12「あ行」で始まる作品


愛にかける橋(芬[女尼]的微笑)[中国語+英語]
1930年代前半のウィーンから映画は始まる。オーストリア人のファニーは,ウィーン警察学校へ研修留学中の中国人マ・ユンロン(馬雲龍)に出会い,二人は恋に落ちる。しかし,ファニーの父親は二人の結婚に反対し,また政情変化によるユンロンの帰国などで二人は一時離ればなれになってしまうが,18歳になったファニーは,彼を追って単身,中国へ渡る。
民国24年(1935年)に,中国でユンロンと結婚したファニーは,その後,異国の風習に戸惑いながら,日中戦争や反右派闘争,文化大革命などの困難な時代を,50年間,中国で生き抜き,自らの愛を貫いた,その実話に基づく映画。
中国に渡った以降のファニーの苦労話は,昔,ファニーの親友だったアニーの孫娘が,中国へファニーを探しに来て,年老いたファニーから波乱万丈の昔話を回想形式で聞くという構成になっている。
この回想シーンが,混乱の時代を生き抜いたわりには,さらりとしすぎている気がする。張芸謀の『活きる』と同じような時代を生きてきたのに,政治闘争との絡みの描き方が中途半端なので,感情移入しにくい。
主題も,いまいち,はっきりしてないと思う。外国人が中国で暮らすことの大変さを描きたかったのか,混乱の時代を愛の力で生き抜いたことが描きたかったのか,よくわからなかった。
もうひとつ。オーストリアでの会話がドイツ語でなく,英語なのはどういうこと?気分でませんねえ。
ユンロンを演じているのは,王志文。初期作品の頃の「頼りないなよなよタイプ」から少し変わりつつあるのでしょうか。ユンロンの母の役は,宋暁英だそうです。『北京物語』の第4話「サロン主人」で,休む暇もなく夫の客人の接待をする妻の役を演じてた人でしょうか。
(2002年中国・オーストリア/監督:胡[王攵](フー・メイ)/出演:ニーナ・プロル,王志文,宋暁英/2005.4.10DVD)
哀戀花火(炮打雙橙)
清朝末期の黄河のほとりを舞台に,花火問屋の老舗の女主人と行きずりの絵師が,当時の因習や封建制度のしがらみの中で愛を成就させようとする姿を甘美に描いた恋愛映画。
(1993年西安映画製作所/監督:何平/出演:寧静/1995.9映画館,教育TV)
紅い服の少女(紅衣少女)
高一で16歳のアンラン(安然)は,期末試験が近いのに試験よりもその後にある模範生(三好《サンハオ》学生)の選出の方が気になっている。選出されると入試にも有利なので,万事に口うるさい母親も気にかけている。
しかし,アンランは,流行の絵を描かずに自分の好きな絵しか描かない頑固な画家(母に言わせれば偏屈なヘボ絵描き)である父の影響を受け,自己主張がとっても激しい。授業中,先生の間違いを指摘するわ,作文ではクラスの優等生チュンチェの卑怯な態度を非難するわ,悪いうわさが立つという母の小言も気にせずに休日には男の子4人と自転車で湖にボート遊びに行くわといった具合である。
アンランの日頃から成績がいいのを鼻にかけている態度と前ボタンのない赤い服を毎日着てくるといった目立ちたがり屋のところが,クラスメートに評判がよくない上,先生にも嫌われているので,彼女が模範生に選ばれる可能性は低かったのに,かろうじて過半数を獲得して選出された。
それは,アンランを嫌っているはずのウェイ先生が,裁決の直前に「アンランにはいいところもあるので選ばれる資格がある」と発言したことが効いたためだが,アンランは腑に落ちず,素直に喜べない。
やがて,それは,雑誌社に勤めるアンランの姉が,旧友のよしみでウェイ先生にごまをすり,ウェイ先生が投稿したヘタな詩を雑誌に掲載するよう画策していたおかげであるとわかった。自尊心を傷つけられたアンランは,姉を激しく非難する。そして,せっかく選ばれた模範生の資格を辞退し,来年再挑戦すると宣言するのだった。
