19中国関連映画(日本)


赤い月[日本語]
なかにし礼が,日中戦争終結終戦前後の激動の時代を満州で生き抜いた彼の母親の実体験を基に描いた小説の映画化。
満州で一旗揚げようと,終戦の10年前に小樽から夫と共にやって来た主人公の森田波子は,牡丹江(ぼたんこう)で造り酒屋を始めた。軍に取り入ったことも功を奏し,「森田酒造」の経営は成功し,波子は栄華を極め,幸福の頂点にいた。しかし,日本の敗戦と同時に,これまで築き上げてきた富を一瞬にして失い,子供2人を連れて牡丹江からの逃避行が始まる。その後,哈爾浜(ハルピン)で,貧しいながらも強くたくましく生き,女手一つで子供を守り抜いていく・・・
生きるために男を愛するという主人公・波子の奔放で型破りな生き方,それを演じる常盤貴子のダイナミックな演技がいいです。その他の見どころとしては,3ヶ月にわたってロケをしたという中国東北地方の雄大な自然,広い大地に大きな太陽が印象的です。ロケは黒龍江省の哈爾浜,嫩江,黒河の3都市で行われたということですが,特に極寒の黒河で撮られたとみられる冬のシーンの凍てつく大地を見ていると,こちらも凍りつきそうです。大地を走るSLも登場し,この映画は大きなスクリーンで見た方が迫力があったろうなと思いました。
ただ,波乱万丈の生き方をさんざん見せられた割には,映画の終わり方にひねりがなく,「えっ,ここで終わりなの?」という感じがしました。中国人の出番が少なく,中国語が少なかったのも物足りなかったですね。
(2003年日本/監督:降旗康男/出演:伊勢谷友介(氷室),香川照之(夫),布袋寅康(大杉中佐)/2005.1.13DVD)
延安の娘[中国語]
これは日本人の監督が撮った映画です。この監督は,過去にNHKのドキュメンタリー番組を数々手がけてきたということですが,さすが,文革の傷跡を今日的な視点で考えるという難しいテーマを見事に映像化しています。NHKスペシャルにドラマ性を持たせたドキュメンタリー映画といったところですが,十分見ごたえがあります。
主人公は,中国陝西省・延安の貧しい農村に住む若い農婦・海霞(ハイシア)。彼女の両親は,文革の時,北京から下放させられて来た紅衛兵で,出産したことが当局に知れることをおそれた若き両親は,生まれた子をすぐに捨てました。
養父母に育てられた後,結婚し長男を産んで,生活が少し落ち着いた海霞は,「自分はなぜ生まれたのか。どうして捨てられたのか。」が知りたくなり,実の両親を捜し始める・・・
海霞が,離ればなれになっている両親と再会できるかどうかを描きながら,映画は,文化大革命(特に下放政策)が生み出した悲劇を語っていく。下放された元学生たちが自ら語ることによって徐々に明らかになる下放生活の実態とそれにより彼らが受けた心の傷跡を描く映画の後半こそが,実はこの映画の主要なテーマとも言える。
そして,前半では海霞の両親捜しに骨折っていた脇役的存在の黄玉嶺(ホアン・ユイリン)が途中から主役の座を奪っている。元下放学生で文革後も延安に留まっている彼も又,海霞の父親と同じく,下放された農村で同じグループの女子学生と恋をして相手を妊娠させた経験を持つ。彼の場合はそれが途中で発覚して、子供は強制的に中絶させられ,自分は反革命罪で労働改造所に送られた。
下放をテーマにした映画は,『青春祭』『シュウシュウの季節』『小さな中国のお針子』などいくつかあるが,実の元下放青年が,過去を振り返り,心の傷を語る映画は初めてだろう。下放された青年たちが,歳とった今も連絡を取り合って集まっているなんてのも興味深い。おそらく中国では上映されないだろうが,それだけに見る価値の有る映画といえるだろう。
(2002年日本/監督:池谷薫/2004.3.29サロンシネマ)
オペレッタ狸御殿[日本語+中国語]
チャン・ツィイーの日本映画初出演作品。
唐(から)の国から狸御殿に招かれている狸姫(チャン・ツィイー)が,がらさ城の城主・安土桃山(平幹次郎)の跡取り息子・雨千代(オダギリ ジョー)と恋に落ちる。雨千代は,実の父である安土桃山から命を狙われていて,狸と人間の恋の行く手にはいくつもの難題がおきる。果たして,その恋は実るのか・・・
