときも自分一人で勝手に騒いで決めたようなわがままタイプの女だから,恥も何もないのだろうか?
ホイには妹に夫を取られたという悔しさよりも,役立たずと思っていた夫の才能を開花させた若くて美しい妹へのひがみの気持ちの方が強かったのかも。結局,自分の気持ちの整理がつかず,最後に荒れ狂うホイは見苦しい。それに対して,妹のホンは,実に潔い。姉が家に戻ると言ってきたとき,何も反論せずにさっさとスーツケースに荷物をまとめ,出て行ってしまったもの。
まあ,ぼくは男だから,ホイのことを男の夢というか気持ちを理解しない女という風に勝手に解釈してしまうんだが,生活力のある女性から見たら,大の男が一日中家にいて銭にならない仕事ばかりをしているため,家事も生計も息子の教育も全部自分一人が面倒を見なければならないことを考えれば,ホイの方に同情するのかもしれない。
映画の中に出てくる,恋愛問題(妊娠・堕胎)や教育問題(英語塾の話)など,中国もついにそんな時代になったかと考えさせられる。話の筋とは関係ないですが,エレベーター係の小芸(シャオイー)という女性がいましたが,彼女は毎日エレベーターの中で何をしているんだろう?エレベーターの中には椅子が付いてて,お茶なんかも置いてるようでしたが・・・
(1996年北京青年映画制作所/監督:王瑞(ワン・ロイ)/出演:李保田/2001.11.27video)
龍城恋歌(龍城正月)
張芸謀が製作総指揮ということだが,張芸謀らしさはあまり伺えない。主演の呉倩蓮がコン・リーの雰囲気を持ち合わせているのと,大きな紅いちょうちん(紅夢)や籠が出てくるだけだ。
時代設定もよくわからないし,場所も詳しくはわからないが,姜(チアン)家の娘の結婚披露宴の席に突然,何者かが襲撃(鉄砲で)してきて,隠れていた花嫁の蘭娟(ランチュエン)を除き,姜家の一家一族は全員殺されてしまう。
ひとり生き残った花嫁の蘭娟は,9年後,やっとのことで着きとめた犯人に復讐するため,殺し屋を雇い,一緒に犯人のアジトであるドラゴンタウンに潜入する…
どうも,主題がわかりにくい。花嫁の復讐劇を描くサスペンス・アクション映画ともいえないし,やはり,芯が強く毅然としたコン・リー似のヒロインと,彼女に雇われた殺し屋との愛が描きたかったのだろうか。
しかし,殺し屋を演じる尤勇(ヨウ・ユン)は,『太陽に暴かれて』を見たときもそう思ったが,風来坊とか悪役にはうってつけだな。
(1996年中国/製作総指揮:張芸謀/監督:趙季平/出演:尤勇,呉倩蓮/2004.2.11video)
玲玲(リンリン)の電影日記(夢影童年)
文革の最中,1972年に生まれた小江監督が,自分の子供時代に体験した,野外映画館の懐かしい記憶を再現している。「電影(ディエンイン」は,中国語で「映画」のこと。「映画日記」とせず,「電影日記」という邦題にしたのが,中国映画らしくていい。
北京で水の配達の仕事をしている映画好きの青年・毛大兵(マオ・ダービン)は,自転車の事故をきっかけに知り合った少女・玲玲(リンリン)の部屋で,彼女の日記を偶然読む。日記には彼女の子供時代の想い出が綴られており,その回想形式で映画は進む。
文革中の1971年,中国西北部の田舎町(寧夏回族自治区)。父親のいない小学生のリンリンは,かつて映画スターを夢見ていた美しい母親と,野外映画館に行くのが楽しみだった。しかし,やがてリンリンに訪れる,少し変わった転校生だが妙に気の合っていた少年との別れや,母親の再婚そして弟の誕生が人生の歯車を狂わせ始める・・・
リンリンの不幸は,文革闘争に起因したものではないし,この映画は,そもそも,一昔前の,謝晋監督たちが得意とする,文革の悲惨さやつらさ,非合理性を描いたものではない。むしろ,ノスタルジックな映像には心やすらぐし,監督の,古い中国映画への思い入れもよく伝わってくる。途中,いろいろ悲しい場面もあったが,最後は,一応ハッピーエンドとなり,余韻もいい。
