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2001/10/7-12/31 松江市天神町「藤忠ビル」で開催中
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エピソード特集:自動車復元プロジェクト


01-d. 2002/03/01(金)
ろくさん、自動車に再会する(後篇)
40年前の「隠し子」との対面
大久保和夫


自動車製作者のひとり、「ろくさん」こと大久保和夫さん(東京在住)のお話のつづきです。ろくさんが自動車と約40年ぶりに再会する時が、いよいよ訪れます。




松江に着いて、雪の米子道で融雪剤だらけになったクルマで早速向かったのが、「藤忠プロジェクト」の行われている、元「藤忠」本店。

昔は、「天神町商店街」としてにぎやかに人が行き交っていたのですが、殆どの店はシャッターを閉じています。駅からの道が途中まで広げられて、藤忠(昔は「藤原金物店」といっていた)の煉瓦造りのお店が、交差点に半分はみ出して遠くから見えます。

友人宅を覗くと、なにせ大晦日ですから、会社の人たちと奥で一杯やられていたようですが、お店を案内してくれました。

がらんとしたお店の片隅に、我々のクルマが置いてありました。

「おまえ、本当に良く生きていたな!!」と声を掛けてやりたいほど、小さく華奢で、でも、ちゃんと4つの車輪でコンクリートの上に踏ん張っていました。(自転車のものを利用したタイヤは完全につぶれていましたし、剛性不足で前輪は逆キャンバーになっていたので、よけい健気に見えました)

夕方の7時頃から、ビルのお別れの映画会がここで行われること、今回レストアをしていただいた松浦さんご兄弟が、6時頃にはお見えになるということを伺って、いったん出直すことにしました。

5時半頃、お店に伺うと、クルマは店の前に出され、松浦さんご兄弟がエンジンを掛けるための準備をされていました。藤忠プロジェクトのリーダーの方から色々と質問を受けて、一緒に作った多久和君と藤原君と3人で、あれこれと、あの頃のことを思い出していきました。

「どうして、自分たちでクルマを作ろうと思ったのか」
「どうして、ミジェット・ミジェッティのようなパイプフレームにしなかったのか」
「なぜ、スポークを使わないで、自転車のホイールに鉄板を溶接したディッシュ・ホイールにしたのか」

そのほかにも、
「ハンドルは、何年式のものか」
「燃料タンク(プラスチック)にトーハツ・マークが入っているが何から取ってきたか」
等々、完全に、クルマ好き同士の尽きないお話になります。

で、色々と思い出したり、話したりしているうちに、結局、我々のクルマの基本思想は、「隅々まで中学生に分かる」ということだった、ということに気が付きました。

■「パイプフレームを曲げる」となると、Rとか、内径とかがどうなるか自信がない。だから、アングルを切って、梯子型に溶接しよう。(直角か、30度、45度、60度でつなぐ)
■ブラッケットのたぐいも、パイプにくっつけるよりは、アングルに付ける方が理解できる。
■スポークホイールは、自転車ではおなじみだが、「片持ち」にするところの構造がイメージできないから、ディスクにして、ボルトで絞める。

といった感じです。で、結局、こういったわかりやすさが、最後まで自分たちでパーツを作り、組み立てて、完成させることができた最大の要因だったと思います。
「ワレワレハ、マチガッテイナカッタンダ」……(^_^;)

松浦さんご兄弟からは、レストアのご苦労を伺えました。

「部品の欠損等は、基本的に中学生の技術レベルを超えないようにして補完した」
「クラッチ(ディスクに円形の穴があいていて、そこにコルクを嵌め込んだ多板クラッチ)は修復できなかった」
「一番苦労したのは、プラグ・コード。炭素を含んだ抵抗型で、今は作られていない。結局、自作した」

我々が、そこら辺にあったものをつなぎ合わせて、ああだこうだと作ったクマを、そこまで悩んで、楽しんで頂けたのか、と感謝の念で一杯になりました。

いよいよエンジンを掛けます。あっさりと掛かりました。マフラー(当時は、一応、バンブル号のものをくくりつけていた)がないので、けたたましい爆音です。「パチパチ」と周りから拍手が起こりました。

というのが、私の40年前の「隠し子」との対面の顛末です。

で、皆様から「それで、本来の目的である公道を走れたの?」というご質問がありそうですが、「もちろんですよ」とお答えしましょう(^_^;)

ただし、この藤忠プロジェクトの一環として、道路を締め切った歩行者天国でのことです。作った当時は、中学校の校庭を何度か走っただけで、公道にでることはなかったはずです。

「でも、長年の望みが叶えられて、良かったね」
というところで、勝手な思い出話に長々とお付き合いいただいて有り難うございました。
m(. .)m


藤忠前での記念撮影(中央が大久保氏)
藤忠前での記念撮影(中央が大久保氏)


ろくさん、自動車に再会する(前篇):友達からの手紙


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