アムネスティ・インターナショナル松江
 147グループ・1999年〜2002年の活動履歴


  おもな内容


アムネスティ・インターナショナル松江グループとは?  


映画「プロミス」上映会
2003年11月22日(土)
会場:松江スティックビル5階交流ホール
映画「プロミス」 2001年アメリカ作品 監督ジャスティーン・シャピッロ、B・Z・ゴールドバーグ
この映画は恐ろしいほどの暴力の連鎖、憎悪の増幅の続くイスラエル・パレスチナで、お互いの子どもたちの交流を描き、平和の可能性を描いたドキュメンタリーです。
→イスラエル・パレスチナ問題基礎講座


人権フェスティバル
2003年10月25日(土)
会場 くにびきメッセ
時間 10:00から16:00
島根県が主催する人権フェスティバルです。10時からのオープニングセレモニーでは、アムネスティ・インターナショナル日本支部特別顧問イーデス・ハンソンさんが基調講演を行います。また12時15分からは島根県大田市の大森銀山とアフガニスタンを舞台にしてつくられた映画「アイ・ラヴ・ピース」の映画監督大澤豊さんとイーデス・ハンソンさんによるスライドトークショーもあります。
アムネスティ松江グループの活動紹介や、アムネスティ商品の販売のほか、世界各国料理、県内授産施設製品の販売、フリーマーケットなどもあります。


広島在住のアフガニスタン難民、アジスさんの講演会
2003年3月15日(土) 松江市国際交流会館にて。参加者27人。
アフガニスタンでは、アメリカ軍を中心とする2001年10月以来の攻撃によっ て、イスラム原理主義勢力タリバンは崩壊し、現在新しい統一政権がつくられつつあ りますが、まだまだ混乱が続いています。そのためアフガニスタンは現在、世界でい ちばん多くの難民が発生している国です。当然、日本にも多数のアフガニスタン難民 がやってきているのですが、日本政府はこうした難民をほとんど受け入れようとして いません。昨年の中国・シェンヤンの日本領事館の北朝鮮難民駆け込み事件に象徴さ れるように、日本政府は難民の受け入れには非常に消極的です。 難民支援協会のホームページへのリンク
アブドゥル・アジスさんはアフガニスタンの少数民族ハザラ人です。ハザラ人はチンギスハンの子孫とも言われているモンゴル系の民族で見かけは日本人とあまり変わりがありません。アフガニスタンの人口の5分の1程度の少数民族で、他の民族とは民族系統が全く違うほか、他の民族はイスラム教多数派(スンニ派)なのに対して、ハザラ族は少数派(シーア派)なので、いろいろな面で差別を受けています。タリバン政権下でもハザラ人の虐殺がおきています。難民キャンプでもハザラ人は他の民族と同じキャンプには入れない、国際的な支援もハザラ人まではほとんど届かない、という話でした。
アジスさんはカブール大学を卒業しアラブ首長国連邦の貿易会社に勤めていましたが、ハザラ人の地位向上をもとめる政治運動に参加したためにタリバンから「殺害指名」を受けます。2001月6月偽造パスポートで日本に入国、11月に難民申請をしました。難民申請中の2002年2月に広島県察に不法入 国者として逮捕されました。そして拘置所の中で難民不認定の通知を受けます。裁判所から保釈がみとめられましたが、法務省が強制退去を命じ、入国管理施設に強制収容されました。不法入国の罪については2002年9月に広島高等裁判所が 「難民として不法入国しなくてはならない必要性があった」と認めて判決は確定しました。しかし同時並行的に行われている法務省に難民認定を求める裁判はまだ継続中で、アジスさんは引き続いて強制収容されました。絶望したアジスさんは自殺を図りますが、アムネスティなどの運動によりようやく解放されました。