「狸御殿シリーズ」とは1940〜50年代の日本映画全盛期に,大ヒットを記録した人気シリーズだそうで,鈴木清順監督は青年時代に胸を躍らせながら観たということだ。各映画会社が競って看板女優やスター俳優を起用して製作したそうで,その内の多数の作品で主演を務めた大スター美空ひばりがこの映画にもデジタル映像で出演している。
鈴木清順監督の思い入れはわかるが,この映画,まともには理解しずらい。舞台劇のようでもあり,一応,恋愛物語であるのだが,最初は話の展開がよく飲み込めなかった。何と表現したらいいのか,奇想天外で,とにかく,真面目に観たらダメで,人を食ったような映画だ。
チャン・ツィイーが出演していなければ,最後まで観れなかったかもしれない。チャン・ツィイーは最初,カタコトの日本語でしゃべっていたが,中国語でしゃべりだしてから,彼女らしさがでてきました。歌は中国語と日本語の両方で歌ってましたが,憶えるのが大変だったでしょう。
(2005年日本/監督:鈴木清順/出演:チャン・ツィイー,オダギリ ジョー,平幹次郎,由紀さおり,薬師丸ひろ子/2005.6.1松竹名画座)
オロ[日本語+チベット語]
日本人監督の手による,6歳の時に母親に命じられてチベットからインドに亡命した少年オロのドキュメンタリー映画である。
ドキュメンタリーなので当然のことながら,亡命時の過酷な体験シーンはない。また,この映画は,「チベット難民への支援喚起」や「中国に対するチベット弾圧批判」が目的の映画ではない。
インド北部のダラムサラにあるチベット難民学校で学ぶオロは,寄宿舎や夏休みと冬休みに出会う人たちとの交流で「母親が自分を亡命させた理由」を悟って行く・・・
解説はなく,オロが出会った人たちが自分の体験を語っていく。また,ネパールへの旅では,監督自身が映画に登場し,オロと一緒に旅をする。だから,ドキュメンタリー映画とも言い切れないような映画だ。しかし,それで別に違和感もない。
ネパールの難民キャンプで,以前,監督が映画に撮った「モゥモ・チェンガおばあちゃん」と自分を弟のように可愛がってくれる難民三世の明るい三姉妹と出会い,映画の前半では口の重かったオロは,次第に心を開き,自分の亡命時のことや母親のことを語り始める。自分が何のために生きて行くか自覚したであろうオロの今後を応援したくなる。
(2012年日本/監督:岩佐寿弥/2012.9.13横川シネマ)
金田一少年の事件簿〜上海魚人伝説[日本語]
名探偵・金田一耕助の孫である高校生探偵「金田一はじめ」の名推理で難事件を解決する人気テレビシリーズの映画版。
上海のある雑技団の団長が殺害された事件で,殺人の容疑がかけられている同じ雑技団の団員・シャオロンを救ってほしいため,シャオロンの妹・レイリーは文通友達の美雪(はじめの恋人)に助けを求めてきた。上海にやって来た金田一少年は,雑技団の人気演目にまつわる連続殺人事件をどう解決していくのか・・・
金田一少年のシリーズを見続けているぼくにとっては,今回の映画も,IQ180でありながら「上海」を「あげうみ」と読んだりするおとぼけや上海の街をローラーブレードで疾走したり,山羊にパスポートを食べられたことがヒントになって事件解決の糸口を見つけるなどのストーリーの展開は相変わらずおもしろく感じた。
中国映画ファンとしても,上海の街の様子が頻繁に出てきて,それなりに興味をそそられたんだけど,中国人(の考え方とか)が十分描かれていないな。中国を舞台にしただけの映画という感じがするところが少し残念だ。昔,NHKテレビ中国語講座に出ていた修健さんが上海の刑事役で出ていました。(まじめな役もできるんだなあ。)
(1997年日本/監督:堤幸彦/出演:堂本剛,ともさか りえ,修健/2001.4.18video)
最後の恋,初めての恋(最后的愛,最初的愛)[日本語+中国語+英語]
日中合作ということになっているが,日本のスタッフでもって,オール上海ロケで作った日本映画に,中国の人気女優が共演したものという感じかな。でも,シュー・ジンレイとドン・ジエが同じ映画に出るというだけでも,中国映画ファンなら,一度は見る価値があるでしょう。
