東流西流


私は1998年5月から6月にかけて、毎週土曜日に山口新聞の「東流西流」というコーナーに440字前後の短い話を連載していました。このコーナーは読者が2か月交代で週1回の連載を受け持つもので、テーマは自由、というものです。
私はラッキーにも9回(担当曜日により8回の人もある)掲載される土曜日が当たりました。他の人より1回多く書けるチャンスをいただき、ちょっとうれしく思っています。連載とはいえ、週1回なので「続き物」では忘れてしまうと思い、「読み切り」のスタイルで書きました。
6月27日で私の最後の担当日が終わりました。そこで、「東流西流」掲載分でホームページ未発表の話を5連発で紹介します。(ここだけの話)はホームページ用に追加しました。



題/マー君の鯉のぼり (1998.5.16 掲載)

私が子供の頃の話。カラフルな布製の鯉のぼりが発売され始め、お金持ちの家は大小色とりどり、合わせて5匹ぐらい竿につるしていた。
うちの近所にマー君というガキ大将が住んでいて、彼の自慢は鯉のぼりだった。
「うちのは紙で1匹じゃけど、大きさは絶対負けん。」
確かに彼の鯉のぼりはとてつもなく大きかった。長さ約8メートル、口の直径が1メートル位はあっただろうか。庭にそびえる竿に1匹つけるのがやっと。またこの鯉のぼりは和紙製で、雨が降ると取り込む必要があった。大きいのでたたむのも大変で、結構手がかかる物だった。
彼の鯉のぼりは決して豪華成金趣味の物ではない。しかし近所のどの鯉のぼりの追随も許さないスケールだった。
マー君ちに何回目かの5月が来たある日、強風が吹いた。そして巨大鯉のぼりの一部が飛んで行ってしまった。それを契機にあっちがちぎれ、こっちがちぎれ、とうとう口だけに。鯉のぼりはロープにつながれた囚われの身から自由な空へと旅立って行ったのだ。
5月になるとこの話を思い出す。そして色々な鯉のぼりを見かけるが、マー君のより大きい鯉を今まで見た事はない。

(ここだけの話)
マー君に最後に会ったのは20年位前です。由宇にマー君の家ができてうちの家族全員で遊びに行きました。鯉のぼりの話は彼らが引っ越す前の話です。確か名前は浅田ますお(字は忘れた)君で妹にえいこちゃん、それからお姉ちゃんがいたと思います。マー君、えいこちゃん、お姉ちゃん、元気ですかー。



題/高貴なノラ猫 (1998.5.23 掲載)

近所に瞳が青くて白い毛のノラ猫がいた。シャンプーしたら、多分真っ白できれいな猫なんだろうが、そこはノラ。いつもねずみ色だった。
この猫の感心な点は、絶対家の中に上がらない事。私はノラではあるが卑しくないこの猫にプリンスという名前を勝手につけた。(後になってプリンスはお婆ちゃんであることが判明。)
一般的に猫は三日で恩を忘れると言うが、彼女は違う。行動に年の功を感じさせる。人間に嫌われない術を知っているようだ。あちこちの家で愛嬌よく、行儀よく振る舞いおやつを貰っているのか、歳をとって体のキレはないが、お腹をすかせている風はない。
いつもは玄関のたたきに座っている彼女が一度だけ玄関マットに座った事があった。私は
「上がっちゃいけんよ」
と外に追い出した。
毎日遊びに来ていたのにそれ以来サッパリ彼女を見なくなった。死んでしまったのか。今から考えるとプリンスは超お婆ちゃん。体温調節がうまくいかずに寒かったのかも。あの時追い出さなければ、と悔やまれる。
プリンスに比べ最近のノラは…。
「コラ、土足で家に上がるなーっ!」
駄猫は油断もスキもあったもんじゃない。

(ここだけの話)
プリンスは私の所に3年間位遊びに来ていました。最初はエサをやっても決して私の手から直に食べようとはしませんでした。外に紙を敷いて煮干しを置いておくと、エサはなくなっています。(地面に直にエサを置くと食べない変な猫でした。)
何回か遊んでエサを与えるうちに、私の手からエサをとるようになりました。最初は乾燥した煮干しをやっていましたが、終わりごろには味噌汁のだしをとったあとの柔らかい煮干ししか食べなくなりました。年寄りで歯が悪かったのかと思います。追い出してから、パッタリと見なくなったので、あれは私にお別れを言いに来たのかな、と思うと悲しくなります。かわいい猫だったのにな。



題/ちょっと危険?な都 (1998.5.30 掲載)

先日大きな地震があった。私は朝4時ごろから起きてテレビを見ていた。グラグラッときて、テレビの上の人形が転げ落ちた。揺れの時間も長かったし、戸が開かなくなっては大変と思い、急いで玄関を開けた。
阪神大震災の時も思ったが、我が家はどこにいても安全ではない。洋服ダンスの下敷きになり、旅行カバンや衣装缶が寝ている上に振ってくる様子は想像したくない。だが、他の所も電灯の真下だったり、ガラスの側だったり危険度は似たり寄ったりだ。一般にトイレや風呂は広さの割に柱が多いので安全と言われているが、うちはトイレと風呂が一緒の部屋で3畳。部屋と変わらずここもダメなようだ。
台所の天袋から缶詰が降ってはたまらん、と開き戸をロックする金具をつけ、食器戸棚が倒れないように戸棚の下は傾斜マットを敷き…とない知恵を絞って対策を講じてみた。
しかし、これらの装備が威力を発揮するような大地震の場合、先に家がつぶれてしまうかも。先日の地震だって結構怖かったが、これらの装備は必要には及ばなかった。地震への備えにいささか不安を感じるが、「築30年木造」の家も住めば都だ。