今回は、この裁判を支援したアムネスティ広島グループの野間伸次さんにも話を聞きました。
日本も参加している難民条約は、難民に対して不法入国だけを理由として強制退去させてはならない、と定めています。難民は自分の国の政府の迫害から逃れようとする人々ですから、パスポートの発行申請に行っただけでも殺されかねません。どうしても偽造パスポートなどにより不法に入国することなってしまいます。また難民認定のためには自分が迫害されているという証拠の提出を求められるのですが、逃げる身にとってはそういう証拠書類を持っていることは大変危険なことです。からだ一つで逃げてくる場合がほとんどです。
日本の難民認定制度では入国後60日以内に申請しなくてはならないことになっており、多くの申請者がこの規定によって不認定となっています。しかし命からがら自国政府から逃げてきた人は、日本政府に対しても非常に疑い深くなっており、すぐに申請を出そうと言う気にはなりにくい、制度もよく知らない場合がほとんどだ、という話でした。
現行の制度の大きな問題点は難民認定をするのも、認定についての不服を再審査するのも同じ法務省の同じ部局だということです。現在難民認定法の改正案が検討されていますが、この点はまったく変わっていません。法務省から独立した再審査機関を設けないかぎりこの問題は解決しない、とアジスさんは強く主張していました。
アジスさんは警察に逮捕され拘置所に収容されましたが、これがいちばんきつかったそうです。拘置所では昼間は寝転んだり壁にすがったりすることは許されずずっと一定の姿勢でいなくてはならない、そのため体調を崩し「病院に連れて行ってほしい」と頼んだが、ただ「がまんしなさい」といわれるばかりだったそうです。
アフガニスタンでは現在も戦闘が続いており、警察や裁判所はほとんど機能していません。タリバンは消滅してもタリバンの兵士は他の組織にくら替えしただけでみんなが武器を持っている、その中でハザラ人を殺しても何の捜査も処罰もないのがふつうだ、ということでした。
参加者からは「どうしてアメリカなどではなく日本にきたのですか」という質問がありました。アジスさんは「それは裁判でも聞かれたことだが、自分の一番の失敗だった」と言っていました。


アフガニスタン 写真展&トーク「アフガニスタンの女性とこども

「宝塚アフガニスタン友好協会」代表、西垣敬子さん
2002年8月24日(土)松江市国際交流センターにて 参加者約30名

西垣さんは現在67歳。大学で仏教美術を専攻し、アフガニスタンにはもともと関心 があったそうです。
「ふつうの家庭の主婦」だった1993年、東京のアフガニスタン大使館で開かれた アフガニスタン内戦の写真展を見に行って衝撃を受け、その場で「地元宝塚でも写真 展を開きたい」と思わず申し込んだのが活動のはじまりで
す。その時会場を借りるのに個人名では都合が悪いというので、「宝塚アフガニスタン友好協会」という会をつ くったのだそうです。
1994年広島でアジア大会があり、「写真を貸してくれ」と言われて広島でも写真 展をやり、宝塚と広島の写真展会場で集めた募金40万円を持って、1994年秋に アフガニスタン、ジャララバードの、35万人がくらす難民キャンプを訪ねました。 これは赤ちゃんのミルク代にするつもりだったそうですが、すでに夏の暑さで赤ちゃ んは全員死んでおり、仕方なく学校用の大型テントを寄付することにしたそうです。
次の年、本当に寄付がきちんと使われているどうか、確認のためにまた現地を訪れ、 その後現在まで年に数回ずつ集めた募金を届けています。現地までの旅費は自分のオ カネを使い、集めた募金は全部現地の人々のために使う、必要なものは必ず自分の目 で確かめ、必ず自分で品物を買いに行き、領収書をもらい、写真を撮り、そして日本 で支援する人たちに報告する、というお話でした。
現地で活動する支援団体はたくさんあるけれど、そのメンバーはすべて男で女は自分 一人。アフガニスタンはイスラム教国なので女性が男性と直接話をすることなど考え られない、また若い女性だと危険もあるけれど、年をとった女なら大切にされ、どこ でも行けるし、誰にでも会えるので、自分がいちばん向いていると思った、と言って おられました。
西垣さんが支援するのはおもに女性と子ども。自由に外出できない女性たちが現金収入が得られるように、難民キャンプで洋裁教室を開き、日本むけの製品を作ったりし ていたのですが、1996年のタリバーン政権成立以後、洋裁学校は閉鎖させられてしまいました。女性が学校に通うことも禁止されたので、各地の「隠れ学校」の教師 の給料や教科書代も支援していたそうです。
現在、タリバーン政権は崩壊し、女性むけの学校も再開されていますが、校舎はほと んどありません。国の復興には20年以上かかるのではないか、というお話でした。