映画の筋書きはそんなに複雑ではない。恋人を交通事故で亡くし,傷心のまま日本の自動車メーカーの上海支社に赴任してきた渡部篤郎演じる早瀬が,ホテルのフロント係のミン(小敏)と,日本語教師のリン(小琳)の中国人姉妹に出逢い,再び人生をやり直す決意をするというものだ。
早瀬とミンの清純でシンプルなラブストーリーがメインだが,映画の前半が少しだるい。仕事にも人生にもヤル気をなくしたフ抜け状態の早瀬の描き方が長すぎてしつこすぎるのだ。このため,映画を見ていても早瀬に対して,ずっと好感が持てない。それに比べ,不治の病ということを他人に隠し,感情を表に出さず静かに生きる女性ミンを演じるシュー・ジンレイと,その妹で元気で明るい女子大生リンを演じるドン・ジエの方は,どちらもいい感じ。この二人のおかげで,映画がもっているという気がする。
特にシュー・ジンレイの清楚な雰囲気と,家族に対するやさしい気遣いには参りました。そんな彼女が切なくて,不覚にも何度か涙腺が潤んでしまいました。『スパイシー・ラブスープ』の時は,それほど意識しませんでしたが,さすが現在,中国学生ナンバー1人気の女優さんですね。
また,映画の内容からみても,早瀬の描き方には不満が残ります。日本で三角関係が基で恋人が死んだのに,性懲りもなく,また上海で三角関係になっているなんて。まったく何を考えているのやら・・・
なお,ミンとリンの会話は当然中国語ですが,日本語教師のリンと早瀬の会話は日本語です。ドン・ジエの日本語はなかなか感じがよくて,印象に残りました。でも,早瀬とミンの会話だけは英語。渡部にはもっと中国語をしゃべってほしかったですね。そうすればシュー・ジンレイの中国語をもっと聞くことができたから・・・
それから,ぼくが中国旅行に行ったときに,時々,買い物に立ち寄る友諠商店(上海展覧館)が二人のデート場所(コンサート会場)として出てきましたが,あんなにきれいでしたっけ?その他の見どころとしては,『活きる』の村長や『至福のとき』の老練工員を演じた牛犇と,『藍色夏恋』の主人公チャン・シーハオを演じた台湾のチェン・ボーリン(陳柏霖)が共演しているところでしょうか。
(2003年日本・中国/監督:当摩寿史/出演:渡部篤郎,徐静蕾(シュー・ジンレイ),董潔(ドン・ジエ),牛犇,陳柏霖/2004.1.17サロンシネマ)
【印象に残った徐静蕾の言葉】
「運転手さん,すみませんが,ラジオをつけていただけませんか?」
中国の鳥人[日本語]
中国・雲南省の山奥で,大の大人が鳥のように空を飛ぶことに熱中するファンタジー。商社マンの和田(本木雅弘)は,急病で入院した同僚に代わってヒスイの取引のため急遽中国へ出張することになる。昆明から成昆鉄道に乗り,途中の小さな駅で降り,ここで変な日本語を話す中国人通訳・チンさん(マコ・イワマツ)の出迎えを受ける。この二人に,ここまで和田を尾行して来た訳ありげなヤクザ・氏家(石橋蓮司)を加えた三人が,道なき道を進み,亀に引かれた筏に乗って,ヒスイの鉱脈があるという雲南省奥地の少数民族の村にたどり着く。
「鳥人伝説」の残るこの村では,青い瞳の娘が「鳥人学校」で子供たちに空を飛ぶことを教えていた。和田は,彼女の口ずさむ外国の歌と彼女の祖父が空からやって来たということに興味を持ち,彼女の祖父が残した英語で書いた書類を翻訳し「鳥人伝説」の謎解きを始める。一方の氏家は,都会の喧騒を忘れ,鳥人学校に通いながら,美しい自然の残るのんびりとしたこの村に愛着を感じ始めていた・・・
マコ・イワマツ演じる現地通訳の奇妙な日本語がなんともおかしいです。大理の城門,オンボロ車,輪タク,羊皮のイカダなど,中国好きを楽しませてくれるシーンも多々あります。でも,少数民族の村では,できれば,もう少し村人たちの暮らしを描いてほしかったという気がします。
川の両岸に張ったワイヤーに滑車を掛けて川を渡るシーンを見て,1989年(ちょうど天安門事件が起こった頃)に関西テレビが取材していた番組「遥かなる山の民〜秘境・雲南5000キロ」を思い出しました。それと同じ所だとすると,雲南省北西部のミャンマー国境に近い,怒江(サルウィン川)沿いの街・福貢あたりでロケしたのでしょうか?