(ここだけの話)
5月23日の地震の話です。震源地は上関沖のあたりで、岩国は震度3でした。テレビの上の人形(石川五ェ門)はもともと座りの悪いぬいぐるみで、普段から下に鉛筆をかませて座らせていますが、今まで地震でテレビから転げ落ちたことはありません。阪神大震災の2日前位(予震か?)にも直下型の大きめの地震がありましたが、このときは落ちませんでした。
上関沖といえば、すぐ側に原発建設予定地があります。中国電力さん、大丈夫なのかーっ?。



題/かわいい挑戦状 (1998.6.13 掲載)

昨年夏、姪のみのりが私に水泳で挑戦したいと言ってきた。
「私が勝ったらゆかちゃん、何か買ってくれる?」
私は一瞬考えた。小学三年生とはいえスイミングスクールに行っているような子は泳ぎが早い。私が泳げる事は母親から聞いて知っているはず。年一、二回しか泳がない私の体はナマっている。みのりはスイミングに習いに行ってはいなかった。しかし私に挑戦してくる位なので相当自信があると見える。
私が小学生の頃、夏休みには水泳の先生がプールに毎日来て教えてくれた。そのかいあって、卒業までに二十五メートル泳げない子は学年に一人位。三年四年でも百メートル以上泳ぐ子が結構いた。そういう状況を考えると、三年生だからとはいえ今の私が絶対勝てるとは言い切れない。おまけにあの自信だ。姑息なわたしは安いものを賭ける事にした。
「よし、みのりが勝ったらアイスをおごろう。」
結果はなんの事はなかった。二十五メートル泳げるようになってから勝負を申し込めよーっ。
みのりは今年四年生。この夏は二十五メートル泳げるだろうか。私はいつでもかわいい挑戦を受けて立つよ。

(ここだけの話)
小学生の頃、夏休みに毎日水泳の先生が教えてくれたおかげで、学年のほぼ全員が泳げました。中学に上がっても、1クラス分だけ他の小学校の生徒が加わるだけなので、基本的にはあまり状況は変わりません。高校に入ってから、うちの校区だけが特別だったのだと気づきました。泳げるって特殊な能力だったのですね。水泳の先生に感謝!。

みのりの写真 志保と茜の写真

私の姪たち。左がみのり、真ん中が志保、右が茜です。みのりはよく男の子に間違われます。先日、近所の人にも間違われ、「谷川には女の子ばっかりしかおらんのに、なんで”ボク”がおるんか。」と言われたらしい・・・。茜の話は「便利な炊飯器」でどうぞ。



題/幼虫バスターズ (1998.6.27掲載)

梅雨だから当たり前なのだが雨の日が多い。私にとって長雨は要注意だ。園芸好きの方ならお分かりだろうが、庭が毛虫やナメクジの天国となる。
人間は雨が降るので虫を取りに出られない。でも虫たちはせっせと葉を食べる。彼らの体は日に日に大きくなり、食べる量もそれに比例する。
巨大なフンを発見し、これはどうでも取らねばなるまい、と重い腰をあげる。箸でつまんだ感触がしっかりある程大きくなった幼虫は、枝にしがみついて離れない。
「ママー、助けてー。」
とかなんとか言っているのだろうか。往生際が悪い子だ。
私は箸を火鋏に持ち換え、幼虫に立ち向かう。バリっという感じで枝から引きはがす。さすがにここまで大きいと取る時ちょっとドキドキする。
下水の穴に取った虫を落とす時思う。今日も一つ幼い命を奪ってしまった。南無阿弥陀仏。
毎日こんな事をしていたら、きっと私は次は虫に生まれ変わって駆除されるんだろうな。そんな事を考えつつも、愛する花のため、私は心を鬼にして今日も虫と戦う。幼虫バスターズ出動!。

(ここだけの話)
私は長雨で(8月中ずっと雨でお米がとれなかった年です)幼虫を取らなかったために、くちなしを1本枯らしました。雨があがった時はすでに木は丸坊主。再起不能でした。今駆除しているのはスミレにつく黒とオレンジの毛虫とナメクジ。地面にまくナメクジ駆除薬や、葉に散布する薬もあるけど、雨が降る間は使えないので手で取るしかありません。母の話ですが、アゲハなどの大きい幼虫になると、耳を澄ますと葉を食べる音がポリポリするそうです。
私はイモムシがキレイな蝶に変身するのか不思議でなりません。サナギの中でどのような変化が起きているのかなあ。多分同じ日にサナギになった幼虫を30個位集め、毎日剥いていったら分かると思うんだけど。ギャー、そんなのできない!。


1998.5.2掲載「行きはよいよい」(「わかっちゃいるけど」の前半部分)、
1998.5.9掲載「デカイにも程がある」
1998.6.20掲載「恐怖の赤い靴」
はガラクタ展とほぼ同じです。(字数の関係上、新聞掲載分は端折りあり)まだお読みでない方はガラクタ展バックナンバーでごらんください。
1998.6.6掲載分は6月13日の劇団公演の宣伝のみなのでここには掲載しませんでした。なお公演のレポートはこちらです。
もくじへ戻る ガラクタ展8月号へ