西垣さんは1997年には日本の各家庭で眠っている刺繍糸を送り、現地の女性に 使ってもらおうとしました。この話が新聞の全国版に載ったため、西垣さんの家には 膨大な数の刺繍糸が殺到。友人を総動員して整理すると、中にはカビがはえたりして 使い物にならないものも大量にあり、その処分も大変。使い物になるもののうち、一 部は日本の施設に寄付したりして、段ボール箱50個を船便と航空便に分けてパキス タンまで送ったが、船便で送ったものの半分は行方不明になってしまった。パキスタ ンでも現地のNGOに寄付したりして、25箱をアフガニスタンにトラックで持ち込 んだが、ものすごく大変でオカネもかかり、非常に効率が悪い。もう二度とモノを現地に送ることはしたくないそうです。
最近、神戸市が子どもたちからサッカーボールを集めてアフガニスタンに送る運動を やり、西垣さんに「持っていってくれないか」と話があったそうですが、アフガニスタンには地雷があって自由にサッカーができるような広い土地はなく、バレーボール の方が人気があるのだそうです。神戸市も引っ込みがつかなくて無理矢理現地にサッ カーボールを送るのだそうですが、その送料だけでも膨大なものになるだろう、とい うことでした。
高校の生徒会から「鉛筆と消しゴムを集めたから持っていって欲しい」と言われたこ ともあるが、現地には紙がないので、鉛筆と消しゴムを送ってもどうにもならない。 それでも「どうしても持っていって欲しい」というので鉛筆を持っていって配ったそ うです。日本の古着を送っても、現地の人々が着ている服はまったくちがうので使い道がない。こうした活動は援助するがわの自己満足にしかならない。結局、現金を持っていき、現地で買うのが一番だということでした。

現在、国連を中心にさまざまな援助活動がおこなわれていますが、その過程では何段 階もの中間搾取がある、ということでした。基本的に人間関係が濃密で、コネが大切にされる社会です。利権 をめぐる対立で、国連の現地職員が何人も殺されているそうです。「ベシャワール 会」という日本の支援団体では、作業員を直接雇って井戸掘りをしていたが、コネや 中間搾取を極力排除したのでさまざまな大きな摩擦があり、非常に大変だった、とい うことでした。。ひとつの井戸を掘るのに、「ペシャワール会」なら約2万円、国連 がやればその10倍かかるのではないか、という話です。

9月11日のテロと、アメリカ軍の空爆後、西垣さんはマスコミの取材を何回も受 け、日本各地で講演や写真展をすることも多く、寄付もたくさん集まるようになった そうですが、それまではアフガニスタンはまったく「忘れられた国」でした。これを 一時的なブームに終わらせることなく、アフガニスタンへの関心を持ちつづけていっ てほしい、と言っておられました。

アフガニスタン問題基礎講座


ハンセン病一人芝居「地面の底が抜けたんです」

期日 2002年11月4日(月) 島根県民会館 参加者約500人
ハンセン病で岡山県長島愛生園に入所していた藤本としさん原作を、結純子さんが演じる一人芝居です。平田市立国富小学校の子どもたちなど県民会館の中ホールが満員になる大盛況でした。


いままでの例会の内容

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