(1998年日本/監督:三池祟史/出演:本木雅弘,石橋蓮司,マコ・イワマツ/2002.4.21video)
てなもんや商社[日本語]
中国との貿易を扱う会社に勤めるOLの奮闘記。
谷崎光さんの執筆による同名の原作小説がある。原作も大変おもしろいので,ご一読をお勧めします。中国人のカネや仕事に対する考えかたが,おもしろおかしく,又わかりやすく描かれていて,中国をあまり知らない人でも十分楽しめます。「中国入門ビデオ」的存在。
最初は中国のことを何も知らなかった小林聡美演じる主人公が,会社の上司・王課長に鍛えられ,ついには一人でしたたかな中国人相手に幾度もだまされかけながらも仕事をこなしていく。小林聡美がはじめて中国へ出張したときに,バスから北京の雑踏を眺めるシーンがいい。生きている中国が感じられます。小林聡美も感激していますが,この感動だけは,原作では表現できないな。
(1988年日本/監督:本木克英/俳優:小林聡美,渡辺謙/video)
敦煌[日本語+中国語]
井上靖の小説「敦煌」を映画化したものだから,日本人なら内容はご存知と思う。宋の高級官吏登用試験で西夏への対策の答えに窮して落第した趙行徳は,街で助けてやった西夏の女からもらった西夏文字で書かれた通行証に興味を持ち,シルクロードへ旅立つ。彼はそこで無理やり西夏の漢人部隊に編入され,戦闘に参加していたが,西夏が漢人の街・敦煌を西夏に隷属させようとしていることを知り,ついに西夏軍に反旗を翻す。しかし,強力な西夏軍の前に漢人部隊は敗れ去り,敦煌城は炎上する・・・
主人公・趙行徳(佐藤浩市)の人間ドラマ(映画では,漢人部隊の隊長役の西田敏行の方が目立っているが)というよりは,シルクロードのロマンと灼熱の砂漠,過酷な自然が主人公と言った方がいいだろう。(そもそも,この映画を撮影すること自体が,過酷であったと思う。)砂塵を巻き上げて戦う,大掛かりな戦闘シーンも迫力があった。人民解放軍から兵士と軍馬を借りての撮影ということだが,この協力がなければこの映画は作れなかっただろう。
敦煌・莫高窟の撮影も中国側の許可が下りて可能になったものだ。この映画,日本の小説が原作だから,日本に映画を作る権利があるのだと何の疑問も抱かずにいたが,元々中国を舞台にしたものであり,登場人物にも日本人は出てこない。それなのに,映画は,日本の会社が日本の俳優を使い,中国で撮っている。よく中国政府が許可してくれたものだと思う。
映画の中に出てくる西夏文字と渡瀬恒彦が演じる西夏王・李元昊(りげんこう)が話す西夏語の発音はいいかげんなものではなく,西夏文字研究の第一人者・西田龍雄博士の指導・監修を受けたものだそうだ。また,映画に出てくる敦煌城は,当時4億円の建設費をかけて造ったもので,敦煌に行けば映画のセットとして残っていて,今でも見学できる。
ほとんどの人が,先に小説を読んでからこの映画を見たのだと思うが,小説を読みながら頭の中にイメージしていた西域とはどのようだったろうか。日本人のシルクロードのイメージは1974年から放映されたNHK特集の「シルクロード」のイメージでほぼ統一されている。だから,映画を見ていて自分の抱いたイメージとあまり変わらなかったと思う人も多かったのではないだろうか。井上靖先生は,一度も西域へ行くこともなく,1959年にこの小説を書いている。脱帽せざるを得ない。
(1998年日本/監督:佐藤純彌/出演:佐藤浩市,西田敏行,渡瀬恒彦/映画館,2003.1.7renewal)
発熱天使[日本語]
夏の北京,一人の日本人の男(椎名桔平)が安い旅館に投宿し,失踪した友人を探している。手がかりは,その友人が20年前に中国で撮った一枚の古い写真しかない。その写真には,人民服を着た一人の中国人の少年が写っていた。
椎名は,画家のリュウ・ウェイ(劉wei)とその恋人で同じく画家のニエ・ム(聶牧)と知り合って以降,ロック歌手のツン・チュン(鄭釣),CMプロデューサーのツン・ハオ(鄭浩),ダンサーのジン・シン(金星)と,次々とそれぞれの友人を紹介されていく。
