はじめに|概要|ビル今昔|ファサード|構造|地下室|細部|設計者・秋鹿隆一
■地下室
地下室の存在は、昭和のはじめに白潟界隈に建てられた近代建築の特徴の一つである。藤忠ビルの他に、出雲ビル(昭和12[1937]年)、尾原呉服店(昭和7[1932]年)にも地下室が存在する。地下室は、建物の容積を増やすために用いられたものであろうが、比較的地盤がよく、地下水があまりでなかったからできたと考えられる。 藤忠ビルの地下の見どころとしては、梁の持ち送りと採光のために設けられたガラスブロックが挙げられる。1階の床を柱梁で支えているわけだが、接合部の剛性を高めるために持ち送りが設けられている。鉄筋コンクリート造の構造手法が未だ確立されてない状態での手探りの様子がよくわかる。ガラスブロックは、窓をとることにできない地下室において自然採光を採り入れるための工夫である。歩道表面へ向けて斜めに穴をあけ、ガラスブロックを通じて光を採り入れようとしている。現在は路面によって閉ざされ、光を見ることはできないが、その採光のためのしつらえが興味深い。
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