赤い服に象徴される「個性」が主役の映画である(少し強烈すぎるが・・・)。元教師で職業婦人だった母が,文革の10年で自分の人生をめちゃめちゃにされたと嘆くシーンがあったり,アンランの姉とウェイ先生との会話の中に文革中に下放された話題が出てきたりするところから見ても,何もモノを言わないで大勢に従うのはダメで,自分の言いたいことをしっかりと主張することが大切であると説く,文革の時代の反省に立った映画ではないだろうか。
朱旭(アンランの父親役)の映画デビュー作でもあります。彼は1930年生まれだから54才で初めて映画に登場したんですね。
(1984年峨眉映画製作所/監督:陸小雅/出演:朱旭/教育TV「アジア映画劇場」,2001.12.26renewal)
阿Q正伝(阿Q正伝)
魯迅の「阿Q正伝」をほぼ原作に沿って映画化しているため,字幕なしのビデオで見ても内容は理解できました。映画を見た後で,もう一度小説を読み直すとさらに理解が深まると思います。それは,当時の街の様子,家の造り,着物,辮髪(べんぱつ)など,本を読んだだけでは想像がつかないことも,映像で教えてもらえるからだ。
もっとも,主人公・阿Qのイメージは本で読んだのとは少し違っていた。ぼくは,もっと痩せて貧相な阿Qをイメージしてましたが,映画の阿Qはユーモアがありましたね。呼び方も,「阿Q(アキュー)」ではなく,「阿桂(アクイ=agui)」と呼んでいたのが,当時の中国としては当たり前かと,納得してしまいました。
罵り言葉が多かったのも印象に残っています。阿Qが呉媽(ウーマー)に「おらと寝ろ!」と迫り,秀才先生に棒で殴られた時に「王八蛋(ワン・パータン=wangbadan)」と言われてましたね。これは「バカモノ!」の意味です。阿Qと小Dの喧嘩の決着が付かず,引き分けの状態でお互いが引き上げる時には,二人して「媽媽的(マーマダ=mamade)」と言ってました。「こん畜生」ほどの意味でしょう。
その他,何回か出てきた言葉で,聞いた時に最初何だろうと思ってよくわからず,気になったものとしては,「革命(ガーミン=geming)」と一緒に使われていた「造反(ザオファン=zaofan)」。それと,阿Qは警察官の仕事をする地保(ディーバオ)から面倒を起こした後でいつも迷惑料を取られてましたが,その時,「酒銭(チューチエン=jiujian)」を寄越せと言われてました。つまり「酒代」のことでしょう。これは,その後,原作を読み直して意味がわかりました。
映画と原作とを両方を見る(読む)ことにより,より一層楽しみが増す作品です。
(1981年上海映画製作所/監督:岑範(ツェン・ファン)/2002.10.27video)
失われた青春(大喘気)
現代の中国社会に生きるある青年像を描く。北方の青年丁建が金儲けをしようと広州に行き失敗する。急激な社会の変動にとまどう一部青年たちの絶望感,価値観の混乱,社会への不満を描いている。
(1988年深せん影業公司/監督:葉大鷹/映像文化L)
英雄〜国姓爺合戦〜(国姓爺合戦)
邦題がまぎらわしい。張芸謀の『HERO〜英雄〜』のビデオがもう出たのかと勘違いした。これは,『HERO』より,ず〜っと後の17世紀半ばの中国の福建で,明朝の復興に努めた武将・鄭成功(ていせいごう)の戦いの物語。彼は皇室から「朱」姓を賜り,国姓爺(グォシン・イエ=”こくせんや”)と呼ばれていたので,原題が「国姓爺合戦」となっている。近松門左衛門の「国姓爺合戦」の基になった史実らしいが,ぼくはこの人形浄瑠璃の内容は知らない。
鄭成功が北方に起こった新興勢力の清と戦いながら,オランダの支配下にあった台湾を奪回するという内容だが,合戦の史実を追っただけでは観客が退屈するため,これに,明の重臣でありながら清へ帰順しようとする父と対立し明に忠誠を誓う鄭成功の葛藤や,台湾解放を命を懸けて願う養女の薛良(せつりょう)などをからませた歴史・人間ドラマに仕立てている。
ハイライトの軍艦2百隻,兵2万5千で,台湾を支配しているオランダ軍と戦うシーンは圧巻だが,台湾オランダ総督を降伏させ,台湾を解放したという政治的メッセージに台湾の観客は拍手喝采したのだろうか?