彼らはすべて北京に実在するアーティストたちで,実名で登場する。「通じない会話をするのが趣味」という椎名は,彼らと,日本語と中国語で噛み合わない会話を始める。だから,それはインタビューというようなものではないが,アーティストたちは言葉がわからない椎名にだからこそ,自らの人生や哲学を本音で語っている。物語も混じっているので,セミドキュメンタリー・ドラマといった部類に入る映画ということになるのだろうか。
中国語が喋れない椎名が,物怖じせず旅館や店屋や自転車屋や屋台のおじさん,おばさんと日本語でどんどんコミュニケーションする姿に好感を覚えた。自転車に乗って胡同(フートン)を走り回るシーンは,北京の裏町の中の生活感をよく捕らえている。
そして,この映画,食事のシーンがとても多いのだが,椎名のすごい食欲には脱帽だ。市場で買った桃の丸かじりから,串焼き,油条(ヨーティヤオ),北京ダック,唐辛子と山椒が山盛りになった鍋(水煮魚?)などを,「うまい,うまい」と,どれもおいしそうに食べる。我々が中国旅行に行ったときには,体調維持のため暴飲暴食は自重するのだが,彼には関係ないみたいだ。とても羨ましかった。
そんなわけで,友人探しよりは中国の風景・人情・食物に目が行ってしまう映画である。椎名自身も,友人探しが目的だったのかどうか,自分で反問し始めるくらいなのだから・・・
(1999年日本/監督:前田和男/出演:椎名桔平/2004.3.18video)
ひいろ[日本語+中国語]
中国に住む孫娘・呉彩陽が,どこに住んでいるかわからないが日本人の祖母(父の本当の母)に会うため,日本にやって来て,悪戦苦闘しながら祖母を探す・・・
彩陽は,上海の近くにある宜興という町で,窯業を営む父と母そして祖母(中国人)に囲まれて育ち,今は,上海で勉強をしている。ある日,彩陽の元に祖母の危篤を知らせる電話が入り,実家に帰った彩陽は,祖母から,「実は彩陽の父親は日本人である」ということを知らされる。
彩陽の父は,子どもの頃,日中戦争の敗戦後の混乱で,中国に置き去りにされることになったのを,彩陽の祖母が預かり育てていたのだ。彩陽は,祖母から,音信不通となっていた日本にいる”彩陽の父の本当の母親”に伝えたい熱い思いを聞き,日本へ行くことを決めた・・・
戦争で引き裂かれた家族が再会するというパターンは,これまでにもあった。謝晋監督の『乳泉村の子(91)』では,僧侶になった息子が仏教訪日団の一行で来日した際に,実の母親と会うパターンだった。
それと比べると,この映画は,随分,今ふうにできている。彩陽が短期留学生のビザで日本に来るとか,アルバイトをしたり,日本の祖母を探すにテレビ番組を使うといったところなど・・・戦争孤児である彩陽の父を主人公にしていたら,もっと湿っぽい映画になっていたのかもしれない。
また,謝晋監督ほどではないが,彩陽が日本の祖母と会うシーンは,やはり泣かせる。特に,戦後の混乱の上海で母親が息子のために残した小さな器が,彩陽と日本の祖母の出会いのシーンで重要な役割を果たしていますね。感動のシーンです。
主役の彩陽は,日本人の小崎さよが演じています。中国でのシーンでは,もちろん中国語をしゃべります。小崎さよの中国語はなかないいんじゃない,と思っていたら,なんと,彼女は,半年間の中国への留学経験があるそうです。
(2006年日本/監督:徳江長政/出演:小崎さよ,麻丘めぐみ,ルー大柴,南田洋子/2007.6.28サロンシネマ)
北京的西瓜[日本語+中国語]
千葉県船橋市の八百屋・「八百春」の主人とその近くの寮に住む中国人留学生たちとの心の交流(民間レベルの日中友好)を事実に基づいて描く。
八百春にとって,最初,彼らはいつも野菜を値切りに来るしつこい留学生というイメージでしかなかったが,少ない生活費(一月8万円)でもって異国で勉学に励む彼らにだんだん同情し,そのうち家業の八百屋そっちのけで彼らの面倒をみるようになる。
しかし,近所からは「中国病」患者と陰口をたたかれ,八百屋の経営自体も傾いてきて,女房子供との関係も次第に気まずくなる。さらに追い討ちを掛けるように,税金の滞納で税務署が差し押さえに来るに及び,ついに,八百春は心労がたたって倒れてしまう。