感覚的には,少し古いが姜文の『太陽の少年(94)』や,近年では『小さな中国のお針子(02)』に近い作品かな。そういえば,『・・お針子』にも,下放先で野外映画を見るというシーンがありました。
(2004年中国/監督:小江/出演:夏雨,姜易宏(チアン・イーホン/玲玲の母)/2006.9.4サロンシネマ)
ルアンの歌(So Close To Paradise)「扁担・姑娘」
1980年代末の改革開放の頃,内陸の農村地帯から仕事を求める大量の人々の群れが沿海部の都市に押し寄せていた。当時,このような出稼ぎ労働者の人波は「盲流」と呼ばれる社会現象となり,人々は金儲けにばかり夢中になり,都会では流入者が増えたことも原因して犯罪や売春が多発していた。
トンツーもその頃に都会での一攫千金を夢見て,農村から長江流域の大都市・武漢にやってきた一人だった。トンツーは同郷のガオピンのところに転がり込んで,港から荷物を天秤棒に担いで運ぶ「扁担」(てんびん屋)をしてコツコツ金を貯めていた。兄貴分のガオピンは地道な仕事が嫌いで詐欺まがいのことをしながら金を稼ぎ,いつの日か大成することを夢見ていた。
ある日,ガオピンは町のチンピラと組んで組織のカネをだまし取ろうと計画したが,逆にチンピラに裏切られて金をすべて失ってしまう。ガオピンは金を取り戻すためにチンピラの居場所を聞き出そうとして,ナイトクラブの歌手・ルアンホンを誘拐し,自分の女にした。しかし,後で,彼女は組織のボスの女だったことがわり,ガオピンは組織から追われるはめになる・・・
これまでの中国映画とは,かなり違った雰囲気をもった作品だ。都会の片隅で生きるちっぽけな人間の孤独,そして夢がなかなか叶わず挫折していく3人の様子を細やかに描いている。『スパイシー・ラブスープ』のような都会的雰囲気のある作品ともまた少し違った,都市の底辺に生きる人間の悲哀といったものが感じられる映画だ。そういった点では,同じ第六世代の監督でも,賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の『一瞬の夢』の方に近いかな。
地下のナイトクラブの薄暗いステージでブルースを歌うルアンホンが「孤独と退廃」を象徴しているが,このドラマは,ルアンホンが好きなくせに自分の気持ちをうまく表現できないでいる不器用な田舎者だが,やさしくてまじめなトンツーの視線で語られているため,映画を観る者はそんなには落ち込まずに済む。
原題は『So Close To Paradise』。「すぐ近くに楽園がある。」とでも訳すか・・・三人はそれぞれ夢を抱いて都会にやって来たが,ついに楽園には手が届かずに挫折してしまう。でも,自分の歌がテープになって売り出されることを夢見ていたルアンホンが,ラストでトンツーから少しだけ夢の叶ったプレゼントをもらうシーンには少しホッとした。あのまま終わったんじゃ暗すぎるもの。
ガオピンを演じたグォ・タオ(郭涛)は,『スパイシー・ラブスープ』のエピソード3《おもちゃ》に夫の役で出てましたね。
(1998年中国/監督:王小師(ワン・シャオシュアイ)/出演:郭涛/2001.4.30映画館)
レッドクリフPARTT「赤壁」
日本人にもおなじみの「三国志」。その前半における有名な激戦地「赤壁」における戦いを前後編の二部構成で作成した映画のPARTT。
詳しい歴史の流れは知らなくてよい。西暦300年頃の漢王朝末期,後に魏,呉,蜀の三国が成立するまでの過程での戦いの話し。中国全土を制覇しようとする曹操の80万にも及ぶ大軍に対し,迎え撃つ劉備と孫権の軍は併せて4〜5万。長江の対岸に陣取った,川を埋め尽くさんばかりの曹操軍の大船団が,劉備と孫権の軍に襲い掛かろうとするところで後編へ続く。