それはさておき,最初,鄭成功を,鄭和(明初の大航海時代の)と勘違いして見ていたくらい,この時代の中国史に詳しくないぼくにとっては歴史を知るためのいい勉強にはなった。
また,父子の間で苦しむ母親として日本人の島田楊子が出演している。『南京1937』にも日本人妻として早乙女愛が出演していたが,呉監督は日本女性が好みなんだろうか?
(2001年中国・日本/監督:呉子牛/出演:島田楊子/2003.11.25video)
王様の漢方(漢方道)[中国語+日本語]
万里の長城の麓に住む朱旭演じる名漢方医のところに日本から漢方治療旅行団の一行6人がやって来て,大自然の中で診療を受け,病気が回復していくというストーリー。
世界初の漢方医療を本格的に取り扱った映画とか,映画としてはこれまでにない試みをふんだんに取り入れ,映画を見終わった観客は必ず心が癒されるという触れ込みだったが・・・
多くの観客は「漢方」よりも「朱旭」を観に来るのだということを監督やプロデューサーは知らなかったのだろうか?『こころの湯』で北京の下町の銭湯の老主人として,ほのぼのと心あたたまる名演を見せてくれたのに続き,この映画でもきっと朱旭が心を癒してくれることを期待していた多くの人は,そのほとんどが消化不良のまま映画を観終わったのではなかろうか?
朱旭が悪いのではなく,周りの俳優が悪すぎるのかな。噛んで言い聞かせる独特の朱旭の話し方や演技と日本人の俳優が全然うまくかみ合っていない気がした。いや,それができないくらい素人っぽい俳優もいた。
また,万里の長城を見せたいのか,漢方療法を紹介したいのか,映画の焦点がはっきりせず,ストーリーの展開にも無理があるなと思われるところがいくつかありました。朱旭が太極拳でヤクザの中村をやっつけるシーンもマンガみたいな展開ですね。
商社マンがサラ金取り立て業者と一緒に旅をして,最後にヤクザが改心するというストーリーは,雲南省を舞台にした『中国の鳥人』と同じです。でも,『中国の鳥人』にはファンタジーがあったし,『こころの湯』には親子愛,兄弟愛が溢れていた。してみると,この映画には,愛(親子愛,師弟愛,旅行団員同士の友情など)が欠けているのだろう。朱旭の診療に感激した大山が朱旭と抱き合うシーンも,見ている観客には興ざめなのだ。
(2002年日中合作/監督:牛波/出演:朱旭,渡辺篤史/サロンシネマ2002.12.15)
鬼が来た(鬼子来了)[中国語+日本語]
姜文の第二回監督作品。画面いっぱいにまばゆいばかりの陽光が降り注いでいた『太陽の少年』とは打って変わって,この映画は99%モノクロである。『鬼子来了』の「鬼子(グイズ)」は,「オニ」の意味ではなく(中国にはオニはいない),中国語で侵略者(外国人)に対する憎悪を込めた呼び方のことで,この映画で「鬼子」といえば,当然,「日本鬼子」=「日本軍」のことを指す。
さて,その原題からして日中戦争当時の日本軍の悪態を描いた話だろうなと思っていたら,映画の前半は,捕虜になった日本兵・花屋が,通訳を介して村人たちと日本語・中国語のトンチンカンなやりとりを繰り広げるユーモラスな展開の連続で,思わず笑ってしまう内容だ。
終戦も間近い1945年の旧正月直前のある夜更け。日本軍の勢力下にある中国・華北の寒村に住む馬大三(マー・ターサン)の家に,「私」とだけ名乗る正体不明の男(たぶん抗日・八路軍の兵士ではないか?)がやって来て,マーに拳銃を突きつけ,麻袋を2つ押しつけ,それを晦日まで預かるよう命じて帰って行く。