その時,身勝手で,遠慮することもなく,自分たちのことしか考えてないと思っていた中国人留学生が,団結して八百春を立て直そうと店の手伝いにやって来る・・・
映画の冒頭のテロップで,この映画は1989年5月から製作に入った,と紹介される。物語の時代設定が紹介されるのはよくあるが,製作した時期を紹介して何の意味があるのかと思っていたら,その謎は最後の方で解けた。中国に帰った留学生から招待された八百春夫婦が北京に向かう飛行機に乗り込むシーンで,いきなり主人公のベンガルさんが登場し,「1989年の6月に北京で撮る予定だった同窓会の中国ロケができなくなった」と報告する。(天安門事件が発生したためとは一言も言わないが)
そのシーンの前に「37秒間の空白」(と言うらしい)がある。これも最初は,成田から北京に飛ぶ飛行機の轟音のシーンにしては少し長いなと思っていただけだったが,その後,いろいろ調べてみたらどうも,予定していたシーンが撮れなかったことと,事件で尊い中国の若者の命が失われたことに対する監督の抗議のメッセージらしい。
全編に渡って流れる歌が「海よ,わが故郷(大海阿,故郷)」というのも,少し懐古調気分にさせます。(昔はこれが中国語学習者が習う歌の代名詞だった。)
題名の『北京的西瓜』は,別に「北京の西瓜」を食べたという意味ではない。「八百春の西瓜(千葉の西瓜)」と「西安の西瓜」のどっちがうまいか,八百春と西安からの留学生・張さんとの間で争っていた件の決着をつけたのが,北京だったというだけのこと。その張さんを演じていたのは,『さらば,わが愛〜覇王別姫』で小四の役をした雷漢でしたね。
(1989年日本/監督:大林宣彦/出演:ベンガル(八百春),もたいまさこ(妻),峰岸徹 (医者),雷漢/2002.9.30video)
未完の対局(一盤没有下完的棋)[日本語+中国語]
日中国交正常化10周年記念の日中合作映画。日中戦争という不幸な時代を背景に,北京で出会った日本の名棋士・松波麟作(三国連太郎)と江南の棋王・况易山(クワン・イーシャン)の二人がたどった波乱と激動の日々,そして,戦後その二人が再会するまでを描く。
碁の修行のため日本に渡り松波の門下生になった,易山の息子・阿明(アミン)と松波の娘・巴(紺野美紗子)の純愛,そして日中戦争が起こり,お互いに敵国人を愛することとなったがための悲劇的な結末が哀しいです。
戦後,消息のわからない息子を探しに日本にやって来た易山は,阿明が松波の密告で殺されたと知らされる。松波に復讐しようとしたが,彼も戦地で死亡したと聞き,やむなく帰国する。
時は流れて日中国交回復後,易山は松波が日中友好囲碁団の一員として中国を訪れることを知り,彼が生きていたことがわかる。松波の方から再会を希望してきたが,易山は彼に会おうとはしなかった・・・
最後には,二人は再会し,松波が阿明を憲兵隊に売ったという誤解は解けるのだが,松波を恨み,頑なに彼との再会を拒んでいた易山の心を和らげたのは,松波と一緒にやって来た,阿明と巴の忘れ形見・華林(伊藤つかさ),そして彼女が持ってきたお骨(骨壷の中には阿明のお骨だけじゃなく,巴のお骨も一緒に入っていた)ですね。華林の存在自体が日中友好の証である上に,お骨も日中合体してたわけです。
和解した松波と易山は,万里の長城で空を碁盤にし,30年前,官憲の邪魔が入り打掛けのままになっていた碁の続きを,今度は誰にも邪魔されることなく打ち続けるのだった・・・
20年前に観たときは,まだ中国語を習っていなかった頃だ。伊藤つかさの中国語が上手だと,中国側関係者が誉めたというコメントを憶えている。「ニイハオ」と自分の名前だけしかしゃべらなかったと,思っていたが,実際はかなり中国語をしゃべっていました。紺野美紗子まで中国語をしゃべっていたのを確認(当時は気がつかなかったけど)。発音は紺野美紗子の方が聞取りやすいでしょう。明るく暖かい江南の水郷の風景も存分に堪能できます。
(1982年日本・中国/監督:佐藤純彌・段吉順/映画館,2002.4.5renewal)