「三国志」は吉川英治の小説に代表される書き物ばかりでなく,映画「三国志」や横山光輝の漫画などでも紹介されており,日本人にもある程度知れ渡っていると思う。そこに登場する人物も,おのおのが描くイメージに差があると思うが,有名スターをずらりとそろえたこの映画をみんなどう感じただろうか。
僕の描く孔明や劉備のイメージは,昔のNHK人形劇「三国志」が基本になっている。一年くらい毎週放映されてたので,おのずとそれが目に焼きついているのだと思う。そのイメージからすると,曹操はもう少しカッコよかったかな。
三国志の物語すべてを映像化するなら,有名なシーンも場所もたくさんあるし,登場人物もたくさんいて,時間もお金も莫大かかるだけでなく,それを2時間程度にまとめるのは,とても無理があろう。(観る方が理解できない。)1990年に製作された映画『三国志』は「桃園の誓い」に始まる有名なシーンをつなぎあわせて駆け足で「赤壁の戦い」まで行ったように記憶している。映画にはなりにくい題材である。これを映像化するなら,それこそNHKの大河ドラマみたいに毎週放映するしかないだろう。
その意味で,決して欲張らずに,三国志の一部のシーンのみに着目して映画をつくったジョン・ウー監督の狙いは,なかなかいいと思う。「赤壁の戦い」では,孔明と周瑜の活躍の影に隠れがちな,「三国志」本来の英雄である劉備,関羽,張飛の三人もそれなりに出演させてくれているし・・・
そういった思い入れを持って映画を見た人もいれば,三国志の内容はよく知らないがCMに誘われて映画館に来た人も多いと思う。そういう人たちにも楽しめる映画に仕上がっているとは思う。PARTTを見たらPARTUも見ざるを得ないのだろうな。合戦シーンもたくさんある歴史超大作娯楽映画である。「まあこんなものだろう」というのが実感。
(2008年アメリカ,中国,日本,台湾,韓国/監督:ジョン・ウー/出演:トニー・レオン(周瑜),金城武(孔明),チャン・フォンイー(曹操),ヴィッキー・チャオ,中村獅童 /2008.12.3広島宝塚)
レッドクリフPARTU「赤壁」
「三国志」の前半における有名な激戦地「赤壁」における戦いの後編。
ストーリー的には,いよいよ開戦の火ぶたが切って落とされ,劉備と孫権の連合軍が数の上では圧倒的多数の曹操軍を打ち破るという面白い内容である。
多少史実を曲げたところもあるようだが,映画なのだからしかたあるまい。もっとも,大昔の話であり,何が真実かということは本当のところはわからない。監督の推測があたっているかもしれない
長い「三国志」の物語の中から一部を切り取ってわかりやすく,面白く作った歴史超大作娯楽映画。まあこういう映画もあっていいんじゃないだろうか。
(2008年アメリカ,中国,日本,台湾,韓国/監督:ジョン・ウー/出演:トニー・レオン(周瑜),金城武(孔明),チャン・フォンイー(曹操),ヴィッキー・チャオ,中村獅童 /2009.5.8広島宝塚)
ロンドンの月(月満英倫)
異国の地ロンドンで暮らす3人の中国人男女の物語。音楽大学へ入学するため保証人を頼って単身ロンドンにやって来たランランは,大学へ入学させてもらう条件が保証人の息子と結婚することだったことを知り,保証人の家から飛び出してしまう。
ランランがロンドンで頼る人といえば,この街に着いた時に,右も左もわからない彼女を保証人の家まで親切に連れて行ってくれた中国人・スートンしかいなかった。スートンは,金を稼いで移住する目的でロンドンにやって来て,中国に残した妻子がビザを取りロンドンにやって来るのを心待ちにしている。スートンと同居しているトンリンも,同じように夢を求めてロンドンにやって来た中国人のひとりだ。生活苦に陥ったランランは,男2人のアパートに同居しながら中華料理の宅配の仕事を手伝うことにしたが,予想どおり破局が訪れる・・・