麻袋を開けてみると,1つには日本兵が,もう1つには中国人通訳が入れられていた。マーは村人に相談し,とりあえず晦日まで二人を納屋に隠しておくことにした。しかし,約束の日が来ても「私」は引き取りに現れず,二人が日本軍に発見される危険性も日増しに高まってきたため,村人たちはやむなく二人を始末することを計画する・・・
一方,最初は捕虜になったことを恥じ,死にたがっていた日本兵・花屋は自暴自棄がだんだん薄れ,生きる意欲を取り戻していた。彼は村人に,自分を世話してくれたお礼に,穀物2台分を進呈するよう日本軍にかけあうと提案し,その約束を文書にし,村人たちと一緒に日本陸軍兵営に帰って行く・・・
中国人の監督が作った映画にしては,日本軍の描き方がリアルだったのには驚きました。日本の俳優を随所で使っているため,これまでの中国映画のように,カタコトの聞き苦しい日本語を喋る日本軍兵士が登場しなかったのもよかったです。
でも,ラストシーンへの展開はどうでしょう?捕虜になった日本兵とその扱いに困っていた村人とが繰り広げるユーモアたっぷりな異文化交流の末,やっとお互いを理解しあうことができたのも束の間,いや,そこで安心したからこそ余計に,終盤での大惨劇への展開は,見ている観客を当惑させることになります。日本人の監督なら,あそこまでしなかったという気もしますし,ラストの捕虜収容所の前で花屋が日本刀を振るうシーンでは,違った結末にしたでしょう。捕虜になった自分を助けてくれたマーにあんな仕打ちができるでしょうか?
単なるギャグかと思っていた,頼りない刺客・リウ老人の逸話は,一番ラストで活かされることになるんですね。これはやはり寓話だぞという締めくくりでしょうか。姜文は日本軍の悪態を描くのが目的ではなかったと思います。それを描きながら,戦時下の異常な心理状態においては,誰でも日本軍のようになりうるぞということが言いたかったのではないでしょうか。
(2000年中国/監督:姜文/出演:姜文,香川照之,叢志軍(長老)/サロンシネマ2002.7.27)
おはよう北京(北京,nizao)★★★★★
北京を走る二両連結バスの車掌アイホンがエゴ丸出しで自分の生活向上の欲望を具現していく。
北京の路線バスの内情が詳しく分かり,北京で生活した者にとってはとても興味をそそられる。
(1990年北京青年映画製作所/監督:張暖忻/映像文化L,教育TV「アジア映画劇場」)
思い出の夏(王首先的夏天)
山西省の大同市近くの農村にやってきた映画の撮影隊によって,かき回されることになる王首先(ワン・ショウシエン)の生活をドキュメンタリータッチに描く。
撮影隊は,この村で子役のオーディションを行い,そのオーディションに,暗記が苦手の落第生で4年生(12才)のショウシエンが挑み,汚い手を使いながらも合格するが,映画の撮影中,あるセリフに納得できず演技を拒否し,撮影は中止される・・・
小学校でのシーンが多く,子供たちを中心とした映画だ。いきいきとした純朴そうな子供たちの姿や都会と農村のギャップ,それにショウシエンが助監督のリウさんに露出計を届けるために一人で知らない町まで出かけて行き,撮影隊を探し続けるシーンを見ていると,張芸謀監督の『あの子を探して(99)』に似ているなと感じる。
映画の前半の,村での野外映画上映会で上映されている映画が,その張芸謀監督の『キープ・クール(97)』であるのも何かの因縁か?
(2002年中国/監督:李継賢/成泰shen(助監督)/2005.6.4DVD)