■03. 2001/12/24(月)
藤忠ビルでアルバイト
高嶋敏展
昭和39(1964)年から3年間、高校の夏休みなどを利用して藤忠でアルバイトをした東条さんのお話です。
藤忠の社員として勤めていた自分の同級生の紹介で、藤忠でアルバイトをすることになりました。当時、アルバイトの働き口は極めて少なく、たまたま、自動車の免許を持っていたから働けたのだと思います。
藤忠に住み込みの社員さんが1人いらっしゃいました。ビル西側はなれの建物の2階部分に和室があり、そこで自分もいっしょに寝泊まりをしました。
朝は6時頃から庭はき、店の掃除などをはじめ、昼間は商品の積み込みと配送をしました。スバルのサンバーやダットサンのトラックなど3、4台の車があったように思います。商品は様々な機械部品が多く、米子や宍道の採石場に砕石機の部品を届けたり、松江大橋のたもとの船着き場から隠岐へ商品を送ったりしました。隠岐への商品がわりと多く、ガードレールなどもまとめて送ったりしました。石見方面への出荷はほとんどなかったように思います。仕事は忙しく、店に活気があったことを覚えています。
先代の社長がとてもおしゃれな方で、休みの日になると社長の愛車のセドリックを洗車してお小遣いに映画のチケットをもらったりしました。
現社長は当時大学生で、自分とは車の話しなどで盛り上がり、何度か部屋にあげてもらった事があります。中学の時自動車を手作りしたエピソード【下記リンク参照】などは覚えていません。
高校を卒業する際に、社員にならないかと声をかけてもらいましたが、自動車が好きだったので自動車関係の職業に進みました。
改めて建物に数十年ぶりに入ってみましたが、あわただしく働いた日々が昨日のように思い出されます。青春に再び出会えたことを非常にうれしく思います。
【「中学の時自動車を手作りしたエピソード」】 |