夢を抱いて外国に渡った中国人が現実の生活問題に直面し,当初の音楽家になるという目的を捨て,生活のために労働者にならざるを得ないといのは,姜文主演のテレビドラマ「北京人在紐約(ニューヨークの北京人)」と同じパターンだ。
こうした外国を舞台にした映画は,中国人の生活を描いていても大陸臭さがないので,なかなかシャレた中国映画として楽しめる。それでいて,内容は異国の地で暮らす人々の不安,寂しさ,つらさがよく出ていると思う。異国の地での中国人同士(チャイナタウンも含めて)の助け合いの心もさすが華僑の国の人と納得させられる。特に親子ほども歳の違うランランをスートンが常にかばい,大切にし,節度をもって愛する様が観ている者を安心させます。異国の地で20歳の女性ランランが本当に頼りにできるという男という気がしました。
『ロンドンの月』という題名は,宅配の事業が軌道に乗り始めた時に3人が「中秋節」を祝うシーンから採ったものと思う。遠く離れた中国からも家族が見ているであろう,同じ満月を見ながら,お互いに自分の夢や過去を打ち明けるのだが,遣唐使・阿倍仲麻呂の「天の原・・・三笠の山にいでし月かも」を連想させ,望郷の念に強く駆られるシーンだ。
ラストシーンでは結婚を控えたランランがスートンに真実の愛を打ち明け,スートンもこれを受け入れます。でも二人は駆け落ちしませんでした・・・恋愛映画ならそういうドラマチックなストーリー展開になったのかもしれないが,監督の真のねらいは,金儲けのため安易に出国しようとする自国民への警鐘だったのだろう。ロンドンで結婚式を挙げたランランだって,決して幸せそうな表情をしていないのだから。
スートンを演じた劉利年は,『芙蓉鎮』で主人公・胡玉音の最初の夫の役で出てました。
(1995年中国/監督:張澤鳴/出演:劉利年(スートン)/2003.2.25video)
わが家の犬は世界一(Kala是条狗)
『わが家の犬は世界一』という邦題がどうもピンとこない。この映画,愛犬物語とか忠犬物語といった部類のものではないのだ。
主人公は,グオ・ヨウ演じる冴えない中年の工場労働者・ラオ(老二)で,彼は,妻・ユイラン(玉蘭)と息子・リァン(亮亮)と一緒に,北京の下町の古いアパートに住んでいる。
ラオは,もう愛が冷めている妻や反抗的な息子の代わりに,愛犬のカーラを可愛がっていたが,ある夜,妻がカーラを散歩に連れて行ったとき,公安(警察)の取り締まりに会い,未登録であったカーラは没収されてしまう。翌日の午後4時までの18時間以内に高額な登録料(5000元)を払わなければ,カーラは処分されてしまうらしい。翌朝,夜勤から帰ったラオは,そのことを知り,カーラを取り戻すため,あの手この手の作戦を展開する・・・
アパートの中での夫婦の葛藤も含め,カーラを取り戻すため,ラオが警察や闇市や友人宅など,街をあちこち走り回る際に垣間見れる,中国の生活感あふれる日常の描写がいいですね。
 
アパートのエレベーター係や工場で給料を現金で渡すところとか(女房をごまかせるからいいですねえ),道端にしゃがんで西瓜を食べてるところとか,ラオ夫婦のキュウリの丸かじり(『こころの湯』でもありました)シーンも中国らしくていい。
それに,警察に賄賂を渡そうとしたり,非合法的商売もまかり通るお国柄も面白し,最後には,カーラを取り戻したというテロップも流れるが(犬の処分係を買収して),中国当局は,この映画に上映中止をかけなかったのだろうか?
(2002年中国/監督:路学長/出演:葛優(グォ・ヨウ),丁嘉莉(妻),夏雨(警官)/2006.2.1横川シネマ)