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藤忠ビルプロジェクト
2001/10/7-12/31 松江市天神町「藤忠ビル」で開催中
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松江郷土館に藤忠ビルコーナー
 

解体、見届けました。


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月刊藤忠ビル通信


藤忠ビルプロジェクトの軌跡(5)
高嶋敏展
 [藤忠ビルプロジェクト実行委員会代表]
第5号/2002年03月31日発行


3月26日より、藤忠ビルの西側の倉庫の部分に足場が組まれ、解体の工事がスタートしました。ビルの取り壊しはしばらく先のようですが、西側の倉庫部分から解体作業は始まるようです。

28日の早朝、こっそりと中に入ってみました。

この間まで僕たちが宝探しにあけくれた倉庫はすでに一部取り壊しが始まり、天井から青空が見えていました。こんな日にかぎって雲ひとつない遠い空です。僕たちのいた場所がどこか遠くに行ってしまったような不思議な感覚でした。

トタン板がはがされた所から土壁が見えています。コンクリートのような外観から竹で編んだ下地が見える様子は意外な感じがします。藤忠ビルの内装が細い柱や梁を好んで使った繊細な作り(「外観は重厚で装飾的だが、内部は細身の材料できめ細やかにまとめてある」と大阪市立大学の竹原義二先生がおっしゃいました。また、島根大学の黒谷靖雄先生は「この繊細な作りが住宅に入ったような落ち着きを生みだしており、親しみが持てる」と評されました)だったことをふと思い出させました。

同じ天神町にお住まいの福寿苑の福村さんによれば、子供のころの遊び場は天神町の商店の中だったけれど、この藤忠の倉庫は鋼鉄のカットなどをやっていて、危ないので入れてもらえなかったそうです。

暗がりの中に光る溶接棒の火花や鉄の焼ける匂いを感じるようなお話を思い出して、建物の隅々まで見回ってみました。

すると暗闇に光るかけらが目に留まりました。良く見ると真鍮の分銅が1個、油で汚れたコンクリートの床に転がっています。3ヶ月間、いろいろなモノを見てきましたが、まだ僕の知らないモノが建物のなかに眠っています。

「デッドストックショップ」により、藤忠ビルにあった多くのモノが人の手に渡っていきました。藤忠ビルプロジェクトがご縁で知り合った浜佐田のNさんは古い納屋を買い取って改装中なのですが、藤忠ビルにあった金物や板がとても役立っているそうです。Nさんによれば、「買おうと思って買えない貴重な道具や金具がたくさんの残されていました。必要のない人にはただのゴミかもしれないが、自分のような人間には宝の山でした」とのこと。Nさんの自宅の扉は藤忠ビルの棚板を転用したものでできています。

先日、お世話になっている女性のお宅に食事に招待されました。リビングの棚の上には金属の棒が何本か束ねて飾ってありました。「何に使うかわからないけどきれいでしょ?」とその女性は笑います。

天神町の岡酒屋さんや画材の柳屋さんが音頭をとって、おかげ庵の学生さんと共同で藤忠ビルの棚板やテーブルを運び出してくれました。岡さんによればおかげ庵の商品台や白潟天満宮のベンチなどを作りたいそうです。岡さんによれば「古い町には古いモノがよく似合う、スチールのベンチを出しても誰も座ってくれないからね」とのこと。そういえば岡酒屋のワインの入っている棚は藤忠ビルの入札で岡さんが落札したものでした。

藤忠ビルの内装を繊細と評した大阪市立大の竹原先生は、がまぐちの財布と鍵と大きなナットを購入して「こんなおもろしろいこと、都会ではあり得ない」と絶賛してくだいました。

廃棄される商品が新たな命を得て、人の役に立つことはモノも喜んでくれると思います。多くの宝物を提供してくださった藤原社長には感謝の言葉がつきません。

壊されていく倉庫の青空を見ながら、人手に渡っていったモノ達が、藤忠ビルの歴史の証人となってくれることを心から願いました。


整然とディスプレイされたモノたち。一つ一つが藤忠の象徴。
整然とディスプレイされたモノたち。一つ一つが藤忠の象徴。


藤忠ビルの報告会を4月2日より県立美術館ギャラリーで開催します。自分たちのやってきたことはなんだったのか? どんな意味や役割があったのか? 様々な思いをまとめる作業をどこかでやりたいと考えました。また、同時並行で活動報告書の編集もしています。どちらも、こだわりのプロジェクトスタッフ達が練りに練った内容です。どうぞ、ご期待ください。

最近、松江のあちこちで声をかけられます。「この間はありがとう」、「ビルはいつ壊されるのですか」などなど、この活動以前と比べて、あいさつを街でする回数が10倍くらいになったように感じます。

多くの人にあったのだなあ、とあらためて思う一方で、多くの人を呼び寄せた藤忠ビルとはなんだったのだろうと考えています。


藤忠ビル解体
Fuji-chu Dead-Stock Shop
「藤忠ビルプロジェクト――その活動の記録」展


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